S1 Episode8 協力者
s1 ep8-1
中野が同居人と住んでる建物は、地下から三階の四層構造で、天辺に屋上スペースが載っかってる。
だから普段は地下で乾燥まで済ませてしまう洗濯も、晴れた休日なんかはやっぱり天日に晒したい気分になったりする。
特に今日みたいな、目覚めたら同居人がいなくなってて、快晴で、することもない日曜日とくれば絶好の屋上干し日和に他ならない。
洗濯物が詰まったランドリーバスケットを抱えて階段を上る途中、エレベータが欲しいと中野は切に願った。外干しの欲求に駆られて実行するたび、これもあって億劫なんだよなぁと思ってしまう。
が、上りきってしまえば、喉元過ぎれば何とやらだ。
晴れも雨もない地下では感じることのできない好天の恩恵をたっぷり浴びて、中野は洗濯物を干し始めた。屋上にはもともと古びた物干し台が設置されてたから、そこに新しい竿を掛けて使っている。
知らず漏れてきた鼻唄は、昨夜観ていた海外ドラマのクライマックスシーンでフルコーラスが流れたメタルバンドの一曲。
同居人のボクサーブリーフをピンチハンガーに干しながら、ふと中身──それを穿いていた本人のことを考えた。
ここ五日ほど家にいた坂上は、昨夜は中野の下で腰が立たなくなったくせに、目覚めたらベッドの隣はもぬけの殻になっていた。
ちゃんと服は着られたんだろうか?
また、こないだみたいな危ない目に遭ってないだろうか?
と心配は尽きなくとも、行ってしまうのを止められない限りは仕方ない。が、仕方ないと了解していても、どうしたって心配にはなるジレンマ。
目の前にぶら下がる下着を手のひらで叩いて皺を伸ばし、そうやって未練がましく同居人の名残に触れつつ、引き続き思いを馳せる。
常に無臭を心がけてる坂上ではあっても、体温が上がった首筋に唇を這わせれば、さすがにふわりと肌が香る。もちろん不快な匂いじゃない。むしろ、まるで卵料理みたいな優しい旨味を感じるのは、オムライス好きというイメージによる錯覚なんだろうか?
で、ついつい噛み付いたら、坂上は反射的に枕の下へと手を突っ込んだ。でも残念なことに銃はない。喉に歯を立てたまま尻の奥を容赦なく責めると、そこから先はもう──
不意に額のあたりと股間に熱を感じた。
中野は思考を強制終了して、ようやくボクサーブリーフから手を離した。
纏わり付く回想を振り払って洗濯物を干し終え、落下防止柵に近づいて何気なく辺りを見渡してみる。ここよりも高い建物は、少し離れた大通り沿いにしかない。だから見渡せるのは周囲の建物の屋根や壁ばかりであっても、なかなかの開放感だった。
住宅地だからか、天気のいい日中でも人通りはほとんどない。下の定食屋が営業していた頃、ちゃんと客は来てたんだろうか。
どうでもいいことを考えていたら、ワンブロック先の角にシルバーのステーションワゴンが停まるのが見えた。
ここからは読み取れないが、ボディにシンプルな黒っぽい文字がペイントされてる以外は特徴もない、特に目を引くでもない車種。だけど近頃クルマで現れる『客』が多いこともあり、つい観察してしまう。
すると遠目にもわかる、予想外の人物が降りてきた。坂上だった。
助手席から路上に出て車体を回り込んだ同居人が、ふと振り向いて運転席に近づいた。上体を屈めて窓越しに会話を交わす気配。目を懲らしても相手がどんな人物かまでは窺えない。
が、伸びてきた手が坂上の項を掴んで引き寄せる様子は見えた。坂上が、すかさず腰の後ろから引き抜いた黒っぽい鉄砲を相手の胸倉に捩じ込む動きも。
結局、何事もなかったかのようにステーションワゴンが走り去ったところを見ると発砲はしなかったらしい。
こちらに向かって歩いてくる同居人を上空から眺めながら、中野は降りるかどうかを考えた。
坂上が地下に入れば、自分がいないことを知るだろう。だからって別に、どこにいるのかなんて尋ねてきたりはしないはず。もしくは放っておいても、屋上にいることを察知するかもしれない。
中野は柵に背中を預けて空を見上げた。雲ひとつない晴天。否、西のほうに目を向ければ、遙か遠くに白い塊がぽっかり浮かんでるのが見える。
そうやって何をするでもなくぼんやりしていたら、やがて階段室の扉から坂上が現れた。
白いTシャツに赤とグレイ系のチェックシャツ、細身のブラックジーンズに白いスニーカー。路上に見えたのと変わらない格好だ。
「おかえり、仕事?」
中野が言うと、坂上は小さく頷いて手に提げていたボトルビールのうち一本を差し出した。ラベルはBLUE MOON、受け取って口を付ける。
「あんたの仕事ってさ、相棒とかいんの?」
尋ねると、隣で柵に寄りかかっていた坂上の目が無言で下界を一巡したあと、中野の元へとやってきた。
どうやら目撃されたことを悟ったらしく、こんな答えが返ってきた。
「相棒なんかいない。あれは情報屋だ」
「情報屋さんとは仲良しみたいだね」
「撃たれたいのか? あんたのせいで揶揄われたんだからな」
「え? 俺が何?」
「あんたが妙な痕つけるから」
言われてよく見れば、首に歯形の断片みたいな痕跡と鬱血の名残がある。
「あぁ……ごめんね? けど、だからってあぁいう揶揄い方するかなぁ」
中野は言ってボトルをひと口呷り、続けた。
「子供の頃にさ、たまに母親が近所の子を預かってたんだよ。まだ小学校にも上がってないぐらいの、小さい男の子。俺がもう大きくなってたからつまんなかったのか、母がその子をすごく可愛がっててね。もともと仲睦まじい親子関係でもなかったんだけど、あの頃はほんのちょっと妬けたような気がするんだよな」
「あんたは、大きくなる前からつまんなかったんじゃないのか?」
「まぁ、そうかもしんないね」
「で、それが何なんだ?」
「俺の同居人が情報屋さんのクルマから降りてくるのを見て、久々にそんな感じの気持ちになったって話だよ」
「作り話だろ? あんたが誰かに妬いたりするとは思えない」
「さぁ、どうだろうな」
中野は笑って、ボトルを傾ける横顔に唇を近づけた。
「ビール、地下で飲まない?」
耳もとで囁くと、答えもない代わりに拒絶もなかった。
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