s1 ep13-7
マックスが中野の要求を呑んだのか。坂上は隙を突けただろうか──?
それにしても人間の脳味噌ってのはすごい。
弾を喰らってもこうして、ものを考える余裕があるとはな。
前にも一度、流れ弾に当たったことはあった。坂上とヒカルが地下室でドンパチをやらかしたときだ。
あのときと違って全く痛みを感じないのは、今回は撃たれたのが頭で、痛みを感じる部位を損傷したからだとか、そういうことなんだろうか──否、待てよ?
もしそうだとしたら頭を撃たれたけど生きてるってことか? 今は生きてるけど、もうすぐ死が訪れる? だからこんなに腹の底が静かなのか?
のんきに自問する間に、視界の中でハゲ野郎の姿が緩慢に傾くさまを、中野は椅子からぼんやりと眺めていた。
床に崩れ落ちた身体目がけて更に五発の銃弾が撃ち込まれ、運転手の死体を邪魔くさそうに跨いだ黒ずくめの何者かが、憎々しげな圧力を込めて息絶えたマックスにダメ押しの二発を喰らわせる光景も。
「ケイ、大丈夫?」
黒いロングコートのフードを被った細身の人物は、坂上に近づくと性別不明のハスキーな声で問いかけた。
身長は坂上との差からして、170センチ足らずか。黒い鉄砲を握る右手は、無慈悲な振る舞いのわりには華奢に見える。左手にレースアップのエンジニアブーツをぶら提げてるのは、音を立てないように脱いだんだろうか? 黒いスリムカーゴの裾から真っ赤なソックスの足先が覗いてるのが、やたら目を惹く。
問いかけに頷いた坂上の顔には、微かな警戒が浮かんでいた。
注意すべき相手だからなのか、それとも知らない人物だからなのかは読み取れない。
が、彼の下半身がまだローライズを穿いていたことに安堵する間もなく、腰に手を当てて振り向いた乱入者と目が合い、中野は瞬時に悟った──これはどうやら、新井やヒカルが乱入してくるよりも遥かに映画やドラマっぽい展開が訪れたらしい。
「すっかり大人になったわね、湊。これ、言っとくけど褒め言葉よ」
フードを払い除けて言ったベリーショートの女をたっぷり十秒見つめ、中野はゆっくりと首を傾けた。
「うん、そっちも老けたみたいだね」
「当たり前じゃない、生きてれば誰しも平等に年を取るんだから」
「生きてれば、ね」
中野の呟きは聞こえなかったことにしたようだ。
彼女は素知らぬ風情で自分が蜂の巣にした男のポケットを探り、取り出した鍵で坂上の手錠を外した。小さく礼を言った同居人が、怪訝な目で中野と女を往復する。
その無言の問いかけに答えるべく、中野は拘束されたままの椅子から紹介した。
「母の可南子だよ」
「──」
沈黙は数秒だった。
再び二人を視線で往復した坂上は、まず足元からデニムを拾い上げて片脚ずつ突っ込んだ。次にバックルを嵌めながら、普段どおりのテンションでどちらへともなくこう言った。
「亡くなったって聞いたけど」
「うん、俺もそう思ってたんだけどね。死んだんじゃなかったっけ?」
前半は彼への答え、後半は母に向けた問いだった。
中野が中三のときに事故死したはずの母親は、昔はストレートロングだった髪が極端に短くなったことや随所に滲む年齢を除けば、思いのほか変化は感じなかった。強いて言えば髪型やファッションのせいなのか、それともエストロゲンの減少によるものか、随分とユニセックスなタイプになった気はするけど、意外にもその程度だ。
いろいろ事情があるのよ、と端的に答えてエンジニアブーツを履く姿は、遠目に見れば華奢な男だと言われても違和感がない。
「事情ね、まぁいいや。ところで、俺の手錠も外してもらえないかな」
「ケイの窮地には大声で怒鳴ってたっていうのに、久しぶりに会った母親にはその反応?」
「そりゃ、久しぶりに会ったどころか死人が生き返ったわけだけどさ。中学生の息子をほったらかして姿を消した挙げ句に死んだって聞かされた母親が四半世紀近く経って突然現れても、言いたいことがあり過ぎて収拾つかないしね」
「そういうところ、変わってなくて嬉しいわ、湊」
可南子が目を細め、コンバースを履き直している坂上のほうを見た。
「だけど変わったところもあるようね、いい方向に。初めて見た息子の熱気に当てられて、お母さん、ちょっと撃ちすぎちゃったみたい」
照れ臭げに言うそれは、マックスに使った弾数のことだろうか。
黒いコートを翻して死神さながらに登場し、男ひとりに十発もぶち込んだ母親は、今はほんのり鼻の頭を赤くして手のひらで坂上の頬に触れていた。
「私を覚えてるかしら、ケイ。あんな別れ方だったから、また会えたなんて信じられないわ。しかも湊を守ってくれてるなんて、こんな嬉しいことってないわね」
母のほうこそ、息子に対するよりもよっぽど感極まった涙声だった。
一方の坂上はコミュ障が発動でもしたのか、何を言えばいいのかわからないといった風情でしばらく黙り込んだ末、俯き加減に不器用な口ぶりでこんなことを漏らした。
「──髪が……短くなりましたよね」
「そうよ、覚えてくれてるのね。あんなに小さかった子がこんなに立派に育って……ミーシャにも見せたかったわ」
ミーシャってのは坂上と暮らしていた、そして母と恋仲になったという、ミハイル・レフチェンコだろう。
ぼんやりとした記憶しかない隣家の男を脳裏に呼び出し、中野はそこにかつての母親の姿を並べてみた。が、結局、男の姿がわからない以上どんな像も結べないから速やかに終了して、代わりに別件を口にした。
「感動的な再会を邪魔したくはないんだけどさ。そこに倒れてるハゲが、もうすぐ迎えがくるみたいなこと言ってたし、そろそろ外してもらってもいいかな? これ」
未だに不自由な両手を広げてみせると、可南子が何かを思い出したような顔でスマホを取り出しながら坂上を見た。
「ケイ、湊の手錠を外してあげてくれる?」
すっかり身なりを整えた同居人が小さく頷く。彼は落ちている武器を次々と拾いながら近寄ってくると、手早く中野の拘束を解いた。
「あんた、なんで言いなりだったんだよ? あんなヤツにあそこまでさせて」
「アイツが仲間を殺すところを見ただろう。射撃の腕も非情さも、俺たちの中でマックスの上を行く者はいなかった」
平素と全く変わらない、平坦な声が返る。
「だからどんな手段を使っても、ヤツの注意をあんたから逸らしておきたかったんだ」
「そのためにパンツの中まで許したって? そんな守り方されたって俺は全然嬉しくないよ。だけど、とにかく……無事で良かった。いや良くない、でも良かった。全然良くないけど良かった」
「何言ってんのかわかんねぇ」
呟くように坂上が言い、静かな恫喝が続いた。
「それよりあんた、俺が昨日言ったことを聞いてなかったのか? 俺がどうなろうとあんたは渡さない。自分を撃てなんて馬鹿なことは二度と言うな」
「あぁ、ごめんね。だけど俺も言わせてもらうとさ、あんたがヤツらに連れ戻されるのを阻止できるんなら、何発弾を喰らったって俺は構わないよ。でもその代わり、ちゃんと逃げ延びてくれなかったら化けて出るけどね」
言ったそばから、薄っぺらな軽口を密かに反省した。人は死ねば有機化合物の塊になるだけで、霊魂なんてものは存在しない。そう思ってる自分が「化けて出る」なんて言ったところで、彼に響くものは何ひとつないだろう。
だけど幸か不幸か、坂上は不出来なジョークには無反応で、ついでに無言だった。
決して中野の言葉を受け入れたわけではないと思う。だけど互いに自己犠牲を押し付け合ったところで、それこそ不毛な応酬になるだけであって得られるものは何もない。
どこかへ電話をかけていた可南子が声を投げてきた。
「二人とも行くわよ。迎えがくるわ。ヤツらじゃなくて、私たちのね」
「迎え?」
「安心して、私の協力者だから」
「そうやって、みんな誰かに助けられてるんだね」
「そりゃそうよ。何事も一匹狼なんて気取ってみせたって、所詮は手が足りなくていずれ窮地に陥るのが関の山なんだから。それよりも他人を見る目を肥やして、信用できる必要最低限の人間を周囲に配置する知恵のほうが大事ってこと」
「どうりで、人って字が支え合ってるわけだ」
我ながら適当すぎるコメントを返した中野は、母に従って階段を上がりかけたところでハッとして足を止めた。
「ちょっと待って。あの彼の銃を持っていきたいんだけど、いいかな」
上段から母が、下段から坂上が、怪訝な目で挟み撃ちしてくる。
「そんなものどうするんだ?」
と、下段の同居人。
「どうするわけでもないけど、あんたのパンツの中に入ったモノを知らないどっかの誰かに触らせたくない」
「──」
坂上が眉間に不愉快を刻んで引き返し、上段の可南子が唇の端をニヤつかせた。
「ケイのパンツの中まで心配するようになるなんて、お隣さんだった頃の湊からしたら考えられないわよねぇ」
「さっきから気になってたんだけどさ」
中野は母の揶揄を受け流して首を傾けた。
「Kって呼んでるんだよね? 彼のこと」
「そう、ケイよ」
「ケー?」
「ケイだってば。ケ、イ」
ゆっくり区切られた発音を脳内で反芻する間に、鉄砲を指先で摘むようにぶら提げた同居人が戻ってくる。
その姿に何気なく目を遣ってから、中野は再び母のほうへ顔を戻した。
「ケイ?」
「なぁに? 彼の本名じゃない」
「え?」
「本名ったってファーストネームしかないし確証はないけど、多分そうなんじゃない? ていうか湊、知らなかったの? やだ、もしかしてケイも? え、あんたたちの周り、誰も知らなかったの?」
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