s1 ep12-2
「一段と緊迫って言われてもねぇ、何にも知らないからピンとこないし。その事態ってのはこの先、収拾する日はくんの?」
「くるかもしれないし、こないかもしれない。こなかった場合は、かなりヤバいことになる」
「どうヤバくなるのかも気になるけど、それ以前に、この期に及んで俺が何も知らないままで乗り切れんのかっていう、実はわりと逼迫した疑問を感じるよね。単なる好奇心とは別に」
十個パックの卵を
「そうだな」
「あれ、新井もそう思う?」
「前にも言ったとおり、俺や落合さんは契約上の都合で内容を明かせない。でも、お前の同居人は事情を話してもいいと思うんだよな……だからイレギュラーではあるけど、その件について話し合えるよう、早急に調整してみようかと考えてる」
「話し合うって、彼と新井たちで?」
「そう、中野抜きで」
紙製パックの高級卵を手に取って眺めていた新井は、中野が庶民向けの十個パックをカゴに入れるのを見てソイツを棚に戻した。
買い物を終えて外に出たとき、中野はうっかり自宅と逆の方向へ歩きかけた。以前のアパートがそちら側だったから、長年の習慣でつい間違えてしまったようだ。
いまの棲処は山手通りを挟んだ西側で、そちらのエリアにもスーパーはある。ただ、いずれにせよ帰宅ルートから外れてるというのもあって、結局は使い慣れた店のほうへ足を伸ばしてくることが多かった。
とにかく間違いにはすぐ気づいた。そこで方向転換しようと振り返ったら、後ろの同僚がこちらを向いたまま、じっとどこかを見つめていた。
中野も視線を追い、その先にあるものに気づいた。
スーパーの駐車場の出入口で談笑する二人の男。ひとりは搬入業者らしき服装の人物で、もうひとりは黒いTシャツにデニム、いかにも酒屋という風情の帆前掛け。歩道を挟んだ路肩には平ボディのトラックが停まっていて、後面のあおりにはペイントされた『冨賀屋酒店』の屋号。
路肩から男たちへ目を戻すと同時に、トラックの持ち主の目とぶつかった。
ネコ科の肉食獣っぽい面構えから表情が消えて、ほんの一、二秒。敵は一緒にいた男に手を挙げると、その場を離れてブラブラと近づいてきた。歩きながら、手にした箱から煙草を抜いて咥える。
新井がさりげなく動いて中野の斜め前に出た。あの男のほうを見てたのが偶然じゃなければ、同僚も情報屋を知ってたってことなんだろう。
やがて、抑えた声でも十分聞こえる距離で酒屋が足を止めた。フィルタを挟んだ唇が皮肉げな形に歪む。煙草の穂先に火は点いていない。
「新しい彼氏とお買い物か? お似合いじゃねぇか」
「そりゃどうも」
中野の答えに、冨賀は鼻先の一笑を投げて寄越した。
「ほんとつまんねぇよな、あんたの反応。まぁ、知ってるよ。アンナがご執心の彼女と組んでる、あんたのガードだろ?」
アンナ? と訝るような新井の声。どうやら後輩は新しいお友だちのことを先輩に話してなかったらしい。
そこで中野が、この男はKの協力者の情報屋であること、アンナというのは武器商人で、ヒカルをいたくお気に入りだということを話してやると、新井は首を捻って草食系の面構えに軽い混乱を刻んだ。
「武器商人がアンナって名前で、落合さんを気に入ってる……?」
「そう。セクシィなお姉さんだよ」
「へぇ……なるほど?」
新井が感心したような相槌を寄越したとき、誰かのスマホに着電の気配があった。
全員が静止した一拍ののち、尻ポケットから端末を引っ張り出したのは冨賀だった。
画面に落としたその目がチラリと中野を掠めるのと、まだ行かないのか? と新井が目で問うのとが同時だったが、直後に冨賀が電話に応じた声で採るべき道は一択となった。
「よぅ、K」
おかげで続きを聞かないわけにはいかなくなって、隣のガードも表情を改めた。
「あぁ? いいけど……いや、そんな早く行けねぇよ、今お前んとこの地元なんだから──そうじゃねぇ、配達の仕事の途中でちょっと寄り道をな。とにかくだから、行くのは構わねぇけどトラックじゃダメなんだろ? 一旦戻ってバンに替えてくから最短でも三十分は──あ、うん……? って、おい、そんな理由かよ?」
言葉尻をやや荒げた冨賀が、何故かあからさまに嫌な顔で中野を一瞥するや否や舌打ちして通話を切った。
「Kのとこに行くんだ?」
中野の問いに、これ見よがしな溜め息が返る。
「何だか知らねぇが、厄介な荷物があるから拾いにきてくんねぇか、だと」
新井が中野を見て訊いた。
「帰ってくるんじゃなかったのか?」
まぁ、予定は未定ってことかな──いくつかの感情を腹の底に押し込めて中野がそう応じるより一瞬早く、クソ面白くもなさげな情報屋の声が三人の真ん中に投げ出されていた。
「帰るってあんたに言っちまってるから、急いで済ませるために早く来いだとさ。全く、俺を何だと思ってんだか」
忌々しく吐いた冨賀を新井の目が舐め、無言のまま中野へと巡ってくる。
その視線を受けた中野は、腹立たしげな冨賀の顔面に向かってこう告げた。
「あ、じゃあ俺たちも一緒に行くよ」
途端に二人が同時に反応した。
「え?」
「は?」
前者は同僚、後者が酒屋だ。
「だって、そのほうが合理的だよね」
「何がどう合理的なんだ?」
棘を孕む酒屋の問いに面倒な気持ちが湧きつつも、ここで悶着を繰り広げて時間を無駄にする愚を犯さないために、中野は仕方なく口を開いた。
「まさか本気で見当がつかないわけじゃないよね。帰るって約束したからなんていう理由で急かされてるんだったら、俺を連れてけば急ぐ理由はなくなるだろ? そんなこといちいち説明するまでもなく、自分で考えてくんないかな」
「──」
一段と気色ばんだ冨賀は何かを言いかけた挙げ句、噛み砕いた憤懣を無理矢理呑み下したような顔を新井に振り向けた。
「あんた、こんなヤツ守ってんの嫌になったりしねぇの?」
「しなくもないけど、仕方ない」
「そうかよ、まぁ仕事だしな」
「仕事に不満はない。こんなヤツなのに守りたいって思う自分が、時々嫌になるだけだ」
答えた新井を数秒眺めるうちに表情を変化させた冨賀が、片眉を上げて中野を見た。
「もっかい言うけど、お似合いだぜ? いやマジで」
中野は受け流した視線をそのまま同僚へとシフトした。
「情報屋にそんな情報を吐露したら、何に使われるかわかったもんじゃないよ?」
「例えば?」
「わかんないけど、ほら。新井がどっかから狙われる立場になったとき、その情報を売られて俺が囮として捕まったりとかさ」
「ちゃんと助けに行くから心配いらない」
「じゃなくて、職種のわりに危機管理意識がなってないって話なんだけど」
「安心しろ、そんなものは商売に使わねぇ」
情報屋が投げ出すような声を挟んだ。
「情熱がちっとも伝わらねぇ相手に苛立つ気持ちなら、痛いほどわかるからな。それより行くのか、どうすんだ。俺はもう出るぜ」
新井は気乗りしない様子だったけど、結局一分後には煙草の臭いが染みついたベンチシートに三人で並んでいた。
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