S1 Episode9 会議室

s1 ep9-1

 中野が一緒に住んでるつもりの同居人は、中野について普段何を考えてるんだか、いまいちよくわからないときがある。

 昨夜の会話なんかがいい例だった。

「なぁ、欧米人ってのは体毛が濃いかわりに薄毛が多いよな。ハゲる原因物質の影響を受けやすいらしいけど、あんたもそのうち頭が薄くなってくんのか」

「まず、そんなことを俺に訊かれても答えようがないし、考えたくないね。それに、欧米人なんてざっくり括ったところで人種によっていろいろだろ? あと、俺は日本人と混ざってるし、そもそも今どきは遺伝子も多様化してるわけだから一概にそういう枠に当て嵌められてもね」

「じゃあ肥満になったりハゲたりとかも、しないかもしんないのか」

「可能性の問題だけど、ハゲはともかく肥らないようには気をつけたいかな」

 ふぅん、と坂上は気のない相槌を寄越した。

「何? その、そこはかとなく残念そうな感じ?」

「別に。そういう変化も面白そうだから見てみたかったってだけだ」

 あんまり喋らない人物っていうのは、実は頭の中でこんなことを考えてるものなのか?

 だけど、平素と変わらない抑揚のなさで冒頭のセリフを吐いたとき、坂上はベッドの上で組み敷かれてTシャツを脱ぎ捨てる中野を見上げてるところだった。だからこの期に及んでまさかとは思うけど、ひょっとしたらある種の照れ隠しだったのかもしれないし、あるいは本当に純粋な好奇心だったのかもしれないし、真相はわからない。

 とにかくそんな会話のあと、たっぷり濃厚なセックスをして眠りに就いて、朝起きたら性懲りもなく坂上がいなくなってたというわけだ。



「欧米人の血が混じってると、やっぱりハゲる確率が高いと思う?」

 会社で出くわすなりそう問うと、同僚の新井は眉を上げて中野の顔を見てから、額の辺りをチラリと掠めた視線を再び顔に戻した。

「今四十手前でそれだから、大丈夫なんじゃないか?」

「そう? ところで新井って、ほんとは俺と同い年じゃないよね?」

「──」

 相変わらず本業や素性のこととなると多くを語らない同僚は、尋ねてきた日に二階の玄関先で不可解な行動に出て以来、今のところ謎めいた言動に出てはいない。その代わり、言葉や態度にあからさまな何かが散見されるようになった。

 そう、決して謎めいてはいない。隠さなくなってきただけだ。

 だけど優先すべきはあくまで仕事であって、新井もその辺りは確固たる信念を持ってるようだし、あれから何もないと坂上に言ったことに微塵も嘘はない。

「で、何なんだそれ、Kに言われたのか」

「まぁ、うん」

「俺ならハゲても構わないけど」

「あぁ彼も、面白そうだから見てみたいって言ってたよ」

「あ、そう。良かったな」

 仮に、だ。

 もしも中野の勘違いなんかじゃなく、自分に対する新井の気持ちが真に恋慕めいたものだとする。

 それを面と向かって告げられたなら、こう答えるだろう。応じることはできないし、そもそも自分はそんな風に思われるに足る男じゃない、と。

 しかし言われないことには断れもしないし、言わないくせにチクチク向けられたんじゃ、いくら中野でも全く気にしないわけにもいかない。

「新井さ、なんか立場的にいろんなことをハッキリ言えないのはわかるよ。何となくだけどね。でも言いたいことあったらこの際、言論の自由とか行使してもいいんじゃないか?」

「言えたら苦労しない」

「聞かなかったことにするからさ」

「だったら言わなくても同じだよな?」

「あぁそうだね、わかった。じゃあもう、言わないんなら割り切ってくんないかな」

「ジレンマって言葉、中野には無縁だろうな」

「まさか。俺にだってそれぐらいの不条理はあるよ」

 外殻を撫でるような会話に若干の疲労を覚えたときだ。

 中野は内線に呼び出されてデスクの電話を取った。受付の女子社員からの、来客を告げる旨の連絡だった。

 時計を見ると約束より二十分も早い。だけど支障はないから了解して受話器を置き、これ幸いと打ち合わせ資料を抱えて席を立った。

 エレベータで会議室専用フロアに降りて、まずは連絡をくれた受付の女の子と挨拶を交わした。

 予約しておいた会議室に客が通されたことを確認してから目指す部屋に赴き、ノックしてドアを開けた中野は、危うく資料の束をぶち撒けそうになって慌ててドアを閉めた。そのまま部屋に背を向けて十数え、己が落ち着いたことを確認して、もう一度ドアを開ける。

 テーブルのそばから無言の目を向けてくるのは、今朝姿を消したばかりの同居人だった。しかもなんと、スーツなんか着てる。

「あんた、何やってんの……?」

 いつもと変わらぬ風情で立つ、しかしいつもとはまるで違う坂上の脳天から爪先までを、中野は素早く視線でスキャンした。

 髪型やシャツなど、以前バーのスタッフになりすましてたときと多少重なるものはある。が、見るからに仕立ての良いチャコールグレイのスーツ、臙脂ベースのレジメンタルタイなどというファッションに身を包んだ途端、どう見ても若手のビジネスマンにしか見えなくなった。

 これも個性を持たない坂上ならでは、か。白いキャンバスになら、どんなキャラクターだって描けるものだ。

 それにしても革の味わいが感じられる茶系のビジネスシューズは、間違っても二足で数千円などという代物じゃないだろう。脇に挟んだバッグも然り。

 仕事、と抑揚なく投げて寄越した声は、中野の問いに対する答えのようだった。

「まさか、ウチの誰かを始末しに来たわけ?」

「いや、社内の人間じゃない。外注業者だ」

「あ、そう。ならまぁ、いいけど。いいけどっていうか、それって悪いヤツ?」

 そういえば普段の坂上の仕事ってのは──つまり始末する対象者たちは、どういう人物なんだろうか。今更ながら思った。

 中野のありきたりな発想では、そんな仕事を発注する依頼主といえば金持ちか政府関係者のいずれかでしかなく、彼らの邪魔になったというだけの理由で善良な市民すらターゲットになるという絵図しか浮かばない。

 質問が孕む思考を嗅ぎ取ったのか、坂上は手に提げていたビジネスバッグを無造作にテーブルに置くと、中野の顔を掠めた目を部屋の隅に投げて抑えた声でこう言った。

「今は、俺が納得できる仕事しか受けてない」

 つまり、そうじゃない時期もあったってことか。

 だとしても、一般的な良識における善悪を度外視すれば、中野の与り知らない出来事でしかない。

 事実の断片を収めた腹の裡は波立つこともなく静かで、己のこういった心の動きが決して普通じゃないことを中野は一応自覚してはいる。

 もともとそういう遺伝子なのか、ある種の病気なのかはわからない。ひとつ確かなのは、こんな仕事をしていても尚、おそらく坂上のほうが自分より遥かに真っ当な神経を持ってるに違いない、ということだ。

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