s1 ep14-4

 箱が何食わぬ素振りで上昇を始めた直後、床の奥でバイブが唸り出した。

 飛び込んだ弾みで落ちて滑った中野のスマホだった。拾い上げた筐体の画面はヒカルからの着信を告げている。

 ヒカルに電話しろ! と新井が喚いたのは、ついさっきのことだ。

 なのに何だろう、このタイミング──? 疑問に思いながらも通話をオンにすると、聞き慣れた元カノの声が飛んできた。

「やっと出た! 二人とも無事なの?」

 どうやら、なかなか出勤しない元カレと先輩に何度も連絡していたようだ。が、こちらはそれどころじゃなくて気づいていなかった。

「駐車場でちょっとね」

 詳細も、新井と分かれたことも端折って中野が言うなり、続きを遮るようにヒカルが言った。

「今どこなの」

「北エレベータで上がってるとこだよ、三階……四階を過ぎた」

「九階を押して」

 遮るように言われて、反射的に押す。

「降りたら一旦どこかに隠れてて。電話は切らないで」

 どうやら九階のどこかで落ち合おうってプランのようだ。電話の向こうに、ヒカル自身も移動中らしい気配が窺えた。

 が。

 初めに適当に押したボタン──ランプが灯っていた十七階を二度押しでキャンセルしながら、中野は脳味噌の隅に微かなザワつきを感じていた。

 内側に棲むヤツらの中に、彼女が放ったワードの一部にピクリと反応した誰かがいる。

 隠れる……?

 その一語が脳内に手繰り寄せたのは、さっきまでそばにいた同僚の姿だった。

 半身を捻ってリアウィンドウを睨んだまま、猛スピードでバックし続けた険しい横顔。らしからぬ風情で中野に指示を寄越す怒鳴り声──

 ほどなく上昇のスピードが緩んで停止した。九階だ。

 開いたドアの外に、幸い人の姿はなかった。少なくとも、視界がひらけた拍子に銃を構えたヤツとご対面、なんてことにはならずに済んだ。

 中野を運んできたのは、主に地下駐車場との行き来にのみ使われるマイナーなエレベータで、メインのエレベータホールは別の場所にある。つまり利用者は少ない。

 おかげで地下三階のボタンを押せば、上階に寄り道する素振りもなく素直に下降を始めてくれた。

「ミナト? もう九階よね?」

 手の中のスマホからヒカルの声が聞こえた。電話が繋がったままなのを忘れてた。

 中野は通話をオフにして、昨日変わったばかりの同居人の番号に発信した。

 が、呼び出し音を聞き始めた途端にヒカルからの着信が割り込んできて、結局どちらの回線も繋がらないうちに目指すフロアへと到着していた。

 仕方がない。

 小さく息を吐いてスマホを電源ごと切り、ポケットに突っ込む。

 相変わらず取り澄ました所作で扉が開くと、目の前にはまだSUVの姿があった。ドアのない開口部から後部座席が丸見えだ。

 クルマの向こう側に行くには、車内を通って反対側のドアから出るしかない。運転席に人影は見当たらない。新井はどうなったんだろう?

 答えはすぐに知れた。

 ランクルに近づいた中野は、ボディを隔てて六組の目と四挺の銃口に出くわした。

 覆面をした黒ずくめが五人──手前に二人、少し距離を置いて左右にひとりずつ。それから、右手の奥にひとり。

 手前の二人のこちら側に、ひとりだけ浮いて見えるスーツ姿。新井だ。その額には銃口がひとつ突き付けられている。

 目だけを動かして寄越した同僚の横顔が、みるみる険しい色に染まった。きっと、何やってんだ!? とでも怒鳴りたいに違いない。

 思ったそばから新井が言った。

「何やってんだよ……!?」

「うん。悪いね、手間を無駄にさせて。けどやっぱりさ、友人に護られるだけ護られてひとりでコソコソ逃げるってのは自分でもちょっとなって思って」

 中野はホールドアップの姿勢を取りながら、覆面たちのほうへと目を移した。

「狙いは俺だよね? けど、さっさと消しててもおかしくはないガードをまだ生かしてるってことは、無駄な殺生はしたくないんじゃないのかな。だったら、俺がそっちに行くから彼を解放してもらっていい?」

「馬鹿を言うな」

 一蹴したのは新井の硬い声だった。

 新井に銃を据えていた覆面が、少し離れて立つ右側の覆面を見る。その覆面が更に一番遠くにいる覆面をチラ見して、中野に銃口を向けたまま近づいていった。

 奥で何やら相談を始めた二人の声は、まるで聞こえない。

「あのさ、新井」

 結論を待つ間に声を投げると、努力を水泡に帰されたガードは草食男子の顔面に苦々しさを掃いてこちらを見た。銃を構えた三人の覆面は微動だにしない。

「無事に解放されたら、ウチの同居人に伝えてくんないかな。ゴメンねって。それと、こないだ話した俺の頼みを実行してくれってね。そう言えば多分わかると思うから」

 幸せになってくれという願いを、坂上は聞き入れてくれるだろうか。

 望み薄かもしれない。だけど伏せた目蓋の裏に、平凡で穏やかに暮らす坂上の笑顔が浮かんだ気がして、知らず唇の端が弛んだ。

 そういえば、彼の笑った顔を見たことはあっただろうか?

 ふと考えて開いた目が同僚とぶつかった。

「何だか知らないけど自分で言えよ」

「電話したけど、残念ながら繋がらなくて」

「電話じゃなくて直接言えばいいだろ」

「だから直接なら、もうこないだ言ったんだってば。断られたけどね」

「そんなことを俺に頼むぐらいなら、なんで戻ってきたんだ? 何のために苦労してお前を逃がしたと思ってんだ? 遊びで鬼ごっこしてたわけじゃないんだぞ!」

「そりゃ、死んでほしくないからだよ」

「──」

「それにさっきも言ったけど、俺は友だちに護られるだけでコソコソ逃げるような男にはなりたくないしね」

「いいか中野」

 新井が素早く言った。

「お前と俺はお友だちじゃない」

 低く、投げ出すような口調で。

「俺は仕事でお前を護ってるんだ。邪魔するのはやめてくれ」

「わかってはいるんだけどさ。まぁでもほら、こうなったらしょうがないし」

「何がしょうがないんだ」

 新井の苛立ちを聞き流し、中野は辺りを目で一巡した。

 こうも上手い具合に第三者がやってこないのは、どこかで出入りを塞いでるからなのか。ここにいる五人の他にもメンバーがいるのか。上の階で出くわしたセダンも、やっぱり仲間だったのか。

 奥の二人は、まだ相談中のようだ。一体どうしたいのかさっぱりわからないけど、問答無用で新井もろとも連れ去ったり弾をぶち込んだりしないところをみると、思いのほか理性的な武装勢力なのかもしれない。

 それにしても、ただ待つというのは何とも手持ち無沙汰なものだった。

 だから中野は、ヤツらの誰にともなくこう尋ねてみた。

「ちょっと電話を一本かけてもいい? それが済んだら俺、あんたたちと一緒に行くから」

「中野!」

 責めるような同僚の声に、笑顔を投げ返す。

「新井が言うように、同居人への言葉はできれば自分で伝えたいしね。ほんとは直接言えたらいいんだけど、この際贅沢は言わずにダメ元でもう一度電話してみるよ。彼らが構わないなら……」

 言って、挙げていた手のうち右手をゆっくり降ろしかけた、その瞬間。

 奥で相談中の片割れ──もともと一番遠くにいた覆面が、すかさず銃口を中野に据え直した。

 トリガーにかかった指がソイツを絞る、と何故かはっきり悟ると同時に、新井の手のひらがランクルのボンネットを叩いていた。

 ビジネスシューズが鉄板を蹴り越え、跳躍したスーツ姿が中野に向かって飛び込んでくる。上着の裾がヒラリと閃くさまが、まるでスローモーションのように感じられた。が、実際には一瞬の出来事だ。

 鼓膜を打つ銃声。ここ半年ほどで聞き慣れてしまったその音は、閑散とした地下空間でやたら反響して尾を引いた。

 小さな呻きを耳元で聞くとともに新井の身体を受け止めた。勢い余って、縺れ合うようにコンクリートの床へと転がる。ズシリとのしかかってくる重み。

 脱力した人体の生々しい感触に一瞬の空白が訪れ、次に怒りが込み上げてきた。

 何に対してなのかはわからない。敵にか、自分にか。くだらない騒動の端緒である父親にか。カネなんてモノに、いとも簡単に踊らされる馬鹿げた世の中にか。

 だけど今、四の五の言ってる場合じゃないことは承知してる。ここで同僚の骸と一緒に転がっていたって、何の解決にもならないことはわかってる。

 どうすべきかを脳内で計算しながら、中野は腕の中の身体を床に横たえようとした。が、半分上の空だったせいか、うっかり新井の頭をコンクリートにぶつけてしまった。

 途端に死人が呪いの言葉を吐き捨てた。

「ッ、あぁクソ」

「え? 新井? 生きてんの?」

 見おろすと、顔を顰めた新井が後頭部をさすりながら首をもたげた。

「中野……? どうなったんだ?」

「撃たれたんだよ、新井。てっきり死んだと思ったのに、すごい生命力だね」

 言ってから気づく。

 脳味噌は吹っ飛んでいないし、目視できる範囲に出血もない。そして敵がぶっ放したのは携帯に便利なサイズの銃であって、少なくとも対戦車ライフルみたいなヤツじゃない。

 ということは、だ。狙われたのは胴体部分で、だったら──

「そっか、防弾ベスト着てるんだもんね」

「それだけじゃない」

 起き上がった新井が小さく首を振った。

「うん?」

 どういう意味? と尋ねようとした中野は、ふと彼の目を追って顔を上げ、理解した。

 ランクルの向こうに覆面を剥ぎ取った悪者たちがいた。

 言い換える。

 覆面の下から現れた見覚えのある顔が、ランクル越しにこちらを眺めていた。それも場違いなくらい、のんきな風情で。

「──何やってんの?」

 中野は努めて静かに問いを投げた。

「テストよ」

 ボンネットに両肘を突いて組んだ指の上に顎を載せ、軽い口調を投げ返してきたのは母の可南子だった。少年みたいな短い頭髪が好き勝手にあちこち向いている。

 覆面を剥いだら乱れた髪を手櫛で整えるくらいするのが、女として最低限の身だしなみじゃないか?

 中野は思ったがジェンダーハラスメントになりかねないから口には出さず、代わりにこう訊き返した。

「テスト?」

「そう。ケイの代わりを任せられるかどうか。それを判断するためのテストよ」

 可南子は言い、右手の奥に立つ人物のほうを見た。

 中野に銃を向け、躊躇いもなくトリガーを絞って新井を撃ったときと何ら変わらない、淡々とした風情。彼ひとりだけが、さっきのポジションから一歩も動いていなかった。

 他でもない、己の代役を捜してる張本人──坂上だ。

 狭苦しい地下駐車場の中、無駄にデカいアメ車でさんざん追い回してきた頭がどうかしてるヤツらは、どうやら自分の母と同居人だったらしい。

 中野は首を振りつつ溜め息を吐いた。彼ら二人の他は知らない顔だけど、正体を知りたいとも思わない。

 チラリと目を寄越した坂上が、無言のまま可南子に小さく頷いてみせる。

 それを受けた母が、果たして託宣の如くこう告げた。

「ケイが不在の間、あんたのガードは彼に任せるわ。えっと、新井くんにね?」

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