s1 ep8-3

「どういう意味だ?」

 探るような目は何を疑ってるんだろうか。単なるイメージかもしれないけど、こういう世界に生きてるヤツらは、何でもかんでも言葉の裏を探ってかかる傾向がある。

 残念ながら意味なんかないことを理解させるのは面倒臭そうだったから、説明する手間は省いて、中野はさっさとこう告げた。

「じゃあ、これで」

「え? 帰んの? 何しに来たんだよ」

「だから、たまたま通りかかっただけだって言ったよね、さっき。用なんかないよ」

「あんた、話に聞いてる通りの兄さんだな」

「聞いてるって誰から?」

 ものの見方は人それぞれだし、どこの誰が自分にどんな評価やタグを付けようが勝手だ。ましてや、中野が知りもしない筋から流れてきた話であれば、尚更どうだっていい。

 だけど坂上から何か聞いてるなら別だった。同居人が自分について、外でどんな風に話してるのか。それだけは気になったが、返ってきたのはこんな答えだった。

「Kじゃねぇよ? アイツは訊いたって話してくれねぇ」

 冨賀は唇の端で笑って、尻ポケットから煙草のパッケージを出して一本咥えた。

「口で言わなくたってわかることはあるけどな。例えば、そうだなぁ、ときどき首にやたら色っぽい印が付いてたりとかな」

 中野が反応を返さなかったのは、そうだなぁ、という余分な一語に、坂上の通称を言わずじまいとなったロイヤル・ハウスホールドの女の「そうね」を連想していたからだ。

 何だってコイツらはそうやって、思わせぶりな一拍を入れたがるんだろう?

「なぁ、Kと寝るのってどうなんだ? アイツ、ちゃんと感じんの?」

 穂先に火を点けて煙を吐く冨賀の興味深げな顔面を、中野は無言で返した。

「参考までに聞かせてくれよ、あの不感症みたいな仕事人と一体どんなセックスしてんのか」

「──」

「俺はさ、アイツは銃としかやれないんじゃねぇかって思ってたんだけどな。銃身じゃなくて兄さんの砲身でもイケんの?」

 うまいことでも言ったつもりなんだろうか。中野の脳内に不快と疑問が湧いた、そのときだ。

 瓶ビールが詰まったケースを左肩に背負って建物のほうからやってきたスタッフらしき男が、いつのまにかすぐそこまで近づいていて、冨賀の至近距離で低くこう言った。

「死にたいなら、まだ喋ってもいい」

 聞き覚えのある声に中野が目を向けると、黄色いケースの陰に覗く顔は同居人の坂上だった。情報屋の腰の辺りに押しつけた右手は、見えづらいけど拳銃を握ってるようだ。

 坂上は中野を見ることもなく、抑揚に欠ける声で静かに続けた。

「俺がお前を消さないのは、役に立つからってだけだ。今度俺かコイツの機嫌を損ねてみろ、いつでもあの世に送ってやる」

「冗談に聞こえないぜ、K」

「冗談じゃねぇからな」

 言って冨賀にビールケースを押し付けた坂上のTシャツにも、同じ清酒のロゴがプリントされていた。

 興味深かったのは、そんなやり取りのわりに冨賀の表情や声音が甘ったるく一変したことだ。中野と喋ってるときは不快感を与えるだけだったそれらが、坂上が現れた途端に別の何かに摺り替わった。

 ある種の親密感をたっぷり含んだ眼差しを弛めて、情報屋は咥え煙草でずっしりと重そうなケースを抱え直した。

「もう行くのか?」

「また連絡する」

「まだ寝てりゃいいのに」

 坂上はそれ以上答えず歩き出し、中野もあとに続いた。

 どこに向かうのかは知らないけど、どのみち元々目指していた駅方向だ。が、もし別のルートだったとしても、坂上が行くほうへ付いて行ったと思う。

 そんな己に内心呆れながら中野は口を開いた。

「なぁ、あんた。帰ってこないときってアイツのとこで寝泊まりしてんの?」

「いつもじゃない、仕事による」

「つまり、珍しいことでもないってわけか」

「何が言いたいんだ?」

 ジーンズのポケットに手を突っ込んだ坂上が、横顔を見せたまま平素と同じ口調で投げ返してくる。その胸元にプリントされた清酒のロゴを眺めて、中野はこんな呟きを漏らした。

「おそろいのTシャツなんか着てさ」

「着替えがなかったからストックをもらっただけだ」

「まさか一緒に寝てないよね?」

「──」

 それから坂上はもう喋らなくなった。

 その沈黙は肯定なのか否定なのか。今までなら大して気にせずスルーできたことが、やたら神経に引っかかってどうしようもない。

 やがて地下鉄へと下る出入口が見えてきた。坂上がその階段を降りるなら悩むことはないが、そうでなければ中野は二択を迫られることになる。

 帰社するなら電車に乗らなきゃならない。でも坂上がまだ当分帰らない可能性だってあるのに、このまま別れていいのか。

 が──

 地下への階段が迫ると、坂上は中野の逡巡を尻目に「じゃあな」と素っ気なく告げて、こちらを見ることもなく行ってしまった。

 その背中を追うかどうか迷わなかったと言えば嘘になる。だけど中野とてリーマンである以上、会社に戻らなきゃならないのが現実だ。

 仕方ない。

 歩行者の合間にチラつく後ろ姿を見送って溜め息を吐き、諦めて階段を下った。

 坂上が帰らなくなったのは昨日からだから、きっと今日もまだ戻らないんだろう。

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