s1 ep13-4

 一旦降りて姿を消した運転手が程なく戻ってくると、フルサイズバンはどこかの建物の中に乗り入れた。どうやら目的地に到着したらしい。

 走っていた時間は、そう長くはなかった。せいぜい十分程度か。

 フェンス状のディバイダーから外された手錠をすぐに後ろ手に嵌め直されて、中野は車外へと連れ出された。

 もとはガレージか倉庫、もしくは古い店舗スペースだったんだろう。隅のほうに僅かな廃材が積んである他は何もない。騒々しい音を立てて運転手が入口のシャッターを閉める。埃臭い空間が外界から遮断され、コンクリート打ちっ放しの薄汚れた床を高窓からの日差しが仄暗く照らし出した。

 床と同じくらい古びた壁には、ドアが一枚貼りついていた。

 男が無造作に押し開けた扉の向こうには、これまた古びた階段が下方向に伸びていた。狭さ、暗さ、傾斜ともに自宅の押入の階段といい勝負だ。

「みんな地下室が好きだよね」

 銃で促されて下りながらコメントした中野に、投げ出すような反応が背後から降ってきた。

「音が漏れないからな」

「あんた、日本語上手だよね。やっぱり、あれ? 四十八時間でペラペラになれたりするような、秘密の習得法みたいなヤツ?」

「──」

 返事がなかったのは、答える気がないというより意味がわからなかったのかもしれない。

 上階と同じくコンクリートに囲まれた殺風景な地下空間に降りると、今度は無愛想な椅子に両手両足を拘束された。ちなみに、彼の手際の良さときたら素人目にも神業と思える域で、ある種の業界に転職すればさぞかし重宝されるに違いないテクニックだった。

「こういう技術をさ、ベッドでも活用することってあんの?」

「──」

 男は一瞥を寄越しただけで、部屋の隅から椅子を一脚引き摺ってきた。

 パイプに錆の浮いたそれを中野の正面に置き、向き合う形で尻を据える。天井に並ぶ蛍光灯の明かりが、無精髭面に煤けた光と影を落とす。運転手は上で見張り役でも担ってるのか、降りてくる気配がない。

 幸い、室内には吊るすためのフックや拷問道具が並ぶテーブルは見当たらないから、余程のことでもない限り銃以外の手段に訴えられることはなさそうだった。

「ティーナがお前とデキてるって噂は本当なのか」

「え?」

 唐突な問いに中野は数秒、目の前の顔をまともに見返した。薄いブルーグレイの虹彩に囲まれた暗い瞳孔が、言い逃れは許さないとばかりに圧力を籠めて中野を射貫いてくる。

「それ、どこの店の女の子?」

「女じゃない。お前を守ってる殺し屋だ」

 中野は更に数秒無言で思案してから、ゆっくりと首を傾げてみせた。

「そんな女子っぽい名前の殺し屋は知らないな」

 女子っぽい……? 呟いた男が眉間を寄せて沈黙する。さすがの四十八時間習得法を以てしても、理解の及ばないボキャブラリィだったんだろうか。

 とにかく、敵はこう言い直した。

「お前らの呼び名で言えばわかるのか? K、とな」

「さぁね、俺がそんな名前で呼んでる殺し屋もいないよ」

「じゃあ、お前がどんな名前で呼ぶ殺し屋ならいるんだ?」

「あんたに教えてやる義理なんてなくない? ていうか何だっけ、ティーナ?」

「正しくは、ヴァレンティン・スヴャトスラーヴォヴィチ・カミンスキだ」

 その名前をどう短縮したら『ティーナ』になるのかが咄嗟にピンとこなかったが、一種のお国柄というものだろう。だけど中野の感覚で言えば、何の脈絡もなく『プリン』なんて渾名を付ける暴挙と大差ない。

「長すぎて覚えられないよ」

「ヴァレンティン・スヴャトスラーヴォヴィチならどうだ」

「どうって言われても……ていうか、それ本名?」

「アイツに本名はない」

「じゃあさ、その真ん中の、父称? とかいうやつだっけ? お父さんの名前から取るんだよね。その舌を噛みそうな名前のお父さん役は誰なわけ?」

「お前に教えてやる義理なんてあるか?」

 意趣返しのつもりか、男は気のない声で中野の言を模した。

「まぁ、ないね。でも余計なお世話かもしれないけど、個人的にはミハイルさんに変えたほうが彼は喜ぶ気がするなぁ」

「──」

 無精髭面が若干の鬱陶しさを孕んだ、そのときだ。

 階段の上で扉が開く音がして、二人は同時に口を閉ざして同じ方向に視線を投げた。

 運転手だろうか? が、気のせいか、降りてくる足音は二組に聞こえる。

 男が表情を変えて素早く立ち上がり、椅子を掴んで中野の背後に回り込んできた。音を立てずに椅子を床に下ろして、ピタリと背中に張り付く気配。回ってきた筋肉質な腕が首をホールドする。側頭に無造作に押し付けられた銃口が痛い。

 だけど、それよりも耳の裏側に触れる息遣いと仄かに混ざる煙草臭が生々しくて、どうにも胸糞悪かった。

 果たして階段の下に姿を現したのは、両手を頭の後ろに回した運転手と、その後頭部に鉄砲を突き付けてる、ナントカ・ナンタラヴィチ・カミンスキ──つまり中野の同居人だった。

 ダークグレイのTシャツに黒いパーカー、ダークインディゴのウォッシュドデニム。足元は黒のコンバース。いつもと同じく特徴のないファッションで端然と佇む無表情が、室内にいた二人を目でひと舐めした。

「ティーナ……」

 思わず、といった風情で零れた背後の声。そこに知人以上の何かが滲んで聞こえたのは独占欲が生んだ邪推だろうか?

 一方、坂上のほうは特別な反応も見せず、ただポツリとこう漏らした。

「マックス」

 そこから先は、中野にはさっぱり理解できない言語──初めて同居人の口から聞く、彼の母国語オンリーとなった。

 平素と同じ抑揚のなさで、流れるように紡ぎ出される異国の言葉。そこへ、マックスと呼ばれた男の糾弾するような早口が跳ね返る。

 後頭部でヒートアップする語調に釣られて、中野のこめかみをグイッと銃口が押し遣った途端、坂上が腰の後ろから別の拳銃を引き抜いていた。滑らかな動作で躊躇いもなくこちらに向けられたソイツは、もちろん中野じゃなくマックスとやらを狙ってる……はずだと思う。

 突然、黙ってやり取りを聞いていた運転手が、突かれた風船みたいな勢いで何やらまくし立て始めた。その目は中野を通り越してマックスに向けられてる。まさかの仲間割れだろうか、ロシア人たちは互いに罵声を浴びせ合い、地下室を飛び交う応酬が白熱の一途を辿る。

 いずれにしても、何を言ってるのか中野にはさっぱりだった。

 ひとり蚊帳の外に置かれてるうちに退屈してきてしまったとしても、誰が責められよう?

 彼らにしかわからない言語で、彼らにしかわからない会話を延々と聞かされるうち、眠気覚ましに脳内でアテレコを始めてしまったからといって、誰にも文句なんか言われる筋合いはない。どうせ彼らは知る由もない。

 まずは後頭部で手を組んだまま喚き散らす運転手に、こんなセリフを嵌めてみた。

「男を誘拐して手錠プレイを楽しむのもほどほどにしろって何度言わせるんだ!? 俺だけで満足しねぇからこんな面倒くせぇことになるんじゃねぇか!」

 嫉妬深い恋人の詰問を迎え撃つのは、業を煮やしたようなマックスの声だ。

「お前こそ何度同じことを言わせるんだ? 満足して欲しけりゃ俺のやりてぇようにやらせろよ、拘束だけで目隠しバイブもさせねぇくせにデケェ口叩くんじゃねぇ」

 そこに割り込む、坂上の醒めた口ぶり。

「痴話喧嘩なら勝手にやってくれ。どうでもいいから早く俺の男を返してくれねぇか、ソイツを連れて帰って一発やらねぇと身体が疼いてしょうがねぇんだ」

 いくら脳内だからって、こんなセリフを言わせてみたと本人に知れたら撃ち殺されかねない。だけどアウトプットさえしなければ、何を考えようが個人の自由だ。

 が、このあとすぐ、のんきに見物してる場合じゃない事態が訪れることとなる。

「こんな関係を続けるぐらいなら、お前を殺して俺も死ぬ!」

 中野の脳内で運転手がいきり立ち、

「賛成だな、ただし死ぬのはお前だけだ」

 マックスが鼻先で嗤い飛ばした次の瞬間、耳元で鉄砲が火を噴いていた。

 脳内劇場じゃなく実際に、だ。奇しくも、退屈から始まったアテレコの流れに現実が同期してしまったらしい。

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