s1 ep9-2

「まぁとにかく、仕事の現場がウチの会社だったなんて、すごい偶然だよね」

「偶然じゃない」

 坂上が短く言い、こう続けた。

「今日の獲物は、あんたを狙ってくるヤツだ」

「え?」

「だから絶対に失敗できない」

 中野は少し考えてから尋ねた。

「いつもは失敗してもオッケーなわけ?」

「いや」

「何が違うんだ?」

「他人の都合か、自分の都合か」

 その言葉の意味を中野は自分なりに解釈し、満足して別の質問に移った。

「もう一度訊くけど、仕事なんだよね?」

 無言の頷きが返る。

「いつもみたいにさ、俺のとこに危ないヤツが来てあんたが現れるのと、今日は何が違うわけ?」

「いつもは俺のプライベート、今日は正式な依頼を受けた仕事だ」

「そんなの、誰が正式に依頼したんだよ?」

 すると坂上が、何だか妙な具合に言い淀んだ。その理由は、続いた言葉ですぐに明らかになった。

「あんたの、元カノの筋」

「え? ヒカルから?」

「じゃなくて、その背後にいる組織」

「ふぅん……?」

「かなりイレギュラーで、こんなことは初めてだけどな。あんたを狙うヤツを始末するって点で利害は一致してるから」

 確かにイレギュラーなんだろう。ヒカルと坂上は撃ち合った仲だし、新井は事ある毎に坂上とは立ち位置が違うことを仄めかす。

「でも、そういう情報なら新井も知ってそうなもんだけど、さっき会ったときは全然そんなこと言ってなかったよ?」

「俺への依頼をあんたの同僚たちが知ってるかどうかは、俺は聞いてない。でも客が来ることは間違いなく知ってるはずだ」

「だったら、ひと言ぐらい教えといてくれてもいいのになぁ」

「言う暇がなかったんじゃないのか?」

 そういえば、会うなり欧米系遺伝子の将来的リスクの話を始め、会話が堂々巡りの様相を呈したタイミングで来客の一報を受けて、逃げるように会議室へやってきたんだった。

「じゃあ新井やヒカルも来るのかな、ここに」

「あの二人は、客が入ってくる前に食い止めるのが仕事だ。それでも突破されたときのために、最後の楯として俺が駆り出されたんだ。彼らの職務は本来、殺すことじゃないからな」

「あぁ、そうなんだ?」

 それにしては二人とも人間を撃ち慣れてる様子だったけど、まさか坂上みたいなバイトでもやってるんだろうか。

「ところで一応訊くけど、そんな大袈裟なことまでして俺が狙われたり守られたりしなきゃならない理由って何だろうね?」

 もちろん期待はしてなかったけど、答えは案の定なかった。

 中野は小さく肩を竦めて、テーブルの上のバッグを眺めた。あの中には火器やら、ついでに刃物なんかも入ってるんだろうと考え、それから意味もなく腕時計に目を落とした。

「で、西さんはどうしたのかな」

「ちょっと眠ってもらってる」

 事も無げな坂上の声に、中野は数秒その面構えを凝視した。

 西というのが本来の訪問者である取引先の担当者で、昨年から担当になった彼とはまだ面識がなく、今日が初の対面となるはずだった。

「まさか、息の根を止めたりしてないよな……?」

「薬を盛って人目に触れない場所で拘束してるだけだ。当分目覚めないから安心しろ」

「でもさ、西さん、会社から怒られるよね」

「あんたの命とは比較にならないし、その男も今日はここに来ないほうが身のためだった」

 巻き添えを喰らった西には申し訳ないけど、後半には一理あると思った。仕事の打ち合わせ中に殺し屋が乱入してきたら、何が起こったのかも理解できないままあの世行きとなってたかもしれない。

「そうだ。じゃあ、お茶出しの子が来ないようにしといたほうが良さそうだね」

 放っておいたら、受付の女子社員がお茶を持ってきてしまう。中野は内線で不要の旨を告げて振り返り、未だ見慣れない坂上の姿にちょっと目を止めた。

 違和感の原因は、こんなところで同居人と一緒にいるという想定外の珍事はもちろん、そのリーマンのコスプレによるところが大きい。

 似合ってはいるけど、何というか──どうも落ち着かない。

「そのスーツとか小道具って、依頼主からの支給品?」

 坂上が頷く。

「サイズがぴったりだよね。モノも良さげだし。終わったらもらえんの?」

「知らねぇし、どうだっていい」

「けど、もらえたらさ、たまに着てみせてよ」

 コイツは何を言ってるんだ? とでも言いたげな目が中野を見た。

 その視線がたっぷり孕む不可解には構わず、中野は近づいてネクタイの結び目に手を伸ばした。

「ちょっと、いい?」

 尋ねはしても、了解を得ようなどとは思ってなかった。

 坂上の反応を待つことなくネクタイを緩めて、シャツのボタンをひとつ外す。

「あんた、何やってんだ」

「だって、こういうシチュエーションって、なかなかないよね」

「こういう?」

「会社の会議室でスーツ着てるあんたと二人きりって、なんかすごく興奮する」

「今、そんな場合じゃ……」

 言いかけるのに構わず腰を抱き寄せ、ベルトのバックルに手をかけた。珍しく僅かな抵抗を見せるのは、失敗できない仕事の真っ最中だからだろう──と思っていたら、坂上はウエストの後ろを探って黒い拳銃を引き抜き、ビジネスバッグの上に置いた。

 それが承諾の意じゃないとしたら、他にどんな解釈がある?

 性急にスーツのジャケットを脱がせて靴もろとも下肢を剥き、尻をテーブルに押し上げて行為に及ぶと、苦悶の呻きとともに忌々しげな悪態が漏れてきた。

「クソ、こんな──台無しだ」

 何のことかと思ったら、どうやら着崩れてしまったスーツについて文句を垂れてるようだった。

「このコスプレのために、朝早く出てったわけ?」

「これの前に……別の仕事が」

「じゃあ、そっちの仕事も、こんなそそるスーツ姿で乗り込んだってことか」

「そんなこと考えんのは、あんたくらいだ──」

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