s1 ep10-2

「わぁ、中野くんだぁ」

 もはや首との境界が曖昧な顎の稜線からなだらかなカーブを描いて伸び上がる、白っぽくて面積の広い顔面。その柔らかくたるんだキャンバスの上段にセットされた、黒くて四角いセルフレームの眼鏡。

 まるでアニメか企業のキャラクターみたいな外観の、やたらデブで汗っかきで年齢不詳な天然パーマの男は、人懐っこい風情を全開にして鬱陶しいほど満面の笑みを中野に向けて放ってきた。

 それと、もうひとり。

「突然お邪魔してごめんなさいね、用事が済んだらすぐ引き揚げるから」

 そう言ってショート丈のデニムジャケットを脱いだのは、眠たげな眼差しと程よい厚さの唇が色っぽい長身の美女だった。

 上着の下から現れた、肩も露わなオリーブ色のタンクトップの胸元は豊満なボリューム感で、狭間の深い峡谷を惜しげもなく覗かせている。一方で、ワイルドなテイストのベルトを巻いた腰はやたら細く、黒いレザーのショートパンツはやたら短く、そこから伸びる脚はやたら長く、黒いロングブーツの華奢なヒールはやたら高かった。

 何もかもが極端な客二人は、あたかも絵に描いたような美女と野獣──否、忌憚なく言わせてもらえるなら、野獣というより家畜だった。

 女が、背負っていた荷物──どこかの軍放出品らしきオリーブ色のダッフルバッグをテーブルにドサリと下ろし、パーマのかかったロングヘアを無造作に払う隣で、坂上が中野を見て何ひとつ気持ちの籠らない声でこう言った。

「システム屋と武器商人」

 その紹介を受けて中野は数秒、彼らを眺めた。

 テーブルの上のデカいバッグには、きっと武器が詰まってるに違いない。だから女が後者だろう。もしも男が武器商人で、にも関わらず彼女に荷物を背負わせてたんだとしたら、このデブはもはや家畜未満だ。

 そんな中野の胸中を知る由もなく、システム屋と思しき男は馴れ馴れしい口ぶりでこう言った。

「最近のKったら、ふた言めには中野くんの名前が出てくるからさぁ。どうしても一度、本人に会ってみたかったんだよねぇ」

 言い終わらないうちに坂上が無言で伸ばした腕の先からは、しっかりグリップされた黒い鉄砲がピタリとシステム屋を狙っていた。

「あれ、え、なんで?」

 戸惑う男を呆れたように見て、女が胸の前で腕組みして首を振る。

「余計な口を叩くなってことよ。Kもほら、物騒なものはもう仕舞って。それに、そんな紹介ってある? それじゃ中野さんだって……」

 そのとき、全員の目がシステム屋の顔に集まった。

 気のせいでなければ白い頬をうっすらと染めた男は、厚い眼鏡のレンズの奥から物欲しげな目を女の胸元へと注いでいた。ただでさえたわわな二つの丘は、腕組みによって寄せて上げられ、少なくとも二割増し程度にサイズアップされている。

 次の瞬間、武器商人が豹変した。

「どこ見てんだぁ、この白豚野郎がっ!」

 憎悪に塗れた罵声とともに、軸足に十分な体重を乗せた鋭い後ろ回し蹴りが、目にも留まらぬスピードでシステム屋の横っ面に炸裂していた。しかも、うっかりヒールを当てて折ったりもしないどころか、装飾的な金属のプレートがビスで固定されてる踵部分が、正確にヒットしたように見えた。

 ずっしりと重そうな男の体躯が、驚くほど簡単に弾けて昏倒する。筋肉がなくて脂肪メインなため、見た目ほどの重量じゃないのかもしれない。

 その先は一歩間違えば不出来なSM動画としか思えない光景で、聞きようによっては差別用語スレスレのボキャブラリィの羅列だったから、残念ながら割愛する。

「止めなくても平気?」

 素知らぬ顔でダッフルバッグの中身を検分している坂上に尋ねると、短い答えが返ってきた。

「いつものことだ」

 そんなわけで中野が彼らの名前を知るまで、しばらく時間を要した。

 改めて自己紹介を受けるとき、中野はシステム屋の眼鏡が斜めになってるのが気になって仕方がなかった。

「大丈夫なの? その眼鏡」

「うん、沢山あるから大丈夫」

「タメ口きくな、白豚」

 諍いの名残が滲む声で吐き捨てた武器屋の女はアンナ、システム屋の男はクリスと名乗った。

 アンナはまだしも、クリスはまさか本名じゃないよな──? 中野は思ったが、わざわざ質すことはしなかった。彼らの固有名詞が正式なものであろうがなかろうが、自分には何ら影響しないからどっちだっていい。

 彼らの来訪の目的は、二階と三階のセキュリティシステムの検証だった。言うまでもなくクリスの領分だ。

 普段は中野がいない間に作業していくらしいけど、今日はシステム屋の強い希望により、急遽やってくることになったという。ちょうどメンバーが集合してる最中に、中野が三階のセキュリティを作動させたことが引き金となったようだ。

「だってKがねぇ、こんなに誰かのことばっかりなのって」

「眉間に風穴開けられたくなきゃ、黙ってさっさと仕事してきな」

 クリスの声を遮って命じたのは坂上じゃなく、用はないけど付いてきただけというアンナだった。

 いずれにしても、おかげで懸念がひとつ払拭された。自分の留守中に家の中をウロついてるのが、黒く引き締まった情報屋じゃなく白く弛緩したシステム屋だという事実を確認できただけでも、随分大きな収穫と言える。

 追い立てられるようにクリスが防音扉から出ていくと、坂上が武器の詰まったバッグもろとも射撃部屋に消えた。アンナ曰く、不具合があれば返品交換もしくはメンテナンスとなるから、納品時には毎回必ず商品確認をさせるそうだ。

「いつもはどこで確認してんの?」

「ほぼ、ウチね。地下が丸々、専用の施設になってるから」

「そりゃすごい」

 冷蔵庫からボトルビールを二本出してきた中野は、セクシィな武器商人にひとつ渡しながら思った。彼女とヒカルの胸を足して二で割れば、きっと両者とも標準サイズに近づくだろう。

「なんで武器商人なんかやってんの?」

「理由なんかない。家業を継いだだけよ」

 アンナはボトルを手に、あっさりそう答えた。

「そんな家業を営む家が国内にあるなんてね」

「別に代々ってわけじゃないけど、やってた父親が逆恨みを買って、あるとき突然殺されちゃったもんだから。何となく成り行きで私が引き継ぐことになったわけ」

「へぇ……いつ頃の話?」

「もう十二年も前」

「ひと回りしたんだね」

 それだけ言ってビールを傾ける中野に、アンナが不思議なものでも見るような目を向けてきた。

「こんなに反応薄い人、K以外では初めてよ」

「だって、俺はお父さんを知らないから何とも言い難いよね」

 中野は肩を竦めて締め括ったつもりだったけど、彼女が興味深げな顔を傾けて先を促すから仕方なく語を継いだ。

「俺が悼んだところでお父さんは帰ってこないっていう当たり前のことだけじゃなく、世の中にはいろんな家庭があるわけだからさ。これは可能性としての例え話だから悪く取らないで欲しいんだけど、もしも本当はあんまりいい父親じゃなかったんだとしたら、悼むどころか快哉を叫ぶべきことなんだろうし」

 アンナは小さく頷きながら聞いている。

「それに十二年って言ったら、生まれたばかりの男の子が声変わりなんかしちゃう年月だよ? あんたがどんなにお父さんっ子だったとしても、過去は過去として腹に収められるだけの時間はあっただろうし、そうする力をあんたは十分持ってるように見えるよ。まぁざっくり言うとそんな感じで、結論として俺がコメントすべきことは特にないなって思っただけ」

 これでいい? と仕種で尋ねると、彼女はボトルのネックを中野のそれにぶつけて満足げに微笑んだ。

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