S1 Episode2 セーフハウス

s1 ep2-1

 中野の部屋には、時々帰ってくる正体不明の同居人がいる。

 名を坂上という。一分の隙もなく疑う余地のない偽名だけど、支障はないから別に構わない。

 坂上とは地元のバーで知り合い、何となく半同居みたいな生活が始まった。正確には、坂上が勝手気ままに帰ってくるようになった。

 そして半年が過ぎた頃、何となく身体の関係を持ち、同じ夜に坂上の素性の一部分を垣間見た。

 あれから、およそ三ヵ月。

 中野はボトルビールを口に運びながら、目の前で展開されてる真っ最中の作業を見るともなく眺めた。筒状の金属が、ゴトリと音を立ててテーブルに置かれた。

 そう。坂上の一部分ってのはこれだ。

 前に住んでたアパートの部屋でドンパチをやらかしたあと、坂上は中野の前で堂々と鉄砲に触るようになった。もう隠し立てしたって意味がないということか。

 とは言え中野は未だ、あの夜に知った以上のことを何ひとつ知らない。

 アパートで始末されたヤツらは何者だったのか、坂上はどういう事情で狙われたのか、彼は何者なのか。

 あの晩、指示されたとおりの内容で警察に説明したけど、あんなにざっくりした作り話にもかかわらずあっさり済んじまったことも腑に落ちない。

 けど訊いたところで教えてはくれないだろうし、返事が返ってくるかも怪しい。だから一度も尋ねてはいなかった。

 ただ、全く説明がない一方で、坂上は口止めすらしない。それはそれで中野に対する信用の顕れじゃないかと思えば悪い気はせず、結局どうでもよくなるわけだった。

 テーブルの上では今、いろんな形状のパーツやら小さなピンやスプリングに至るまで、完膚なきまでにバラされた全てのものが神経質なくらい几帳面に整列していた。

 バレルも取っ払って骸骨みたいになったフレームを一心不乱に手入れする坂上の姿は、夢中でブロックを組み立てる男児みたいに見えなくもない。違うところは眼差しの温度くらいか。夢や好奇心が溢れる幼児の目と異なり、坂上のそれは平素と変わらず一切の熱がこもらない。

 が、だからって油断して普段と同じように話しかけようものなら、即座に生命の危機が訪れる。

 坂上の場合、特に分解と組み立て、とりわけ組み立て時が最も要注意で、一度このタイミングで鉄砲の素材について質問しかけたらすかさず別の──バラされてない──銃を向けられた。

 それも、おざなりに向けただけじゃない。片手ながらもしっかりグリップされたソイツが真っ直ぐこちらを狙い、銃身の延長線上から無言の目がピタリと中野を捉えていた。

 以来、銃の分解が始まったら声をかけないことにした。

 斜向かいの席に陣取った中野は、リモコンでテレビをオンにしてボリュームを絞った。作業に水を差すと命取りになりかねないけど、黙って見てるだけなら坂上は気にも留めない。それどころか当人に話しかけさえしなければ、テレビを点けようが電話をしようが問題ない。

 ふたりともバラエティ番組は好きじゃないからVODの海外ドラマにチャンネルを合わせて、ボトルをひと口呷る。

 坂上が持ち帰るビールに決まった銘柄はなく、その時々でいろんなものがお目見えした。

 たまに国内銘柄もあるけど大抵は海外のボトルで、今夜のラベルには特徴的なフォントでZOMBIE DUSTと印字されていた。頭に王冠を戴いた騎士っぽい格好のイラストは、どうやらゾンビらしい。

 ゾンビの──塵?

 首を捻ってボトルに口をつけながら、こちらの怪訝なんて知る由もない同居人にチラリと目を遣った。

 銃のことなんかさっぱりわからない中野は、今そこで分解されてるのがどこのメーカーの何というモデルなのかも知らないし、並んだパーツが各々どういう名称で、人を殺傷する瞬間にどんな役割を果たすのかも知らない。

 だけど集中してる同居人の顔を眺めるのは好きだった。

 中野はゾンビの塵を飲みながらテレビのドラマを目で追い、時折テーブルの向こうの坂上を観察した。

 特徴を掴みづらい造作の中にあって、ちょっと気怠い風情を醸し出すその目が、瞬きも忘れたかのように手元を凝視している。そのさまのどこがどうってわけではなくとも、ささやかに中野の神経を刺激する何かがあった。

 やがて慣れた手つきで銃を組み直した坂上は、グリップにマガジンを突っ込んでスライドを引くなり椅子から立ち上がると、開けっ放しの隣室の奥に立つ射撃訓練用マンタケーゲットに向けて続けざまに三発ぶっ放した。

 補足する。

 引っ越し先のこの部屋は、中野が探した物件じゃない。


 ある日、不動産屋の表にずらりと貼られた賃貸物件を覗き込んでいたら、突然背後で声がした。

「あんたが住むのはそこじゃない」

 振り返ると坂上が立っていた。

 促されてついていくと、辿り着いたのは雑居ビルがひしめき合うエリアの一角に建つ、古びたコンクリート製のアパートだった。

 正確に何というカテゴリの建物なのかは知らない。一階は大昔に廃業したらしいメシ屋で、錆が浮いたシャッターの上には、文字が消えかけた『いづみ食堂』の看板が掲げられたまま。正面に向かって左サイドの壁に、剝き出しの階段と古びた銀色の郵便ポストが二つ設置されている。どうやら二階と三階がワンフロア一戸ずつの賃貸物件らしい。ベランダ越しに見上げた気配からして両方とも空室のようだから、どちらかに住めってことなんだろうか。

 しかし結論から言うと、中野が住むことになるのはどちらでもなかった。

 まず剥き出しの鉄骨の階段を上がって、二階の空き部屋に入った。

 古色蒼然とした台所を何故か土足のまま横切り、奥に並ぶ二部屋のうち和室のほうに進んで壁の押し入れを開けると、なんと上下に伸びる狭い階段が現れた。

 呆気に取られながらも坂上について一階の店まで降り、さらに地下フロアまで下り、正面に立ちはだかるやたら頑丈な扉を開けた先には、ベッドだの冷蔵庫だのが素っ気なく配置された空間が広がっていた。

「まさかとは思うけど、俺にここで暮らせって? 上の部屋じゃなくて?」

「引っ越し屋の荷物は上に運ばせるけど、あそこはダミーだ」

「でもここ、窓ないよね」

「窓が必要か?」

「いや──マストじゃないけど、人間だって換気しないと」

「息苦しくなったら上に上がればいい」

「魚じゃないんだから」

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