s1 ep14-3

 坂上とすげ替える同居人候補の話は一旦切り上げた。前を行く数台の車列の向こうに、地下駐車場の入口が見えてきたからだ。

 クルマを停めるパーキングは、日々別の場所に変える手段も検討されたらしい。

 が、会社までの移動距離が下手に伸びても本末転倒な結果になりかねない。そんな判断がなされ、結局は会社が入居するビルの地下駐車場一択になったという。

 ただし出入りの都度、新井たちの組織の人間が警戒要員として配置されてる……って話だったけど、彼らの姿を中野は見たことがない。見たことはないけど、まぁでもきっとそうなんだろう。

 ところがこの日は地下に降りた途端、新井の様子が一変した。

 平素にはない緊張を顔面に掃いた同僚は、警戒レベルマックスの眼差しで周囲を舐め回しながら、いつも以上に慎重な風情でクルマを転がしはじめた。

「どうかした?」

「見張りがいない」

「いつも見えないけど」

「お前にはな」

 草食系の外観にそぐわない、硬い声が跳ね返ってくる。

 彼らを乗せた国産SUV──国内外の公的機関でも採用される定番のランドクルーザーは、無難な速度を保ったまま所定の駐車スペースを通り過ぎて通路を回り込んだ。

「停めないんだ?」

 尋ねたが答えはなく、レーンの分岐で出口に向かうスロープへと頭を突っ込みかけた、そのときだった。

 突如、一方通行であるはずの通路の正面から、黒光りする別のSUVが排気音の咆吼とともに突進してきた。

 スロープの傾斜も手伝い、ソイツは文字通りイノシシさながらの猪突猛進で瞬く間に肉薄する。

 が、運転席の新井だって手をこまねいてたわけじゃない。

 その姿を認めた瞬間、セレクタレバーを間髪入れずRに叩き入れ、親の敵のような勢いでアクセルを蹴り込んで猛然と後退を開始していた。

 急な前方向のGに振り出された中野の身体を、シートベルトが頼もしく受け止める。

 それにしても、あのクルマ──

 一台分の幅しかない通路で、一体いつから逆向きに待機してたんだろう?

 中野たちが現れるまでの間に、出庫したい無関係のクルマが進入したらどうするつもりだったんだ? 姿がないという警戒要員たちも、ヤツらに排除されちまったのか?

 いくつか浮かんだ些末な疑問は、しかし絶賛取り込み中の同僚に尋ねるわけにもいかない。

 信じがたいスピードでバックしながら忙しなく前後に配る新井の目に、もはや平素の草食男子の色はない。ナビシートの肩を掴む指先の白い変色が、その力加減を思わせる。

 薄暗く殺風景な地下駐車場、コンクリートの路面や等間隔にそびえる柱で構築されたモノクロームの回廊。

 両脇に並ぶ駐車車両は、あたかも古城の通路を固める騎士の像だ。

 彼らの鼻先を掠めるように──否、時折ちょっぴり擦りながら、スキール音を響かせてさっき辿ってきたルートを逆回りに折れる。遠心力で、中野の身体が今度はドアに押し付けられた。

 それでも僅かながらスピードが落ちた隙を突いて、あっという間に眼前まで迫った、まるで騎士の甲冑のバイザーみたいなクロームメッキ。

 蛍光灯の光を反射するグリルのド真ん中に貼り付いてるのは、よく見えないけどキャデラックのエンブレムだろうか?

 だからどうして、この狭い日本でわざわざこんなゴツいクルマを転がすんだ?

 しかも殊更狭苦しい地下駐車場なんかで鬼ごっこをおっ始めるなんて、頭がどうかしてるんじゃないのか──中野は思い、撤回した。

 じゃないのか、じゃない。頭はどうかしてるに決まってる。

 数メートルの距離で鼻面を突き合わせた二台のSUVが次の曲がり角に差し掛かったとき、入口レーンから進入してくる一台のクルマが見えた。

 運悪く居合わせた一般車か、それとも敵か。どちらともつかない黒っぽいセダンの前をスレスレで摺り抜け、路面に描かれた進入禁止マークを踏み越えて、最初にSUVと出くわした分岐点からバックのまま出口レーンに突っ込みかけた。

 が。

 なんとそこには、正面からやってくるキャデラックの双子みたいなヤツがもう一台、こちら向きに待ち構えていた。もちろんコイツも一方通行の指定方向を無視する形で、だ。

 ほんの一拍のブレーキとともに、ステアリングを握る荒井の右手が角度を変える。

 一瞬後にはメーターパネルの針が揃って跳ね上がり、中野を乗せた重装甲仕様車は更に下層フロアへと下る通路に尻から飛び込んでいた。

 そう、文字通り飛んだ。

 螺旋スロープの天辺でふわりと浮いたランクルの車体を、次の瞬間タフなサスペンションが受け止める。

 着地の衝撃とともに外周の壁に尻が擦れ、弾かれて内周の壁に接触し、側面を擦りながら数秒下るうちに体勢を立て直しつつ、速度をほとんど落とすことなく先の見えないカーブを猛スピードでバックしていく。

 窓の外には、飛ぶような速さで前方に流れ去る両脇の壁。

 まるで、新幹線で後ろ向きに回した座席から眺める防音壁だ。

 否、周回しながら落下していく感覚は遊園地のアトラクションか。

 大丈夫? 運転席の同僚にそう尋ねようかと考えたのは、僅かでも恐怖心が生まれたわけじゃなかった。もしも壁に激突でもして事故死したら、二度と坂上に会えないと思ったからだ。

 鬼退治の件を責めるような態度を取ったまま家を出てきた。

 彼が命を落とすくらいなら自分が死んだほうがいいとは言っても、最後があんな別れ方ってのはいただけない。

 でも幸い、ランドクルーザーは何事もなくスロープの終点を迎えてフロアに躍り出た。

 多分、実際には大した周回数じゃなかったはずだろう。だけど体感的には七周くらいした気分だった。

 下階は空いていた。

 新井の靴底が再びアクセルをベタ踏みするのとほぼ同時に、キャデラックもスロープから飛び出してくる。敵が鼻先をこちらに向け直す前に速度を跳ね上げ、猛然と後退を再開する。

 ふと、運転席の窓がスルスルと開くのが見えた。新井が開けたらしい。

 何をするつもりだろう? 中野が後部座席で首を捻った数秒後。

 窓越しに銃を構えた同僚が、いきなり壁に向けて立て続けに数発ぶっ放していた。エレベータの前を駆け抜ける瞬間だった。

 リアガラス越しに振り返ると、遠ざかる四角い光景の片隅でインジケータのランプが下がりはじめていた。

 まさか、銃弾でホールボタンを押したのか──?

 敵に追われてバックで爆走する運転席から?

「え? いくら何でも出来過ぎだよね?」

 思わず漏らした呟きに、らしくもない怒鳴り声が被さる。

「ドアを開けろ!」

 何故、なんて尋ねるシチュエーションではないようだ。

 中野が素早く傍らのドアを開け放った直後、右側面から揺さぶられるような衝撃が身体を襲った。

 一定間隔に並ぶ支柱のひとつに扉を叩きつけたらしい。根こそぎもぎ取られてコンクリートの路面に叩きつけられたドアパネルが、フロントガラスの彼方で小さくなる。

 通路に横たわった障害物を器用に避けつつ、アメ車のSUVが執拗に追って来る。

 落ちないように掴まってろ! という新井の声を搔き消すように、ぽっかり空いた開口部から直に雪崩れ込んでくる6・2リッターエンジンの野太い唸り。

 だけど、何をするつもりかなんて尋ねるシチュエーションでも、やっぱりない。

 前方から迫り来るキャデラック・エスカレード、ドアが吹っ飛んだランドクルーザー。二台分のタイヤがコンクリートを擦るスキール音が、薄暗い地下フロアに入り乱れてエコーする。

 そういえば、さっき出口を塞いでたもう一台はどこにいるんだろう?

 挟み撃ちにするつもりで逆方向から回ってきてる、と考えるのが妥当なんだろうけど、だったらそろそろ出くわすはずだよな──そう思い、リアガラスへと首を捻った中野の視界に、折しも後方の角を曲がってくる黒いボディが登場した。そのときだった。

 後頭部に、同僚の鋭い声が突き刺さったのは。

「降りて乗れ!」

「え?」

「降りて乗って閉めるんだ!」

 一体、何を言ってるんだ?

 訝った途端、右側面から体当たりするような勢いで壁を擦りながらランクルが急停車した。

 ところが止まってみると、中野の真横にだけは壁じゃなく空間があった。

 ドアが吹っ飛んだ開口部の目の前には、鈍く光る銀色の扉。

 エレベータだ。いつの間にか一周していたらしい。平坦なステンレス鋼の表面にの浅い凹みがいくつか見えるのは新井が放った弾痕か。

 箱を呼ぶためのホールボタンはぶっ壊れていた。それでも回路は生きてるのか、それとも遮断される寸前に指令が送られたのか、さっき目にしたインジケータの下降は中野の見間違いじゃなかったようだ。

 その証拠に甲高く柔らかな音がひとつ、場違いなくらいのんきに響いた。箱の到着を報せるチャイムだった。

 人間たちの乱痴気騒ぎなんかどこ吹く風で、二枚の扉が粛々と左右に分かれた。

 ──降りて乗って閉める?

「早くしろ!」

「新井は?」

 訊き返しながらフロントウィンドウに目を遣ると、数メートル先でこちら向きに停車したキャデラックの巨体。振り返れば、後方にも同じく佇む双子の片割れの姿。

 どうするつもりなのか知らないが、双方ともドアが開く気配はまだない。

「食い止めるから早く行け、俺の仕事を無駄にするな」

 この瞬間に考えるべきことはいくつかあった。

 が、中野が何を言おうと一切聞く耳は持たないと全身で撥ね付ける同僚が、抑えた声でこう怒鳴るのを聞いた瞬間、肚が決まった。

「乗ったらヒカルに電話しろ!」

 普段は落合さんと呼ぶ新井が、だ。

 シートを蹴って飛び出し、今まさに閉まらんとする入口から箱に転がり込んだ。ほぼ同時に、靴先を掠めて扉がピタリと合わさる。

 膝のバネを利かせて身体を起こしながら、中野は片手を伸ばして適当な階のボタンを叩き込んだ。

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