s1 ep7-3

 いつもと変わらず感情の窺えない面構えが中野を捉え、背後の新井へ視線が流れて再び戻る。

「──なんでいるんだ?」

「俺がいない場所で、あんたがドンパチやってるみたいだったから」

「いつものことだろ」

「そうだけど、今日はリアルタイムで知っちゃったからね。居ても立っても居られなくて」

「で、お友だちを連れてきたのか?」

 坂上の目に釣られて中野も新井へと顔を向け、二人を見比べた。

「紹介したほうがいい?」

 念のため尋ねたら同僚は必要ないと答え、同居人は首を振ってSUVの残骸を一瞥した。

「燃やしたのか」

「俺のお友だちがね」

「メインは始末したから、アイツらはどうでも良かったのに」

「逃がしても、どうせまたあんたを狙って派遣されてくるだろ? K」

 新井の言葉に坂上は答えず、尻ポケットから抜いたスマホを無言で振りかぶって暗い海に放り捨てると、それ以降一切喋らなくなった。

 寡黙な三人連れは埠頭の敷地から公道に出て、離れたところに停めてあったクルマに乗り込んだ。

 今日の坂上の足はフルサイズの商用バンだった。さっきのSUVと同じく黒だけど、こちらはピカピカどころか艶消しかと思うくらいマットに埃ってる。

 助手席からチラリとインパネを覗くと、走行距離は二十三万キロを超えていた。



 高速道路は使わず、幹線道路もなるべく避けて法定速度で裏道を縫うように走り、新井を希望の場所で降ろして帰宅するなり、坂上は射撃訓練スペースのマンターゲットに数発ぶっ放して無言でバスルームに消えた。

 メシをどうするのか確認しにいくべきかを少し迷った末、中野は冷蔵庫からボトルビールを出してテレビを点けた。何か食うにしても、出てきてから作ったって大して時間はかからない。

 が──ボトルがほとんど空になった頃、妙に坂上の風呂が長いことに気づいた。

 バスルームに行ってみると、湯張りしたバスタブの底に坂上の上半身が沈んでいた。下半身じゃない。上半身が、だ。

 横たわって膝を立てた姿勢で、目は開いてる。真上から覗き込んだら視線がぶつかった気がしたけど、そうと認識する前に中野は両腕を突っ込んで水中の身体を引き揚げていた。

「驚かすなよ、何やってたんだ」

「考えごと」

「水中で?」

「空間から遮断されて、ものを考えるのに一番適してる」

 坂上はぬるま湯の中で膝を抱えて座り直し、平坦な口調でそう答えた。貼りつく髪から頬へ、首筋へと、雫が幾筋も伝い落ちていく。

「あんた、服濡れてるよ」

 何事もなかったかのような声で言われて初めて、ネクタイを外しただけで着替えてもいなかったことを思い出した。バスタブに浸けたシャツの袖はもちろん、前面は上から下までずぶ濡れだった。

 中野はバスタブの縁に尻を載せた。もう前が濡れてるのに、後ろが濡れることを気にする意味はない。

「あのさ──あんたに降りかかるそういう危険は、やっぱり俺と同僚たちとの関わりとも何か繋がりがあるんだよね?」

「繋がり……?」

 坂上が膝を抱えたまま中野を凝視した。僅かに眉を寄せた表情は、普段とはどこか違って見えた。綯い交ぜになったいくつかの色合い──苛立ち、戸惑い、呆れや怒り、そんなものを感じたのは気のせいだろうか。

 いずれにせよ、口ぶりはいつもどおりの起伏のなさだった。

「繋がりがあるどころか、あんたを中心に何もかもが回ってる。ほんとはわかってんだろ? あんたのその外見に全ての原因が詰まってるって」

「──」

 中野は僅かに首を傾けて同居人の声を受け止め、何気なく壁の鏡のほうを見た。

 曇った鏡面を手のひらで斜めに撫でると、切り出された空間から見慣れた顔が見返してくる。

 同居人とは明らかに異なるカテゴリの生物学的形状。メラノサイトの量が少ない虹彩や肌の色。

 外見的な異質さは、子供時代なら友人たちに揶揄われがちだった。が、大人の仲間入りを果たして久しい今頃、そんなものがトラブルを招く理由になんか見当がつかないし、誰も教えてくれない。

 わかってんだろ? と同居人は言ったけど、正直ちっともわかってない。彼の言い方からして自分に流れる血液が何か問題なんだろうと察しはついたけど、それだけだ。

「それってまさか、同居の解消宣言じゃないよね?」

 ふと尋ねると坂上が目を見ひらいて口を開けた。珍しいくらい無防備な風情が何だか子供っぽい。

「どういう脈絡なんだ?」

「だって急にそんな話をするなんて、もしかして俺から離れるつもりなのかなって」

「別に、そんなんじゃねぇ」

「そう、じゃあいいや」

 中野はシャツのボタンに指をかけた。濡れた布地が重く纏わり付くけど、脱いでしまえば関係ない。

「風呂に入るのか?」

 坂上が訊いた。

「それもあるけど、あんたを抱こうかな」

「──」

「とりあえず、俺の血筋に何か問題があることはわかったよ。俺のせいであんたに危険が迫るって言うなら、それについても真面目に考えなきゃいけないとは思う。でもここで悩んでたって、明日から解決するわけでもないよね」

「俺の危険はあんたのせいじゃない」

「だったら尚更、今することって他になくない?」

 何もかも脱ぎ去ってバスタブに侵入すると、眉を顰めた坂上から非難が飛んできた。

「あんた、掛け湯もしねぇで」

 中野は頬を緩め、場所を空けるために同居人が畳んだ膝を掴んで開かせた。

 腰を抱き寄せながら覗き込んだ瞳に映る己の姿、吸い込まれそうに深い虹彩の色。

「日本人だねぇ」

「あんただって中身はそうだろ」

「外側も半分はそうだよ、多分ね」

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