s1 ep10-3

「よく理解できたわ、ありがとう。それに、あんまりいい父親じゃなかったってのは当たってる。酒乱でね。酔っ払うと刃物を振り回すもんだから、母は包丁を全部アパートの玄関前の地面に埋めてて、料理するたびに掘り出してくるのが面倒だって、いつも愚痴ってたわ。私が中学の時に男作って出てったけど。まぁ無理もないと思うけどさ、父は素面のときは優しい人だった」

「お父さんの職業は、いつ知ったわけ?」

「高校に入った頃から、薄々ね。それから程なく、はっきりそうと把握できないまま父が死んだものだから、しばらくは大変だったわ」

 忘れもしない、私の二十歳の誕生日よ──アンナは笑った。

「私はその日いかがわしいモデルのバイトに行ってて、父の死を知ったのは翌日だった」

 いかがわしいモデルというのが具体的にどんなバイトだったのか、尋ねても良かったけど訊かなかった。

 それにしても、三十を超えてるというのは意外だった。いかがわしいバイトなら今だって難なく務まるだろう。

「ちなみに彼……Kは、その話を聞いて、何だって?」

「何も。ただ頷いただけ」

 アンナは眉を上げてちょっと首を傾け、続けた。

「で、一週間後に、父を殺した男を消してきたわ。情報屋を使って居処を突き止めて、ね」

 そのセリフの前半と後半のどちらに、より自分の神経が反応したのかを中野は考えてみた。

 それはいつ頃の話であって、ひいては彼らの──坂上と彼女たちの付き合いは、それぞれどれくらいになるのか。

 が、これも尋ねても良かったけど、結局訊かなかった。どうしても知りたければ坂上にだって訊けることだし、情報屋の話は気にはなっても、聞けば聞いたで不愉快なことに違いはない。

 だから代わりに別の問いを投げた。

「ところで武器商人だから、やっぱり自分でも撃つわけ?」

「そりゃ、ひと通りはね。でも私は刃物のほうが好き。銃ってどうもこう無骨で好きになれないのよねぇ。便利だけど愛着を抱く対象じゃないっていうか」

 どうやら、ついに刃物女子が登場したらしい。

「ひょっとして、刃物好きはお父さんの遺伝なのかな」

「そうね。かもしれない」

「銃が無骨だったら、刃物は繊細?」

 そう問いかけてみた途端、アンナの顔が目映いほど輝き、主に冷たく鋭利なブレード部分に対する彼女の熱い刃物愛について延々聞かされる羽目になった。

 何たらグラインドがどうだとかいう刃の形状の話に始まり、原子や分子の結合を分断する行為の魅力やら、耳を疑うほど陰惨な体験談までをユーモアたっぷりに語ってくれたけど、つぶさに並べると冗長になるため一切合切割愛する。

 中野は射撃部屋の発砲音をBGMにビールを傾けつつ彼女の声を聞きながら、こんなにも情熱を傾けるものが自分にあるだろうかと、ふと自問してみた。

 ザッと考えてみた限りでは、同居人以外の対象が何ひとつ思い浮かない。

 その同居人への情熱にしたって、つい最近芽生えたばかりで、まだ何をどうしていいものやらわからない手探り状態だ。

 やがて、ひと通り語り終えて気が済んだらしいアンナがビールをグッと呷り、こう締め括った。

「けど、そうは言っても、好きこそ物の上手なれってわけにもいかないわね。銃ばっかり振り回してるKのほうが、それでも使い手としては私より断然上だもの」

「へぇ、そうなんだ? でも包丁捌きはまるでダメだったっぽいよ?」

「包丁捌き?」

 そこで、坂上がジャガイモ相手に歯が立たず傷だらけになったことを話すと、彼女は呆気に取られたように口を開けて、しばし中野を凝視した末に疑わしげな声を上げた。

「彼が料理ですって?」

「未遂だったけどね」

「自発的に?」

「俺からは頼んでないよ」

「そりゃあ──黒豹野郎が一緒に来たがらないはずよね」

「黒豹?」

「情報屋のトミカよ、会ったことあるでしょ? 色黒の細マッチョなヤツ。クリスが白豚だから、二人並べるといいコンビよ」

「トミカじゃなくてトミガだって本人が言ってたけど、本当はやっぱりトミカ?」

 アンナが笑った。

「いいえ、本当はトミガ。アイツ、私がトミカって呼ぶもんだからムキになっちゃって、いつもその自己紹介すんのよね。でも濁点がないほうが可愛いじゃない? ミニカーみたいで」

 あの酒屋に『可愛い』は必要ないと思ったから、中野は答える代わりにこう尋ねた。

「もしかして、ここに来る前、彼も一緒だった?」

「えぇ。そのときにトミカが中野さんと会った話をしたもんだから、余計に白豚野郎が自分も会いたいって騒ぎ出しちゃって」

「物好きだね」

「そうでもないわよ? 中野さんには私も会ってみたかったから、今日はクリスの強引さに感謝すべきかしらね。けどトミカはひとりだけ、あとで拾いにくるって言って、さっさとどっかに消えちゃったわ」

「へぇ……」

「トミカはさ、もう、Kに惚れ込んでんのよねぇ。どういう感情なのかは、いまいちよくわかんないんだけど。なもんで、あの小僧ったらここんとこ、中野さんにヤキモチ妬いちゃってどうしようもないわけよ。で、今も、あとで拾いにくるからってひとりだけクルマ取りに帰っちゃって」

「じゃあ、また出かけるんだ?」

 尋ねてから、もともと坂上は今日、帰らない予定だったことを思い出した。そういえば、三度目の電話がきたときも「一旦戻る」的な言い方をしてた気がする。

「そう、クリスの作業が終わったらね。私は商品のダメ出しさえなければ、離脱して帰るけど」

 ビールのボトルを口に運びかけたアンナは、不意にハッとしたような顔を中野に向けてきた。

「そうだ、トミカで思い出した。中野さんの元カノの落合亜季良って女の子、今度紹介してもらえないかしら」

「え?」

 そこへ戻ってきた坂上が無言の目でアンナに合図を送り、ダッフルバッグをテーブルに置いてキッチンに消えた。どうやら、商品に不具合はなかったらしい。

 冷蔵庫を開ける背中から武器商人へと視線を移して、中野は改めて訊き返した。

「ヒカルを?」

「うん。トミカの手持ちの情報で、たまたま彼女を見ちゃったのよねぇ」

「紹介の仕方にもよると思うけど、なんでまた?」

「私、小さめの子が好きなの」

 そう言って長い脚を組み替えたアンナの全身を、中野は視線で一巡した。

「ヒカルは、まぁ、お姉さんよりは低いと思うけど、そんな小柄ってほどでもないよ?」

 ちょうど坂上がビールを手に引き返してきたから、同意を求める目を投げると、こちらを見返した無表情がほんの僅かに首を横に振った。

 そのアイコンタクトを受けて、中野は再びアンナを見た。

 テーブルに頬杖を突いたセクシィな美女は、ふしだらと表現しても差し支えないような笑みを浮かべてる。で、ようやくピンときた。

「あ、そっちなんだ?」

「そっちっていうか性別にはこだわらないけど、彼女、もうドストライクなんだもん」

「小さいところが?」

 この頃にはもう、中野だってさすがにわかってた。それが身長じゃなく、胸のサイズの話だってことを。

「まぁヒカルは確かに小さいけど、でもそっちもいけるのかどうかは知らないよ?」

「紹介してくれるだけでいいわ。あとは自力で何とかするから」

 そこらの下手な男よりもよっぽど頼もしくアンナが言い放ったとき、防音扉から入ってきたクリスが作業完了の旨を告げた。

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