s1 ep6-2

「いや、別に全然。急にどうしたんだ?」

「どうってこともないんだけど、用事で近くに来てたから寄ってみたんだ。ほらこれ、差し入れ」

 渡されたスーパーのポリ袋にはビールの六缶パックが入っていた。

 礼を言って受け取る中野に、同僚──新井は人懐っこい笑顔を惜しみなく向けてくる。

 男という生き物の分布図的には、線が細いグループにカテゴライズされるだろう。中野も逞しいほうではないけど、新井はどちらかというと坂上に近い。

 といっても坂上だって華奢というわけじゃなく、単なる比較に過ぎない。わかりやすく例えるなら、こうだ。

 中野が坂上を抱え上げてセックスしても、新井が同じ行為に及ぶ図は想像しにくい。そんな感じだろうか。

 勿論、抱え上げなくたって実際にそんなことが起こってはならない。

 ちなみに先日、上司の愛人の店に同行させられた片割れは、この新井だった。ホステスに絡まれてはいても心配はしてなかった。この草食系の同僚は、こう見えて意外と要領がいい。あのときも最後には上手く切り抜けていた。

「中野?」

「あぁ、えっと」

 で? という目で首を傾げてみせると、新井は懐っこい表情のままこう言った。

「外に出られるなら、メシでも食いに行かないか? 中野は昼メシは? 俺はまだなんだけど」

「うん、いや……」

 実はまさに、これから坂上にメシを作ってやろうかってタイミングだった。

 最近では、セックスのあと坂上のために料理をするというパターンが恒常化してきた。別に坂上だって食い物のために寝てるわけじゃないだろう──そうであって欲しいけど、腹を空かせてるかもしれないと考えたら唐突な予定変更は気が引ける。

 が、来客の予定があるとでも言って追い返そうと思った瞬間、新井の口から気になる名前が飛び出した。

「実はさ、こないだ落合さんに会ったんだけど」

「ヒカルに? いつ?」

「三日ぐらい前かな」

 ということは、ここでドンパチして帰った日よりも後の話だ。

「彼女、ここに来ただろ?」

「あぁ、お前が住所を教えたんだよな?」

「うん、もしかして不味かったか?」

「いや──」

「で、会ったときに中野のこと心配してたから、ちょっと気になって」

「心配って、ヒカルが俺を? なんで?」

「それが、うん……よくわかんなかったんだけど」

 何だか、あやふやな答えだった。

「アイツ、怪我してなかった?」

「あぁ、肩を怪我してるみたいだったね」

 中野は数秒、同僚の顔を無言で見下ろした。

 今はどうなのか知らないけど、コイツはヒカルに惚れてたはずだ。それにしては彼女の怪我を案じる気配が窺えない。

「大丈夫そうだった?」

「本人は平気だって言ってたよ」

「あ、そう──」

「あ、で? 何か用事あるなら帰るけど……」

 結局、近所まで軽く食いに行くことにした。

 断ろうと思えば断れたし、坂上のメシも気がかりだったけど、三日前に会ったというヒカルの様子を探っておきたかったからだ。

 幸い、カムフラージュのため二階にもある程度の衣類をストックしてあるから、その中から適当なジーンズを穿いて部屋を出た。どうせ状況を把握してるに違いない坂上にも念のため隙を見て連絡したら、知ってる、とだけ返信がきた。

 行き先は、無難にファミレスをチョイスした。

 一番近い店を目指してブラブラ歩きながら、中野は隣に並ぶ新井に尋ねた。

「このへんに用事って?」

「まぁ、ちょっと」

 また曖昧な答えが返る。言いたくない、もしくは言えないのかもしれないから、これ以上は訊かないことにして質問を変えた。

「ヒカルとは何の用で会ったんだ?」

「中野と会ったって連絡が来たから、じゃあごはんでも食べようかってなって」

「うん……?」

 ちょっと意味がわからなかった。

 新井とは毎日、会社で顔を合わせてる。ヒカルが中野と会ったからという理由で彼女と会う必要が、どこにあるんだろうか?

「もしかして、何か相談されたとか?」

「いや? 中野の引っ越し先がやたら古いけど、まぁ不自由はしてないみたいだったとか、そんな話だったよ」

「俺んちがどんな部屋かは、新井も来たんだから知ってるよね」

「まぁ、そうなんだけど」

「あとは?」

「中野にまだ──」

 そこで妙な一拍の空白を置いて、新井は続けた。

「新しい彼女はできてないみたいだとか」

「あぁ……うん? そんなのヒカルから聞かなくたって新井も知ってるよね」

「まぁ、そうなんだけど」

 そうか、と思った。中野の元カノであるヒカルを好きな同僚は、ひょっとして彼女がまだ中野を想ってるとでも勘違いしてるんじゃないのか。

「なぁ、新井」

「うん?」

「俺とヒカルは、これ以上ないぐらいきっぱり別れてるからね」

 だから、自分たちの間には特別な感情なんか髪の毛ひと筋ほども存在しない。

 余計なお世話ではあるけど、そう伝えて安心させてやろうと思った。ヒカルが鉄砲を振り回すような女子だっていう事実は、また別の問題として。

 なのに新井は安堵するどころか僅かに表情を曇らせ、少しぎこちない笑顔で頷いた。

「うん、知ってる」

 一体、何なんだ──?

 掴みどころのないモヤモヤ感を覚えながらも、中野は同僚のセンチメンタルな目元から視線を外して前方に目を投げ、近道するための路地へと促した。

「あとは?」

「あとって?」

「ヒカルとの話」

「あぁ、中野が相変わらずで笑えたとか、そんな話かな。人情味の欠片もないドライな合理主義が、付き合ってた頃とちっとも変わらなくて嬉しかったって」

「俺が言うのも何だけど、変わってるよねアイツ」

「だけど俺たち、お前のそういうところが好きなんだよな」

「うん……? たち?」

「仕事上はともかく、プライベートでは間違っても社交辞令なんか言わないから信用できるし」

「そう? 拡大解釈が可能な、決して嘘じゃない社交辞令なら言うよ?」

 坂上を部品じゃないって言った、初めての夜みたいに──とは勿論、口にしない。

 新井が笑った。

「つまり、心にもないことは言わないだろ?」

「自分の中にないものをわざわざ作り出すのは面倒だからね」

「けど、そうやってあんまり人を近づけたがらないわりに、一旦懐に入れたらすごく大事にしそうな気配あるし」

「さっきから何なんだ? 改まって」

「落合さんと、そういう話をしたってこと」

「俺の話じゃなくて、ヒカルの近況とか聞かなかったわけ?」

「うん、まぁ大体聞いたけど」

「どんな風に?」

「ていうか、中野も彼女に会ったんだよな? そんなの俺に訊かなくても良くないか?」

 新井の口調に、どこか投げやりな色合いが混ざった。

 だから、一体何なんだ──?

 全く見えてこない話の筋に仄かな徒労を感じたとき、路地の出口を黒いバンの車体が塞ぐのが見えた。

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