s1 ep13-5

 鼓膜を叩かれて臨場感を失った一瞬の間に、飛び出した弾丸がまっしぐらに敵の相棒目がけて吸い込まれていく。まるで画面の向こうの出来事みたいなその光景は、リモコンのスロー再生ボタンでも押したかのように、やたら緩慢な動きに見えた。

 椅子の上でぼんやり眺めていた中野の側頭に、役目を果たした銃口が間髪を容れず舞い戻る。

 あっという間の出来事だった。

 敵二人に銃を向けたまま微動だにせず構えていた坂上ですら、隙を突く暇もなかった。

 だけどそのチャンスを惜しむ気持ちは、誤って──多分、端から相棒を狙ったと見て間違いはない──坂上に当たったりしなかったからこそ湧き得たものだった。

 外気の影響を受けない室内とはいえ、あれだけの早撃ちだ。腕には相当な自信があっての振る舞いなんだろうけど、ほんの僅かでも角度が逸れていれば坂上に当たっていた可能性は大いにある。

 標的が崩れ落ちると同時に跳ね上がって凍り付いた中野の心臓は、坂上の無事を確認した直後、今度は早鐘を打つ勢いでドッと血流を再開していた。

 それでもなお表情ひとつ変えない同居人と、足元に横たわる運転手。床に広がり始める血の色。もし、あの姿が逆だったら──中野は想像して戦慄し、残った二人の間でロシア語の応酬が再開しないうちに素早く口を開いた。

「差し支えなければ、そろそろ日本語の会話に切り替えてもらえないかな。あんたたちの痴情の縺れには興味ないけどさ、いきなり相方を弾いちゃったりされたら、さすがに何が起こってんのか気になるよ」

 必要なくなった右手の拳銃を腰の後ろに挿しながら、坂上が眉間に不可解を刻んだ。マックスを見据えつつもチラリと中野を掠めた目の色合いは、おそらくこんな意味だった──痴情の縺れって何の話だ?

 一方、そんな情緒的な日本語まで理解できたかどうかは知らないが、案外律儀に要望を聞き入れマックスが中野にもわかる言語でこう言って寄越した。

「二つにひとつだ、ノゥリ。お前を連れて行くか、ティーナを返してもらうか」

「返す?」

「そうだ。アイツはもともと、俺のものだからな」

 中野は思わず同居人の顔を見た。

「この彼のものだった?」

「ソイツはそんなんじゃねぇ」

「じゃあ、これは誰?」

「俺がいた組織のメンバーってだけだ」

「それだけじゃないだろう、ティーナ」

 語調を強めたマックスの声は、まるで離婚寸前の妻を引き留めようと躍起になる夫さながらだった。

「俺とお前は単なる仕事仲間じゃなかった。そうだろう? あんなにも深く結ばれていたことを忘れたとは言わせないぞ!」

「彼はこう言ってるけど……?」

 中野が立てた親指で背後の男を指すと、坂上の能面に苛立ちの亀裂が走った。

「その男が言いたいのは兄弟分の絆的な話だ。俺に仕事のスキルを叩き込んだのは、ほとんどソイツだからな」

「なるほど、道理で射撃の腕がいいわけだね。で? 深く結ばれてた兄弟分の絆は、もうほどけてるって解釈してもいいのかな」

「もともと結ばれてなんかない」

「本気で言ってるのか?」

 割り込んできた声があまりにも殺気立ってるもんだから、中野はもう一度親指を立てて背後の男を指した。

「彼はそう思ってないみたいだけど大丈夫? ていうか念のためもう一回確認するけど、仕事のスキル以外のものも叩き込まれたりしてないよね?」

「──」

 坂上の顔面が、背後の男と同じくらい物騒な気配を孕む。

「わかった、ごめん。信じるよ」

 それこそ痴情が縺れかねない同居人たちのやり取りを、兄貴分の無粋な要求がぶった切る。

「戻ってこい、ティーナ。お前が一緒に来るなら、この男は見逃してやる。さもなくばコイツの命はもらって、お前も連れ戻す」

 さもなくば、なんて真顔で──後ろは見えないけど、多分──言うヤツ初めてだよ。

 そう喉まで出かかった言葉を、ふと浮かんだ疑問が押し退けた。

「ちょっと待った。それ、どっちにしろ彼を連れてくって言ってんの?」

「だったら何だ?」

「あんたさっき、俺を連れて行くか彼を返してもらうか、二つにひとつだって言ったよね。それに俺を拉致るときも、何て言った? 大人しく従ったら俺を守ってる殺し屋に手出しはしないって言ったよね? 言い出しっぺなんだから約束は守ってくんないと困るよ」

「約束するとは言ってない」

「そういう言い逃れ、男らしくないって自分で思わないわけ?」

「俺は追わないと言っただけだ。ティーナが自分から俺の元に飛び込んでくるのを阻止する気はない」

「そのエモーショナルな表現、わかって言ってるなら相当なネイティヴジャパニーズだと思うけど、ひとつハッキリ言っといてあげるよ。飛び込まないからね、彼」

 が、男は中野の声を無視して坂上に尋ねた。

「コイツを守りたいか? ティーナ」

「訊くまでもねぇ」

 弟分の即答が気に入らなかったらしく、兄貴分の声にひときわ圧力が加わる。

「だったらまず、銃を床に置いてこっちに蹴るんだ。後ろに差してるヤツもな」

「──」

「そんなもの持ってたってしょうがないだろう。わかってるよな? お前がその指に力を籠めた瞬間、俺はコイツの頭をぶち抜ける。だがまぁ、俺とコイツを心中させたいのなら好きにすればいい」

 余裕を滲ませるマックスに対し、坂上の眼差しはいつになく厳しい。下手に互いの力量を把握できてるせいだろうか。

「いいか、五つ数えたら引き金を引く」

 ゆっくりと、ロシア語らしき言語でカウントが始まる。

 動きがあったのは、三つめの「トゥリィ」を言い終えたときだ。

 坂上が無言で指示に従うのを見て、中野は思わず声を上げていた。

「駄目だ、あんたはそれを持ってここから出るんだ」

 が、同居人の答えは床を滑ってきた二挺の拳銃だった。

 それどころか、更にマックスから何事か指図されて、坂上は身体のあちこち──パーカーのポケットやデニムの足首の内側、背中やら靴裏のほか、一体どうやってそこにそんなものが? と疑問を禁じ得ない場所から大小取り混ぜて七本の刃物を次々に引き抜くと、鉄砲と同じく全てをこちらに滑らせてきた。

 だけど、ここまではまだ良かった。単に武装を解かれるだけなら、まだ。

 坂上が不自然に動きを止め、妙に硬い目で中野を掠めた。

 何だろうかと不安をおぼえると同時に、パーカーを脱ぎ捨てた同居人が無造作にTシャツの腹を捲り上げるのを見て、中野は再び声を上げていた。

「待った、何やってんの? あんた」

「脱いでる」

「見ればわかるよ、何のために?」

「まだどっかに武器を隠してないか確認したいらしい」

「どこまで確認すんの? まさか最後の一枚の中までとか言わないよな?」

 どちらへともなくぶつけた詰問には、しかしどちらも答えてはくれなかった。

 坂上の身体から抜き取られたTシャツが、ふわりとパーカーの上に落ちる。次に、黒のスニーカーソックスもろとも床に放り出されるコンバース。

 続いて、彼の手がデニムのフロントボタンにかかったところで反射的に立ち上がろうとした中野は、椅子が床に固定されてることに今更ながら気づいた。

 これまでは、闘えもしない自分が下手に動いたって逆に事態を悪くするだろうと、敢えて大人しくしていた。だけどもはや冷静に理性を働かせてる場合じゃない。なのに、これでは悪足掻きのしようもない。

 腹の底からせり上がる焦りと腹立ちに押し出され、気がついたら自分でもビックリするぐらいの大声が迸っていた。

「ちょっと、一旦ストップ! ていうかオッサン! 俺の後ろにいるハゲ、あんただよ! 今すぐやめさせて! それともストップじゃ通じない? ロシア語で何て言うんだよ? これ一体何の確認してんの? 兄弟分っぽい絆はどこいったんだよ……!?」

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