s1 ep12-10

 束の間の沈黙が辺りを満たす間、床の男を除く全員が無言で坂上を窺っていた。

 その顔面には、どんな感情も浮かんではいない。が、だからと言ってその内側に何もないとは思えない。

 ついさっきベッドルームで語られたばかりの昔話。父親についても必要最低限の経緯を聞いただけに過ぎないものの、親子という関係を疑っていた節は感じられなかった。

 静寂という名の重圧が彼を包み込んでしまわないうちに、中野は口を開いた。

「フリって、どういう意味?」

「どうもこうもない、まんまの意味だよ。ノゥリ母子の隣に住んでたのは、父親と息子なんかじゃない」

「隣のお父さんはそのミハイルって人で、でも彼のお父さんじゃなかったってわけ?」

「だからそう言ってんだろ? ソイツはKと同じ組織にいた殺し屋だよ」

「ていうかさ、日本人だったよ?」

「人種的にはそう見えたかもしれないけどロシア国籍だ。あんたの同居人だってそうだろ?」

 当の同居人は、ひとつ瞬きしただけで身動ぐこともなく、いつも通りの抑揚を欠いた口調でこう言った。

「情報が不正確だな、俺は無国籍だ。公式のIDもない」

 中野は思わず尋ねた。

「じゃあ、どこに税金払ってんの?」

「日本に消費税を払ってる」

「それも何だか腹立たしいね」

 二人の会話にダミアンの声が被さった。

「言い直すよ、ミハイルはロシア国籍、Kはほとんどロシア人」

「何そのざっくり感」

 いずれにせよ、その辺りに関しては中野以外の連中は先刻承知らしく、他にコメントする者はいなかった。

 国籍の話が途切れたタイミングでアンナが先を促した。

「で? ロシア人の殺し屋が、なんで日本でKを育ててたわけ?」

「育ててたって言うと語弊があるな。カナコを消す依頼を受けた組織は、まずミハイルを派遣することにした。理由はまぁ説明するまでもないと思うけど、人種のおかげで日本での仕事のほとんどを任されてたからね」

 とにかく──とダミアンが語った内容は、こうだ。

 ちょうど当時、組織の養成施設に日系の幼児がいた。その子も将来的にはミハイルのように日本向けの要員となる予定だったこと、親子連れを装えばターゲットに近づきやすくなるということもあり、テスト的に連れてこられた。それが坂上だった。

 さっき本人から話を聞いたときは、せっかく父親が見つかって日本に戻ったのに、そのお父さんが早々に亡くなったんだな……ぐらいに解釈してたけど、全くの見当違いだったらしい。

 だけど坂上自身も知らなかったんだから、中野が勘違いしたって無理はない。

「もしかして、ずっと父親だと思ってたのか?」

 はは、とダミアンが乾いた笑いを漏らした直後、酒屋が椅子を蹴って立ち上がるのとほぼ同時に、男の鼻先にアンナのブーツの爪先が突き刺さっていた。

 止まりかけていた鼻血が華々しく飛び散り、カットソーとカーペットの模様を上塗りする。が、そんな惨状にも関わらず、殺し屋の元飼い犬はもはや肌色より赤色の比率が勝る顔面を性懲りもなくもたげ、語を継いだ。

「ほ、補足がある」

 一体、どこまで耐性があるんだろう? これもドSな飼い主による調教の賜物なのか、それとも生まれ持った性質なのか。

「カナコと深い仲になったミハイルは、組織を抜けて四人で逃げるつもりだった」

「四人?」

「だからカナコとノゥリを連れて、Kと四人でな。けど、カナコ母子がひと足先に発ったあと、すぐにミハイルはチェイサーの襲撃で消されちまって、Kは組織に連れ戻されたってわけだ」

 声はそこで途切れ、しばらくは誰も物音を立てなかった。

 じゃあ、Kの両親は? なんて素朴な疑問も、中野だけじゃなく誰ひとり口にしない。父親──だと思い込んでた男──が死んで、身寄りのない子供たちを集めた施設に「連れ戻された」というのなら、いちいち確認するまでもなく元々孤児だったってことなんだろう。

 ただし彼らが、非合法な手段で集められたのなら話は別だ。が、今それをここで質したところで埒が明かないことも、おそらく全員がわかってる。

 それより、もしもその話が本当なら、だ。

 計画通り逃げおおせていれば、中野と坂上は兄弟同然に育っていたことになる。

 思いも寄らないパラレルワールドがふわりと脳裏に広がりかけ、微かに肌が粟立つのを感じた中野は、すぐにディスプレイのスイッチをオフにした。叶うことなく終わったタラレバを妄想したところで何ら意味はない。

 だから考えるのはやめて、ソファに収まる同居人の硬い眼差しを見下ろした。肩に触れようかと一瞬迷い、下手な慰めとも取られかねないと思い直して、これもやめる。

「彼はあんたと家族になるつもりだった。あんたが今どう感じてるかはわからないけど、個人的にはそれで十分なんじゃないかと思う」

 そうよK、と坂上の代わりにアンナが反応した。

「家族なんて、血が繋がってりゃいいってもんじゃない。少なくともここには、そんなこともわからないほど愚かなヤツはいないはずよ。きっとコイツでさえね」

 顎で足元を示しながら長い脚を組み替える彼女の言葉に、中野は全員の顔を──物理的な死角にいて見えないダミアンを除いて──目で一巡した。

 アンナの家庭環境については初対面のときに聞いていたけど、そのほかは誰の事情も知らない。およそ五年の付き合いになる新井のことすら、だ。が、多かれ少なかれ彼らの生育環境には共通点があるのかもしれない。肉親との満たされた関係に恵まれていたなら、違法に鉄砲をぶっ放したり防カメ映像をハッキングするような人生を選ぶ確率はある程度下がる気がする。

 中野は、ふとヒカルを見た。

「そういえば、一応付き合ってるつもりだった頃にさ」

「いちいち引っかかる言い方することないじゃない」

「付き合ってた頃にさ、ヒカルの実家でごはん食べたことあったよね? あれってもしかして、本当のご両親じゃなかったのかな」

「そうよ、あれはうちの上司たち。あのマンションの部屋も組織の拠点のひとつよ」

 元カノは何食わぬ顔でさらりと真相を暴露した。

「あぁ、それでか」

「何がよ」

「どうりで上品なご両親だと思った」

 エージェント女子が眦を険しくしたとき、ようやく坂上が口を開いた。

「俺が一緒に住んでた男についてはわかったから話を進めてくれ。気遣いは必要ない、どうせ大した思い出があるわけでもないしな」

 もはや赤の他人と割り切った口ぶりではあっても、父と信じていた男がそうでなかったと知って本当に平気なわけはない。何しろたった一度、一緒に鳥を埋葬してオムライスを食わせてやっただけの中野のことでさえ、己の身を危険にさらしても殺せなかった坂上だ。

 が、そんな情緒とは無縁の声でダミアンが総括した。

「まぁつまり、元々あんたら二人の根っこは繋がってたんだ」

 中野は少し考えてから、ゆっくりと首を傾けた。

「言いたいことは何となくわかったけど、だからって彼が俺のとこに派遣されてくるのが偶然じゃないって理由にはならないよね?」

「だからそこが、必然とまではいかないまでも確率の問題でしかないってヤツなんだな。ターゲットがカナコのときもノゥリのときも、同じクライアントが同じ組織に依頼してる。で、その組織が日本国内で動かせるハンターを数人しか抱えてなかったら? カナコのとき派遣されてきた男にくっついてた幼児が、その男と同じ任務に就くことを目標に育てられて、今度はノゥリを消す役割で再び現れたって不思議はないだろ?」

「だけど偶然を否定する根拠としては今ひとつじゃないかなぁ。実際どうなわけ?」

 坂上に水を向けると、こんな答えが返ってきた。

「俺が最初だったのは、たまたま一番近くにいたからだ」

 これにダミアンがヘソを曲げた。

「いいよ、わかったよ! 単なる偶然か運命の赤い糸の仕業ってことにしといたらいいだろ」

「あぁ俺、嫌いなんだよね、運命って言葉」

 中野が気のない呟きを挟む傍らで、拾った男をフォローするつもりでもないだろうが、坂上がこう付け加えた。

「ただし日本の要員が足りないのは事実だ。もともと少なかったのが、この件でほぼ全滅しちまったから、これからは外のヤツらがやってくるだろうな」

「ほらほら、な?」

「わかったわかった。サービスで、少なくとも半分は必然だったってことにしてあげるよ」

「なんか引っかかる言い方だけど、受け入れてくれて嬉しいよ、ノゥリ」

「何も受け入れてないけどね。さて、じゃあ──根本的なことを訊いてもいいかな? そもそも誰がどういう理由で、母親や俺を狙うのか」

 誰にともなく尋ねると、数秒の沈黙ののち、どこか憐れむようにダミアンがコメントした。

「あんた、ほんとに何も知らないんだな」

「誰も教えてくれなかったからね」

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