s1 ep12-12
「とにかく、みんな頑張ってんだから面倒くさがってないでしっかりしてよね!」
一喝したヒカルが苛立たしげに説明を続行する。
「何だっけ、あぁ警戒レベルが上がった話か。それについては三日前、愛人のエレオノーラと息子のイーゴリが、強盗事件の巻き添えを喰らって親子共々亡くなったのがきっかけよ」
「まさか偶然じゃないよね」
「まぁ間違いなく正妻サイドの仕業ね。彼女、自国内で事が済む愛人親子についてはフリーランスの賞金稼ぎたちに任せてたみたいなんだけど、始末した実行グループに報酬を支払わなかったのよ」
「なんでまた?」
「仕留めたのがターゲットだって百パーセント確認できることが、賞金を出す条件なんだけどさ……」
「写真を送るぐらいじゃ駄目なわけ?」
「駄目。本体もしくはDNAが確認できるパーツを持参するか送りつけるかしなきゃならなくて、送る場合は更に自分が仕留めたっていう確たる証拠も必要になるの」
「パーツ持参っていうの、なんかやだね」
肩を竦める中野に、ヒカルが皮肉っぽく目を眇めた。
「ミナトだって切り取られるかもしれないんだからね」
「でも俺のところにくるのは、正妻が依頼した組織の派遣スタッフだよね? それでも、そんな証明が必要あんの?」
「組織も前金は受け取ってるけど、本人確認ができなければ成功報酬をもらえないのよ」
「随分と疑り深い奥さんだなぁ」
「それに、ここまでリミットが迫っても成果が挙がらないことに業を煮やしたヴェロニカは、もうなりふり構わず日本にいるミナトも賞金首にしたのよ。だから今後はどんなヤツがやってきて、どんな風に刻まれたっておかしくないってこと」
ヒカルは坂上をチラリと見てから、更に続けた。
「さっきKが、国内の人手が足りなくなったから外からもやってくるとしか言わなかったのは、ミナトに不安を与えないための優しさだったのかもしれないけどね。ちゃんと知って覚悟しておくべきだと思うわ。これからはカネに目が眩んだ危ないヤツらがどんどん日本に入ってきて、ミナトの死体争奪戦をおっ始めるって事実をね」
「心しておくよ。で、つまり三日前の実行グループは、せっかく頑張ったのに提出物を用意できなくて徒労に終わったってこと?」
「そう。どうやらパーツを回収するタイミングを逃したらしくて、しかも挽回のチャンスが訪れないまま、何故か忽然と死体が消えた」
「消えた? 二人揃って?」
「親子共々ね」
「それも正妻の仕業?」
「多分。そうしてしまえば報酬を支払わなくて済むし、その分を残るもうひとり、ミナト抹殺の賞金に上乗せすればハンターたちの士気も高まって一石二鳥ってわけよ」
「なるほど、それで倍額か」
「ついでにエレオノーラのときみたいにうまくいけば、次も払わずに済むかもしれないしね」
とにかく、これでわかった。やってくる客たちが手っ取り早く片付けずに、まどろっこしい真似をして連れ去ろうとしたり、わざわざ人目のない環境を作って至近距離で始末しようとしていた理由が。
一介のリーマンを消したいなら、何もそんな手間をかけなくたって、通勤ラッシュ時の地下鉄ホームで電車が入ってくる騒々しいタイミングにでも一発ズドンとやればいいことだ。
なのに何故そうしないんだろう? と常々感じていた疑問が、やっと氷解した。
「けどさ、だからって一生遊んで暮らせるような額になったりすんの? それって」
「確かに破格の報酬で、聞いた話じゃ百万ドルになったとも言われてるけど……」
「ただのリーマンを殺すために百万ドル? 馬鹿なんじゃない?」
「だから、馬鹿みたいにカネのある世界の話なのよ」
ヒカルの投げやりな言葉尻に、ふとアンナが疑問を乗せてきた。
「だけど百万ドルなんて、遣いようによっちゃ、あっという間に消えちゃうわよね。遊んで暮らせるなんて誰が言ったの?」
どんな遣い方をしたら百万ドルなんてカネがあっという間に消えるのか、しがないリーマンには想像しにくい。が、そこには触れずに中野は彼女の足元を指差した。
「遊んで暮らせるって表現じゃなかったかもしれないけど、そこに落ちてる彼が言ったんだよ」
するとアンナは呆れ顔でダミアンを覗き込んだ。
「あんた、意外と慎ましやかな生活でも送ってるわけ?」
「そりゃあ賞金だけならその額だけど、ダンナが死んでフリーになったヴェロニカは寂しさを癒してくれる相手を探してるんだな、これが。手土産を持参すれば、取り入る成功率もグッと上がるってもんだろ?」
「なぁんだ、そんな皮算用? 上手いことそのお零れを狙えるとしても、ありつけるのは男だけってことね」
「ところがなんと、彼女は両方いけるクチなんだ」
それを聞いた途端、武器商人の顔面に浮かんだ不敵な表情は、ライバル心の顕れか何かだろうか。まさか、正妻の寂しさを癒す役に俄然興味が湧いたわけではないと思いたい。
とにかく賞金についても大体わかった。だけど不快感の残滓が積み上がっただけに過ぎず、中野は早々に興味を失った。
「ところで、愛人の息子って三歳とか言ってなかったっけ? その愛人は本気でその子を後継者に据えようなんて思ってたのかな」
さぁね、というヒカルの声に、いいや、とダミアンが否定を被せた。
そんなに喋る元気があるんなら、そろそろ起き上がればいいのに……と思っていたら、男はあろうことか己に載っかる女王様の
恍惚を掃く血だらけの面構えにヒカルがおぞましげな一瞥を叩きつけ、クリスが比喩でなく鼻の下を長くして羨望の眼差しを放つ。窓辺の二人は、もはや我関せずの態だった。
「いい気にならないことね、あんたに私の脚を愛でる資格はまだないわよ。言いたいことがあるなら発言させてやるから、余計なことはせずにさっさと喋りなさい」
まだないっていうことは、いつかは資格を与えられるんだろうか。誰もが思ったに違いない疑問は、誰も口にはしない。
女王様に命じられた下僕が嬉々として発言した。
「エレオノーラの狙いは、息子を後継者にすることじゃなかった。正妻ヴェロニカと長男のノゥリを消して、ヴェロニカの息子セルゲイの妻の座に収まることだったんだ。何たって、彼女はまだ二十八歳だったからね」
中野は今日何度目だかわからない溜め息を吐いて、両手のひらを掲げた。
「わかった、もう十分だよ。十分っていうか沢山だ。俺は何にも狙いたくないし、できればゲームから外してもらえたら有り難いんだけどな」
そのボヤきに応じたのは、意外なことに坂上の平坦な声だった。
「プレイヤーが勝手に降りることが許されないのが、このゲームの困るところだ」
「だけどさ、随分不公平だと思わない? 百万ドルなんて賞金を出すような相手に、一介の庶民リーマンがどう対抗しろって言うんだよ?」
「だから彼らがいる」
彼ら──?
坂上の視線を追った先で同僚たちの顔を目にして気づいた。そういえば二人の本業について、中野は未だによく知らない。
「その話も聞いといたほうがいい?」
うんざりした気持ちが漏れてしまったと見え、ヒカルが非難がましさを交えて溜め息を吐いた。
「別に聞かなくたって支障はないんじゃない?」
「うん、じゃあ聞いとくよ一応」
「何なのその天邪鬼……?」
険を孕んだ後輩に代わって、先輩である新井が口を開いた。
「五年前、とある病気で余命宣告されたミトロファノフ氏は、うちの組織に中野のガードを依頼してきたんだ。また妻が暴走する恐れがあるからって」
「また?」
「どうやら昔、お隣さんが派遣されてきたのは正妻の長男が生まれたタイミングだったらしいな。息子が誕生したのを機に、将来邪魔になりそうなものを一掃しようと考えたのか……確かなことはわからないし、それが失敗に終わったあと大人しく引き下がってた理由も不明のままだけど、とにかく再び何かやらかしそうだと危惧したらしい」
そこで新井の声が途切れると、全員の視線が何となくアンナのショートブーツの下に集まった。
「しょうがないなぁ、真相を教えてやるよ」
「さっさと吐きな」
ブーツが一閃し、苦痛の中にもどこか陶然の香りが漂う呻きのあと、ダミアンが説明を始めた。
「ただしヴェロニカがカナコ抹殺を思い立った理由までは知らないぜ? ソイツはさておき、ミハイルが消されたあと、カナコとノゥリも死んだものと思われてた。情報が偽装されてたんだ。だけどミトロファノフは二人が生きてることも、のちにカナコが事故死したことも把握してた。一方、長年まんまと死亡説に騙されてたヴェロニカは、ダンナの余命宣告が引き金となって疑心暗鬼に陥り、カネで雇った人間にノゥリの生存を突き止めさせた。手を尽くして調べ上げたのは彼女じゃないとは言え、女の執念だね」
「女の、は余計よ」
「失礼しました」
「で?」
「で、妻にバレたことにダンナも気づいて、ノゥリのガードを依頼したってわけ」
なるほど、と中野は思った。
どうりで、偏執的なほどターゲットの本人確認をしたがるわけだ。偽装に騙され続けた経験から猜疑心の塊になっても無理はない。
「でもそんな巧妙な偽装工作、一体誰の仕業だったのかなぁ」
首を捻ったのはクリスだ。が、目は膝に置いたマシンのディスプレイを見たまま、指は止まることなくキーボードの上を走り続けている。
「いや、俺もそこまでは知らないよ?」
ダミアンが言うとヒカルが小馬鹿にしたような声を放った。
「なぁんだ、その程度か。大したことないわね」
「でも俺しか知らなかった情報、ここまでで結構あったよな!?」
「あんたの飼い主だった殺し屋の女から掠めた情報でしょ?」
「だけじゃないから!」
ヒカルとダミアンのやり取りを横目に、中野は話を引き戻した。
「まぁとにかく、迷惑極まりないことに変わりはないけど、一番不利な弱者にハンデをくれてたってことになるのかな。でもさ、そんなに前から契約してんのに、新井たちのとこは死後一年まで報酬をもらえないわけ? なんかさっき、そんな感じのことをチラッと言ってなかったっけ、ダミアンが」
ノゥリまでダミアン言うなよ! という当人の抗議に反応する者はなく、新井が小さく首を振った。
「通常の報酬は代理人を通じて月単位で支払われてる。それとは別口で、ミトロファノフ氏の死後一年目に中野が無事だった場合、後継者の指名とは関わりなく中野個人に入る予定のカネがあって、うちの組織が成功報酬として1パーセントをもらうことになってるんだ」
「命を懸けてんのに、たった1パーセント?」
他人事のような声を投げた中野に、何故か全員が微妙な眼差しを向けてきた。坂上までもが、だ。
「え? 何?」
「中野……」
「うん」
「お前が受け取るのは、十億ドルだ」
「へぇ、そう──ん?」
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