s1 ep12-7

 中野は不謹慎な衝動を抑えるために、肚の裡とは裏腹に柔らかな口調で冗談めかしてみせた。

「だって、そうだよね。ひとりで思い出を楽しんでさ」

「楽しんでたわけじゃない」

「楽しんでなかったら、いくら好きでもあんなにオムライスばっかり食べるのおかしくない?」

「それは──」

 何か反論しかけた坂上は、言葉を選びかねる様子で口ごもったあと唇を引き結んで無言の上目遣いを寄越した。

 とにかく、楽しんでたわけじゃない。ついさっきまで項垂れてたくせに、やけに頑なな目でそう主張してくる。

「もっと早く言ってくれたら良かったのに。昔のこととか、俺の前に現れた事情とか、いろいろ全部」

「言おうとは……思ってた」

「思ったけどしないっていうのは、思いもしなかったのとイコールだよ」

「わかってる」

「せめて、隣に住んでたことくらいは言えたんじゃないかな」

 一拍置いて、坂上がゆるゆると首を振った。

「どこから綻びて、全部曝け出すことになるかわかんねぇし」

「言うつもりがあったんなら曝け出しても別によくない?」

「言うつもりでは……あったけど」

「堂々巡りだね」

 中野は笑った。

「言ったら、俺が離れてくと思った?」

 答えはない。

「けどさ、あんたも知ってると思うけど、俺はあんたが誰かを始末しに行くことを何とも感じない。その誰かってのが、そのときは俺自身だったってだけの話だよね」

 そう、それだけのことだ。

 中野が何気なく生きてきた日常の知らないどこかで、時折誰かの存在を消していた坂上が、たまたま自分のところに差し向けられた。

 自分に限って、なんて無根拠に安心するような愚かさは幸い持ち合わせていない身にしてみれば、特に驚くことでもない。誰しも道を歩いていれば、建設現場でH形鋼が頭に降ってくる危険といつだって隣り合わせだ。

「まぁでも、全く何も感じなかったって言ったら嘘になるよ。けどそれは多分、あんたが想像したようなことじゃなくて……そうだな。俺がそれを知ってしまったら、あんたが離れてっちゃうんじゃないかっていう心配かな」

「──」

「もしかして、実は離れるつもりだったりする?」

「そんなつもりはねぇ」

「だったらいいよ」

 中野は小さく肩を竦めた。

「大体さ、自分の身が危なくなるってわかってて仕事を放棄したなんて、その話を聞いて俺があんたを嫌いになる要素ってある?」

 坂上は問いには答えず、手のひらで顔面を覆うと深く息を吐きながら膝に向かって身体を折った。

「──馬鹿みたいだ、俺……あんたが、ここまで無神経なヤツだとは思わなかった」

「それって褒め言葉? それともディスってんの?」

 立ち上がって坂上の横に移動する。伏せた肩が僅かに緊張する気配を感じたけど、気づかなかったフリをした。

「俺を殺しにきたなんて理由であんたを嫌ったり憎んだりするとか、本気で思ってたわけ? 見くびってもらっちゃ困るよ。そんなまともな神経してたら、あんな不便な家で暮らしてない」

 窓もないっていうのにさ、と笑ってみせても坂上の反応はない。

 一向に起き上がる気配のない背中に目を落として、やっぱりさっきの無神経発言はディスられてたんだろうか? と疑念が湧いてくる。

「俺が嫌になってきた?」

「違う。自分の馬鹿さ加減に嫌気が差してるだけだ」

 坂上は吐き捨てるように言って、伏せていた身体を起こした。

 何かひとつ吹っ切れたような目が真っ直ぐにこちらを向いた。滅多に直視する機会がない、黒い瞳。そこに映り込む自分の姿。コミュ障の同居人がこんなふうに見つめてくることは珍しい。

「あんたの目に俺が映ってる」

「あれ、奇遇だね、俺も今……」

 同じことを考えてたよ、そう笑いかけた中野は、やたらひたむきに見える視線の色合いに気づいて続きを引っ込めた。

 坂上の問いがポツリと零れた。

「俺が見えてるのか?」

「うん、見えてるよ?」

「──なら、いい」

 いつものコミュ障っぽさとはどこか違う、妙な具合に落ち着きのない眼差しが依怙地な感じで逸れていった。

「え? 何?」

「何でもない。見えてるなら、いい」

「もしかして、俺の老眼の心配でもしてた?」

「違う、何でもねぇって」

 放るような声を寄越した坂上のほうへ手を伸ばした中野は──しかし、腕に触れる寸前で思いも寄らない感覚に襲われてサッと居住まいを正した。

 途端に坂上の眉間が訝しげに曇った。

「何だよ……?」

「いや、ちょっとなんか一瞬、五歳児相手に下心を抱く危ない中年男になったような気がして」

「──」

「だって、さっきの話を聞いたばっかりだよ? まだ大人と子どものあんたが、俺の中で一体化してないっていうかさ。むしろ俺的に新しいほうのあんた、つまり小さい子のほうが存在を主張してるっていうか?」

「あぁ……?」

「別に、信じてた相手の隠された正体を知って上辺だけ平静を装い続けようとしたのに早速失敗した、とかいうわけじゃないからね」

 中野と坂上は、スパイもののドラマを自宅でしょっちゅう一緒に観てる。だから中野がその手の番組を参考にして、坂上を信じたフリをしてるだけじゃないか、なんて深読みされないとも言い切れない。が、呆れた目を向けてくる顔を見る限り、どうやら杞憂のようだった。

「何言ってんだ? あんた」

 仄かな呆れ声を寄越してから、彼は気を取り直したように口調を変えた。

「──もう戻らねぇか? この先の話をするには、向こうのヤツらもいたほうがいいと思う。俺が説明するより、ちゃんと伝わるだろうし」

「説明してくれるのは誰でも構わないけど、そうだね。実はちょっと、隣の部屋がどうなってるのか気にはなってたんだよ。いま、二人きりのうちに話しておきたいことがなければ、俺はいいよ」

 中野が言うと、同居人は数秒思案してから小さく頷いた。

「あんたに訊きたいことが、あるにはあるけど……いまじゃなくても、いい」

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