S1 Episode6 同僚

s1 ep6-1

 中野が実際に生活してる部屋は、表向きの住居と二階層分の高低差がある。

 だから来客があったときは若干──否、かなり面倒だ。

 二階の部屋には建物の古さに似つかわしくないドアホンが取り付けてあって、来訪があれば地下で受信できるようになっている。でも物理的に応対するには、2フロア分をダッシュで駆け上がらなきゃならない。

 世の中の三階建の家でも、上りか下りかの違いはあれど似たようなことが度々起こるのかもしれない。だけど中野の場合、来客はワンフロアの部屋を訪ねたつもりでいる。玄関が開くまで長時間待たされれば不自然に感じるだろう。

 なのに地下から定食屋の店内に上がる階段と、そこから上──つまり押し入れの中の階段は繋がってない。レジの背後の扉から飛び出したあと、厨房の手前にあるトイレに駆け込む必要がある。

 そう。一階から地下への隠し階段は、なんと客用のトイレだった場所にあった。

 今は何もかも取っ払われて面影はなくとも、ドアの外側には『御手洗』という明朝体の古臭いプレートが貼り付いたままになっている。

 とにかくそんなわけだから、できる限り人が訪ねて来ないように配慮はしていた。が、それでも何かとネットで取り寄せることが多いこのご時世だ。限度というものもあるし、宅配の受け取りには全くもって苦労する。ドアホンへの応答をうっかり忘れたまま二階まで飛んで上がろうものなら、ドアの隙間に折り畳んだ不在票が挟まれてたなんてこともしばしばだった。

 で、つい先日、これも建物に似つかわしくない宅配ボックスが階段下に設置された。

 おかげで通販の荷物が届いても慌てる必要がなくなった。だから最近では、ドアホンが鳴ってものんびり構えてることが多い。

 ただし鳴らしたのが配達業者なら、だ。

「あんたの客が来た」

 その平坦な声を聞いたとき、中野はまだ全裸でベッドに寝そべっていた。

 窓がないからわからないけど、天気予報を信じるなら外は快晴のはずの、土曜の午後。

 昨夜は仕事のあと珍しく同居人と外食して帰り、今日も坂上が出かけることなく未だ一緒に過ごしてるという、貴重な時間の只中にある週末。

 ついさっきまで淫らに歪んでいたとは思えない面構えでボトルビールを傾けていた坂上が、ドアホンのモニター代わりに使ってるスマホを中野に差し出して寄越した。捨てずに残ってた古いモデルを再利用したらしい、この部屋据え置きの端末だ。

 それにしても、こんな防音仕様の地下室でよく電波がクリアに入るものだと感心する。しかも、どうやら一般に出回ってる電波強化設備とは違う気がする。

 設備的な謎なら、電波以外にもいろいろあった。ただ、カラクリを知ることに重要性は感じないし、どうせきっと教えてはくれないから訊いてない。

「宅配? ならもう、再配達で……」

 スマホを受け取りながら言いかけて宅配ボックスの存在を思い出した刹那、ドアホンが軽やかなチャイムを奏でた。

 何故、鳴る前に来客を察知したのかと思う間もなく、外の様子が映し出された画面を見て中野は口を閉じた。

 そこに立ってるのは配達人じゃなく、二階に招いたこともある職場の同僚だった。

「出ないのか?」

「いや……」

 約束でもしてたっけ? 脳内で素早く予定を確認したけど記憶にない。

 何しに来たんだ? そう考えてるうちに一旦モニターが切れ、再び呼び出しがかかる。

「はい?」

 仕方なく応答した声は、つい疑問形になった。

「中野?」

「うん?」

「あれ? いるんだよな?」

「まぁ、うん」

 答えたそばから、不在だと言うべきだったかと後悔した。今どきは外出中にスマホで応答できるシステムだって普及してるんだから、ソイツを装えば良かったんじゃないのか。

 が、悔やんだって取り消せるわけじゃない。中野は諦めて溜め息を吐いた。

 ちょっと待っててくれる? そう言って手早くTシャツを被り、下着を穿いて部屋を飛び出し、階段を駆け上がりながら何かを忘れてる気がしつつも二階でカムフラージュのためにベッドの上を乱し、勢いよく玄関のドアを開けた途端、見慣れた顔が中野を上から下まで眺めてまた上に戻った。

「取り込み中──だったわけじゃないよな?」

 中野の背後をチラリと覗いて、再び落とした視線をどこかへ逸らす。そのぎこちない振る舞いを見て中野も同じように軌跡を追い、ようやく己の格好に気づいた。

 そうか。何か足りないと思ったら、急ぐあまり下半身に下着しか穿いてなかったらしい。

 でも幸いなことに相手はよく知る同僚、それも同性だ。一枚も穿かずに出たらさすがにどうかと思うけど、まぁ見過ごしてもらえる範疇だろう。

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