s1 ep12-6

 まるで、道端の草むらから飛びかかってきた奇襲攻撃みたいなカミングアウト。

 決壊したダムみたいに押し寄せてきた真相の奔流。

 ただし決して多弁ではない坂上のことだ。中野が得た情報は、ほんの一部に過ぎないのかもしれない。

 それでも平素にも増して抑制された口調は効率よく要点を凝縮していたと思う。黙って耳を傾ける間、こんなに上手く話せるんなら普段からもっと喋ったらいいのにな? なんて考えてたくらいだった。が、幸い話の腰を折る愚は犯さなかったし、上の空で聞き流したりもしていない。

 坂上が語った内容は、こうだ。

 父親と二人で隣に住んでいた頃、中野の家に時折預けられていたこと。ある日、中野と会ったこと。そのとき彼は就学前、中野は小学校の高学年だったこと。

 翌年、父親が死んで遠い地の──はっきりとは言わなかったけど、断片的な情報から察するにおそらくロシアのどこかの──何かの施設に連れ戻されたこと。そこで生業のノウハウを詰め込まれ、十年後に再び日本に舞い戻り、昔の家を訪ねて偶然中野を見かけたこと。

 その先は一気に省略され、急な依頼を受けて赴いた先で中野と再会したのが、およそ一年前。

 指示に逆らい、ターゲットの代わりにウォッチャーとやら──そんな稼業が実在することに中野はいたく感心した──を始末したせいで組織に狙われるようになったこと。中野の周辺に現れる『客』の中には、坂上を追うチェイサーとやら──これもウォッチャーと同じく感心した──も混じっていて、彼らは坂上を捕らえる餌として中野を狙ってること。

 端的に語る坂上の低い声音や眼差しには、他にも何か言いたげな風情が感じられたけど、最小限の説明以上のことは聞き出せなかった。

 が、もたらされた情報だけでもゼロベースの身には十分な量だ。

 耳から滑り込んできて脳内で乱舞したそれらが徐々に落ち着き、やがて腹の底へとゆっくり沈んでいくのを、中野は無言で待った。

 そして最後に胸の裡にプカリと浮かび上がったのは、そうか、という思いだった。

 だから、そのままの言葉を呟いた。

「あぁ……そっか」

 母親が何度か預かってた近所の子供、あれは近所というより隣の子だったのか。そんなことすら知らなかった。

 当時が就学前だったんなら、坂上が自称する三十歳というのも年齢的に符合する。年齢詐称だとばかり思ってたのに、まさか実年齢だったとは。

 だけど今、そんなコメントをしていいものかどうか。

 きっと坂上にとって、この告白は一大事だ。一世一代の激白だったかもしれない。なのに初っ端のレスポンスが「ほんとに三十歳なんだね」でいいんだろうか? 否、さすがにそれはまずいだろうと中野でもわかる。

 さて、じゃあ何から言おう?

 中野は同居人の旋毛を眺め、アーカイブされた記憶の層を深く探った。

 子どものときに接触があったのは、坂上の話に出てきた一回きりだと思う。

 そうとわかって反芻してみれば、今と変わらないコミュ障っぽい幼児だった気がする。正直、顔はちっとも思い出せない。特徴がなくて印象が残りづらい坂上の造作が生来のものなら、これは至極当然のことだろう。

 だったら試しに、特徴のない面影を重ねてみよう──そう思いついても本人は顔を伏せたきり、いつまで経ってもこちらを見てくれない。

「顔を見せてよ」

 刺激しないように注意を払って声をかけても、俯けた頬は頑なに動かない。

 並んだベッドの狭間で対峙したまま、二人きりの空間に静寂だけが満ちる一方、ドアの向こうからは何やら賑やかな気配が伝わってきていた。

 と言っても騒々しいというほどじゃなく、楽しげでもない。

 が、ドア越しに感じられる不調和な空気圧の中に時折、ここにはいないはずの女子の声が混じってる気がするのは錯覚なのか……?

 奇妙に感じながらも、今は目の前の存在に集中することにする。

 中野は背筋を伸ばした。坂上の声を聞き漏らすまいと前のめりになってたけど、その距離感もプレッシャーになってるのかもしれない。否、それよりも隣に座って手でも握ってやるべきなんだろうか?

 仕事上求められる必要性以外の理由で他人の気持ちを慮るなんて、中野にとっては初めての経験だった。少なくとも馴染みがない。だから、どうにもやり方がわからない。

 結局、不慣れな逡巡は一分も経たないうちに放棄した。

 備わってない感覚は理解しようがないし、できないことをできるようにする努力の尊さも時と場合によりけりだ。

 こうなったらもう、何でもいいから水を向けてみよう。答えが返らなくたって別に構わない。中野は思い、口を開いた。

「あのさ……」

 会話の糸口を探る脳内で、額の内側辺りにふわりと浮上する遠い昔の後ろ姿。

 暑い日だった。

 さほど広くもない庭の隅、雑草が伸び始めた一角に、小さな背中がしゃがみ込んでいた。

「死んだ鳥を一生懸命眺めてたよね」

 試しに投げた問いに、坂上の頬がチラリと反応した。

「あのとき、何をそんなに見てたわけ?」

 待つこと十数秒──

 唇が解けるまでに要した時間は、予想よりも短かった。

「柄が」

「がら?」

「色は地味なのに、近くで見ると柄がすげぇ精密で……だから何だってことでもなかったけど、ただ、見始めたらキリがなかっただけだ」

「そんなアーティスティックな鳥だったっけ」

「あんたが鳥の柄なんか見てなかったのはわかってた」

「鳥しか目に入ってないみたいだったのに、そんなこと気づいちゃったんだね」

 あのときの子供は、ロクに顔も上げず目も合わせなかったはずなのに。

 感心する傍ら、こうして当時を思い描ける自分にも驚いた。

 もう使うことのない記憶を仕舞い込んで圧縮し、存在すら忘れ去ってた脳内のアーカイブフォルダ。残ってるのが奇跡的なくらい古いものをサルベージして解凍してみれば、思いがけないほど劣化の少ないデータが詰まっていて面食らう。

 そうだ、オムライスを作ってあげたんだ。

 家事が苦手な母の数少ない得意料理で、繰り返し出されるうちに自分でも作れるようになっていたメニューだ。

 炎天下、長時間外にいて、穴を掘って体力も使い、腹が減ってたんだろう。今よりはずっと拙い出来だったはずのケチャップ仕様のシンプルなオムライスを、無口な幼児は一心に貪って綺麗さっぱり食い終えた。

「ていうかさ、ずるいよね。俺がオムライス作るたびに、あんたはひとりであのときのこと思い出してたんだ?」

「ずるいって……」

 そこでようやく顔を上げた、坂上の無防備な表情ときたら。

 ドア一枚隔てた向こうにオーディエンスが待機してさえいなければ、有無を言わさず押し倒して取り澄ましたベッドカバーに縫い付けてるところだった。

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