s1 ep12-11

 その直後、ヒカルが突然いきり立った。

「うるさいわね、そこから先はあたしが教えてあげるわよ! 全く、ちょっと自分しか知らない情報があるからってベラベラベラベラいい気になりやがって、腐れドMの死に損ないが! いい? 理由はこうよ。ミナトのお母さんは、その昔アレクセイ・ミトロファノフのフィクサーを請け負ってて」

 中野は早速、ストップをかけざるを得なくなった。

「待った。誰それ?」

「ロシアの実業家よ。資源関連産業を中心とする新興財閥のトップで、国外の民間銀行やら投資会社やらエネルギー関連企業なんかの株式も過半数を保有する、ロシア国内では五本の指に入る大富豪のひとり──だったと言うべきかしら」

「破産でもした?」

「亡くなったのよ、十一ヶ月前に。日本でも経済ニュースの片隅でささやかに取り上げられたけど、まぁほとんどの人は知らないわね。急変して予想より早まったとは言え病死だし、センセーショナルな報道にもならないし」

 十一ヶ月前と言えば、坂上と出会った──正確には、再会した時期だ。

「ところでフィクサーって何だっけ」

「カネや権力を持ってるヤツらが、厄介事に巻き込まれたときに使う問題解決人よ」

「あぁ、なるほど」

 母親がそんな仕事をしてたなんて初耳だった。もっとも物心ついたときには日本にいたわけだから、中野が生まれる前の話なんだろう。

 それにしても、一般家庭の家事でさえあんなに苦手だったのに、よくカネ持ちの厄介事なんか捌けてたものだな。中野は感心しつつ、軽く頷いた。

「うん、じゃあもういいや」

「いいって何が?」

「その話」

「始めたばっかりなんだけど……?」

「だって、もう何となく見えてきちゃったし。察するに俺の母は、そのカネ持ちのオッサンの愛人で、かつては正妻辺りに命を狙われて、今度は隠し子である俺が相続問題で狙われてるとか、そんなところなんじゃないの?」

「ざっくり言えば、ほぼその通りだけど、なんかもうちょっと驚きとか掘り下げて知りたい気持ちとかないわけ!?」

 まるで宇宙人でも見るような目とともに、ヒカルが人差し指を突きつけて寄越す。

「なんか時間の無駄だし、ざっくりした事実だけわかればいいよ」

「ミナトに普通の反応を期待したのが間違いだったわ」

「全く、雁首揃えてこんなヤツを守ってんだから、どうしようもねぇな」

 冨賀が呆れ、新井が嘆息して小さく首を振る。

「らしいと言えばらしいけどな……でも中野、本当にディテールは気にならないのか?」

「正直それほどでもない。あぁでも、そこの血まみれのお兄さんが言ってた一年計画だとか、そういや陣営がどうとかっていうのは気にならなくもないけど」

 クリスがき立ての餅みたいな顔面に疑問の色を掃いた。

「お父さんの資産額なんかは興味ないの? 中野くん」

「規模がデカすぎる匂いがして、まるでお伽話だね」

 本音を言えよノゥリ! とダミアンの野次が床から飛び出し、鬱陶しさを眉間に刻んだヒカルが、そのままの表情を中野に振り向けた。

「どうせ順を追わないと説明できないし、せっかく教えてやってんだから聞きなさいよ一応。後になって、聞いてないなんて文句言わなくて済むようにね」

「そうだね。じゃあ、どうぞ」

「ミナト好みにさっさと進めるわよ」

 まず、こんな説明から始まった。

 アレクセイ・ミトロファノフの死亡時に開封された第一の遺言状には、自分の死後一年間は後継者を指名せず、ナンバー2のヴィクトル・グサロフに代理を託すと記されていた。

 後継者の候補は三名。

 ひとりは正妻ヴェロニカの長男、セルゲイ二十六歳。

 もうひとりは愛人エレオノーラ・アレンスカヤの長男、イーゴリ三歳──

「そしてミトロファノフ氏にとっては一番上の息子ってことになる、ミナト、あんたよ」

「その顔ぶれ、俺だけ遠い場所にいてロシア語も喋れないとかじゃないのかな」

「そうね、でも関係ないの。氏は当たり前のことを好まないタイプだった。良くも悪くもね」

「既に十分迷惑な話だけど、遺言状が第一ってことは続きがあるわけだ?」

「そう、半年後に次の遺言状が開けられた。第二の遺言状にはこう書かれてた。その時点から更に半年後、つまり彼の死後一年目に生き残ってた候補を後継者として認める、と」

「ちょっと待った」

 中野は、またしてもストップをかけざるを得なかった。

「生き残るって何? それって後継者候補本人か、もしくは保護者とか後見人みたいな関係者がみんなで殺し合うことを、そもそもの前提にしてんの?」

「別に教唆も推奨もしてはいないけど、そういうことになるだろうって踏んでたんでしょうね」

「何その無責任? それに二人とか、もしくは三人全員残ってた場合はどうなるわけ?」

「その場合は、それぞれのケースに応じた指示が用意されてるらしいわ」

「完全にゲーム感覚だよね。ていうかさ、最初っから普通に正妻の息子でよくない? 事業の規模からしたら二十六歳ってのも若干微妙かもしれないけど、あとの二人は誰がどう見たって非現実的だよ」

 鳩尾の内側で、面倒くささと不快感が綯い交ぜになって膨れ上がりつつあった。

 そんな争続ゲーム、正直言って個人的にはまるきり興味がない。だけど、それをこの場で正直に口に出すのは少々憚られた。

 何故なら、ここにいる全員が──アンナのオットマンになってる男を除き──義務や自由意志の差はあれど、大なり小なり中野を生かすために命を懸けたり力を尽くしてきたわけだから。

「繰り返すようだけど、お父さんは普通のことを好まない人だった。自分が一代で財を成し得たのは実力じゃなくて運に助けられてきただけだって公言して憚らなかったし、だから後を継ぐ者も運に恵まれてる人物であるべきだと考えてたようね」

 ヒカルが言い、続ける。

「つまり、彼が後継者に求めるものは妥当性じゃなく生き残れる強運の持ち主であって、その結果会社が傾こうとも、それもまた運ってわけよ」

「さっきも運命なんて言葉が出てきたけどさ。運だの運命だのっていう言葉って、自分に言い訳するための妄想に過ぎなくない?」

「言っとくけど、これは私じゃなくてあんたのお父さんの妄想だからね、ミナト」

「ほんとは俺の父親じゃないんじゃないかなぁ。そもそもロシアのオッサンたちってさ、なんかこう、厳つい顔した貫禄あるイメージなんだよね。こう言っちゃ何だけどルーツを感じないっていうか、自分がどんなに年を取ってもあんなに力強く変身するとは思えないんだよな」

「アレクセイ・ミトロファノフ氏は東欧や北欧の血も引いてるから生粋のスラヴ人の特徴には当てはまらないし、残念ながら髪の毛でDNA鑑定したから間違いないの」

「髪で……? いつのまに?」

 だったら、ついでに欧米系のリスクであるハゲる遺伝子についても検査してくれたりしないだろうか。中野は半ば本気で思ったが口には出さなかった。

 窓辺の冨賀が煙草を消しながら鼻で嗤った。

「ま、何にせよカネがあり過ぎるとロクなこと考えねぇっつー、いい見本だよな」

 皮肉をたっぷり孕んだ声をBGMに、ふと素朴な疑問が湧いてきた。

「その妄想ゲームのせいで会社が傾いたら、従業員たちは?」

「当然の懸念かもしれないけど、今考えるべきはそこじゃないのよ」

「だって、みんなはどうだかわかんないけど俺はしがない一般企業のサラリーマンだからさ。経営者の身勝手による被雇用者への皺寄せは看過し難いよね、やっぱり」

「しがない一般企業のサラリーマンに留まらない身の上だって話を、ちょうどしてる最中なんだけど理解してる?」

 中野は溜め息を吐いた。

「まぁいいや、で? 他には? あぁそうだ、急に厳重警戒になったこととか、さっき言ってた賞金が跳ね上がったとかいう件もあったよね。それも聞いとくよ一応」

「ちょっと何その、もはや面倒になってるアピール?」

 面倒な気持ちは口に出さずとも伝わってしまったらしい。

「あぁごめん、感情を隠すのが苦手でさ」

「ほんと変わんないわね、その悪い癖。ベッドでも大抵途中で、なんかモチベーション落ちてきたとか言って勝手に終了してたわよね、付き合ってた頃!」

 腹立たしい思い出が蘇ったらしい元カノの憤慨が不意討ちの空白を呼んで、数秒後。

 新井が咳払いして冨賀がニヤつき、クリスが好奇心丸出しの目で眼鏡のブリッジをクイッと押し上げると同時に、信じられないとでも言いたげな唸りをダミアンが漏らした。

「私は満足させるわよ?」

 ソファの女王様がセクシィに唇を歪めて隣の女子に囁く対岸で、坂上の目がチラリと中野を掠め、その視線の動きを抜け目なく見咎めたらしいヒカルが瞬時に声を尖らせた。

「もしかして、K相手なら失速することなく頑張れてるのかしら? ねぇミナト」

 失速どころか、同居人とのセックスなら下手すれば終着点の見えないロングドライブで、たまにサービスエリアで休憩する程度だなんて事実は、もちろんこんなところで白状する義理はない。

 中野は小さく首を捻る動きで質問を受け流して、これだけ言った。

「話を戻さない?」

 閑話休題。

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