s1 ep2-2
でも結局、中野は地底の住人になった。
まるでスパイ映画のセーフハウスみたいな話だけど、そんなカッコいいものじゃない。
一体、築何十年なんだろうか? と首を捻るような古臭さ、外階段の鉄骨の錆、煤けた外壁に走るヒビ割れ等々。
どこかを開けたらピカピカの隠し部屋があって最先端のハイテク機器がお目見えしたり、壁一面にズラリと武器が並んでたりなんてこともない。唯一それっぽい押し入れの中の階段だって、ハイテクどころか狭くて暗い急勾配で、注意を払わないと転落しそうになる。
出入りは二階の部屋の玄関。
一階の『いづみ食堂』は、全てのドアと窓が塞がれてる。
だから中野は出かけて帰るたびに危険な階段を2フロア──外階段の昇降も含めれば都合三階層分を移動することになる。いい運動ではあるけど、泥酔して帰ったら間違いなくいずれかの階段で転がり落ちるだろう。
ただし別に、二階や三階の部屋は使用禁止ってわけじゃない。
二階にはアパートから運んだ家具類を置いてあって生活用のインフラ設備も整ってるし、どのフロアも自由に使うことができる。それどころか天気のいい日には屋上で洗濯物を干したり、ビールを飲んだりもする。
地下の部屋は心置きなく銃をぶっ放すために完全な防音仕様となっていて、特に射撃用の空間は特殊な壁を組んであるらしく、跳弾防止がどうのとか停弾装置がどうたらとか──坂上が一度、気のない口調で簡単に説明してくれたけど、すぐに忘れてしまった。何しろ中野の与り知らない世界の話だ。
とにかく、相変わらず帰ったり帰らなかったりの坂上がいないとき、扉を閉めてしまえば外界の音が何ひとつ入ってこない無音の空間で中野はひとり過ごす羽目になる。
お年寄り並みにテレビのボリュームを上げようが、大音量で音楽を聴こうが勝手だし、有り難いことに近所からの苦情だって一切こない。
それでも夜、不意に小さく唸り出す冷蔵庫のモーター音で目覚めるほど完璧な静寂に包まれて眠るってのは、なかなか落ち着かないものがあった。
俺、こんな生活しなきゃならないぐらい何かヤバイわけ? ──試しに一度、そう尋ねてみたことがある。すると、こんな答えが返った。
「ヤバくなる可能性は五分五分だな」
「だけど普通に毎日会社行ってるし、外に出てる時間のほうが長いんだから、その間に何か起こるかもしんないよね?」
「とりあえず手は打ってある」
──結局、どういう理由でどんなふうにヤバくて、どんな手を打ったのかは何ひとつ教えてくれなかった。ノドに手を突っ込んで情報を引っぱり出せるならやってみるけど、そういうわけにもいかないから仕方がない。
それに何だかんだ言ったところで、また引っ越すのも面倒だし、この部屋だからこそ気に入ってる点もあるにはある。
中野はビールを干して立ち上がり、冷蔵庫を覗き込んでる坂上の背中に近づいた。
鉄砲のメンテナンスを終えて気が済んだらしく、ボトルビールを手に振り返った面構えは心なしか無防備に見えた。その腰に腕を回して冷蔵庫に押しつけ、服を剥ぎ取ってベッドに沈めるまで、大して時間はかからなかった。
行為の最中、同居人は日常のどんなときよりも饒舌になる。語数がどうとかじゃなく、声にちゃんと感情がこもるって意味で。
だから中野はセックスの最中に彼の声を聞くのが好きだったし、隣近所を憚る必要がないという、地下ならではの利点が気に入っていた。
が、平素の姿が嘘のように興奮を見せた坂上は、終わるや否や行為中の乱れようが嘘のように速やかに、いつものコミュ障っぽい感じに戻ってしまう。
余韻なんかこれっぽっちもない。身体を起こしたその顔に滲んで見えるのは、やっちまった……とでも言いたげな不本意の色だけだった。
「あぁ、クソ」
今日もそう呟くと、坂上は童話のパン屑みたいに点々と床に落ちてる自分の衣類を次々拾ってバスルームに消えた。
それを見送った中野もベッドを降りて、冷蔵庫の扉を開けた。
きっと風呂上がりに夜食を要求されるから、戻ってくるまでに何か作っておくことにしよう。同居人は、あれで意外に食い意地が張ってる。
まぁ腹が減っては戦ができないし、戦のあとには腹が減るものだ。
翌日の仕事帰り、中野は坂上に電話をかけた。
初めに紙切れで受け取った坂上の電話番号は、あれから既に四回変わっていた。
うち一度は、一緒にメシを食った帰りにどこかから電話がかかってきて、歩きながら通話を終えた──正確には耳に当てただけで、ひとことも喋らずに切った──坂上は、そのままSIMカードを抜き取ると側溝の
だけど今かけてるのは昨日聞いたばかりの番号だから、多分まだ生きてるだろう。そう期待していたら、3コールのあと無事に本人が出た。
「今日ちょっと飲んで帰ろうかなって考えてんだけど、あんたもどうかと思って」
「いや、俺はいい」
「あ、そう」
家にいるのかどうかを訊こうかと思って結局やめた。来ないと言ってる以上、所在を気にしたところで意味はない。
坂上と知り合った例のバーは、今夜はそこそこの混み具合だった。が、知ってる顔は見当たらない。
ひとりでカウンターに着いて飲んでいると、程なく隣のスツールに女が滑り込んできた。
「一杯おごってもらえる?」
確かに、見知らぬ赤の他人にいきなりそんな要求をしても許されるレベルの美女ではあったし、露出度もなかなか高い。
が、ここはマンハッタンでもなければ、百歩譲って銀座でもない。中野坂上だ。
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