s1 ep12-5
中野の部屋に棲みついて、生死が絡むほどのトラブルを持ち込んで、なし崩しに地下での共同生活を送るようになり、いつの間にかなくてはならない存在になってしまった同居人は、なんと昔のお隣さんだったらしい。
その上、四半世紀を経て自分を始末しにきた殺し屋だとくる。
人生には時折、全くとんでもないサプライズが潜んでるものだ。
ジュニアスイートのベッドルームは、押しつけがましさの一歩手前で踏み留まった重厚感がほどよい落ち着きを醸し出す、ヨーロピアン調のクラシカルな空間だった。
リビングスペースも同様のインテリアではあったはずだけど、男五人から発散される猥雑で殺伐とした空気に満たされてしまえば、まるで存在意義のないデコレーションに過ぎなかった。というより、目に入りもしなかった。
二人きりになってやっと無駄にエレガントな調度品に気づきはしたものの、装飾よりもクイーンサイズのベッド二台の距離感が地味に有り難かった。互いに向き合って座るのにちょうどいい。
プレミアムな感触の寝具に尻を落ち着けると、中野は初めにこう尋ねた。
「守ってるフリだった?」
できるだけ重圧を感じさせない声音を心がけて。
正面の坂上は膝の上で組んだ両手に目を落としたまま、無言で小さく首を横に振った。
「だけど、俺を殺しにきた?」
今度は反応がない。
無反応というのは肯定だ。いくらコミュ障だからって、こんなときまで意思表示を曖昧にする坂上じゃない。
俯けた頬のラインを見つめて、中野はゆっくりと首を傾けた。
「仕事だもんね」
言ったあとで、もう少し言葉を選ぶべきだったかと反省した。今のは、ちょっと嫌味っぽく聞こえてしまったかもしれない。
だけど仕事なら仕方ないと思うのは、強がりでも何でもなく本心だった。
坂上の生業に口出しする気は毛頭ない。何をしていようが坂上は坂上であって、たまたまエリート官僚でも土木作業員でもタクシー運転手でもなく、殺し屋だったというだけのことだ。
そして仕事である以上、成立した契約内容に沿って遂行するのは当然だろう。それが中野を始末する任務だったにせよ、理解が揺らぐわけじゃない。自分を特別扱いしないことが己を誇れる唯一の美点だと、中野は実は密かに自負していた。
ただ、問題はその先だった。
坂上は本当に組織を裏切ったのか、裏切ったフリをしてるだけなのか。
フリじゃなければ動機は何なのか。殺し屋の元飼い犬が言うように、中野に絡む莫大なカネが目当てなのか、否か。
が、もしカネ目当てだったところで、だったら何なんだ?
そう己の裡に質してみても、別にどうということはない。いずれにせよ坂上の自由意志であって、やっぱり中野が口出しすることじゃない。それに何も聞いてなかったんだから、嘘を吐かれていたわけでもない。
じゃあ──中野は内心、首を捻った。
二人になりたいなんて自分から言っておきながら何だけど、ここで何を話せばいいんだろう?
本音を聞き出す? そのつもりだったけど、本当に坂上が中野を利用するような思惑を抱えていたなら、知れば知ったで愉快な気分ではなさそうだ。
ただし愉快じゃなくても腹は立たない。どうでもいいからじゃなく、それもまた坂上の一部だからだ。
他人の心の有り様がこちらの理想通りじゃない局面なんて、生きてれば掃いて捨てるほど遭遇する。もちろん逆のケースも然り。逆にいい意味で期待を裏切られることだって、きっと同じくらいあるだろう。
──と、いうのはあくまで一般論的な私見であって、幸か不幸か中野自身は他人に理想なんか抱いたことがないから、どちらも経験はなかった。
だけどひょっとして、今の現状が前者に近いと言えるんだろうか?
坂上が自分と暮らしていた理由が、思ってたようなものじゃなかった?
思ってた理由って何だろう?
中野はほんの少し臓腑の内側を覗き、三秒で時間の浪費を嗅ぎ取って諦めた。まぁとにかく、いちいち一喜一憂してたらキリがないってことだ。
解決策はただひとつ、相手の有り様をそのまま受け入れればいい。何も難しいことじゃない。
坂上の本心が何であれ、事実は事実。一旦受け止めておいてから、ゆっくり自分の気持ちの処し方を吟味したって遅くはないはず。
そんな風に考え始めたら、真相を知る必要すらない気がしてきた。
坂上にこんな顔をさせてまで聞き出すくらいなら、別にもう知らないままでもいいんじゃないか?
所詮、何かを思い煩うということができない質だ。人様のように傷付いたり憂えたりといったポーズを真似てみたって、三分でカラータイマーが赤い点滅を始めてしまう。
それより、いっそ何もかもみんなスルーして、オムライスソースのチョイスでも尋ねてみるのはどうだろう?
で、当初の予定通り殺し屋の元飼い犬をどこかに放り込んで、中野坂上の地下室に帰って、メシを作って坂上に食わせる。酒屋は納得しないかもしれないけど、そうすれば新井も中野のお守りから解放されて家に帰れるわけだし。
勿論、この先ずっと何ひとつ聞かなかったことにするわけにはいかないかもしれない。でも互いにちょっと整理してからでもいいんじゃないのか。
今はとにかく用事を片付けて、帰りに酒屋の冷蔵庫の荷物を引き取って、ついでにボトルビールを──こんなときこそ──1パックくらい頂戴してって、普段通りの環境でひと息ついてから改める。もうそれでよくないか?
メシの前にまず坂上を、大好きな風呂に入らせたっていい。何しろ今日のこれは、それこそ拾った犬に噛まれた事故みたいなものだ。溺死しない程度に気が済むまでバスタブに沈んで、追った痛みも煩わしい何かも、みんな風呂の底に流してしまえばいい。
なかなか上手いところにオチがついたなと、中野がこっそり自画自賛していたときだ。
不意に、小さな呟きが沈黙を破った。
「……か」
「うん?」
訊き返したが、坂上は黙ったままだ。
気のせいだったのかと思った刹那、今度は聞き取れるギリギリの声音でこう聞こえた。
「まさか、あんただなんて──思わなくて」
「え? 何が?」
また訊き返したら、坂上の眉間に仄かな苛立ちが現れた。
一体何のために、この部屋に引っ込んだんだ? 刻まれた縦皺がそう詰問してくる。
「あんたが俺を消しにきた件?」
「それ以外にないよな」
組んだ指を見つめながらボソリと漏らす姿を眺めて、中野は彼のセリフを反芻した。
まさか俺だとは思わなくて?
まるで、殺しにきたら顔見知りだったとでも言わんばかりだ。
それとも何か、別の解釈ができるだろうか?
あるいは、実は知り合いだったとか? そもそも聞き間違いだったとか。
念のために記憶を探ってみたけど、何ひとつ思い当たらない。坂上だって、知り合いだったような素振りを見せたことは一度もない。
なのに躊躇うように、それでいてどこか肚を括った風情で口を開いた同居人は、とんでもない必殺アイテムを中野の前に投げ出してみせた。
「あんたが前に言ってた、母親が預かってたっていう子供……それが俺だ」
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