承ノ弐 咸木エネミィ
◆◇◆◇◆
気がつくと俺は、真っ暗な空間の中にいた。
荒地に体を押さえられ、地面を這いつくばる俺。
そんな俺を取り囲み、罵倒と叱責を浴びせてくる人々と、そのさらに上。
そこに立っていたのは、二人の人物。
瞳に悲しみの色を宿した
地を這う俺を高みから見下ろす條原の威圧が、俺に立ち上がることを許さない。
「それじゃあね。咸木結祈くん」
條原は、怯える青春と共に俺に背を向ける。
━━待て、行くな……っ!
そんな俺の叫びを
「ユーキ、くん……っ!」
青春…………。
「君じゃあ、彼女は守れない。いや…………。君の手では、誰一人として守ることができない」
條原の声、形で。
條原ではないナニカが、語りかける。
「待て……。待ってくれ…………。それだけは……ッ!」
俺が辛うじて出せた言葉は、坑拒の言葉のみ。
しかしそんな言葉が届くはずもなく、歩く足を止めず條原は進む。
「ち……っ、くしょぉおお!!」
「━━うるさい!」
「ほべッ!」
◆◇◆◇◆
「………………」
先程の悪夢から覚め、意識を覚醒させた俺は、呆然と天井を見つめる。
「夢、か……。って、おわっ!」
「もう! こんな時間まで何やってるかと思ったら……、早く準備しなさい!」
なんで、
ここは俺の部屋だぞ! 不法侵入だ……、
「おはよう。兄ちゃん、起きるの遅いから死んでるのかと思っちゃったよ。ま、海桜ちゃんが来てくれたから良かったけど」
つか、なに? お前はお兄ちゃんの生死が未明のまま放置してたの?
とんでもねぇよ。サイコパスだよ。
……ていうか。
まだ俺は起きたばかりだってのに、こいつは来るのが早すぎではないか?
いや、元々が異常なまでに早いのは重々承知なのだが……。
もしかして、サイコ娘に呼ばれたのか?
そういやさっき、早く準備しろとかなんとか……。
「なあ、海桜。お前、なんでこんなに早く来たんだ? 俺は夢のせい……たまたま早く起きたけど、それより早く来るって、何か急用でもあんのか?」
どこか裏の目的があるのかと。
そう探りを入れる俺に、海桜は呆れた顔で言った。
「はぁ……。時計見て、時計」
「え? 時計? ……特に何も無いだろ」
「アンタそれ正気で言ってるんだもんね…………」
「い、いや、今さらそんな目で見られても……。ていうか、それで時計がどうしたって言うんだよ?」
まだ朝の七時。
登校まで、余裕でもて余せる程の時間があるはずだが……。
「短針」
それだけ伝えられた俺は、言われた通りもう一度時計の短針を見る。
うーん。
それでも、時間に変わりはな…………はぅ!?
寝ぼけ
マジか……そういう事かよ…………。
「は、八時ィ━━!?」
「面白い反応するね、兄ちゃん」
そりゃそうだろ。
なに? てことは、俺はいつもより一時間近く睡眠を取っていたと?
確かに、思い当たる節が一つだけある。
(それじゃあ、俺はあの夢を一時間も見てたってのか!?)
あぁーもう! 思い出しちまった!
今すぐこの記憶を消去しなければ……。あ、ついでに朝イチのサイコ妹も。
「やっべぇ、早く行かなきゃ!」
「兄ちゃん、どっかのラブコメの主人公みたく、パンを咥えながら登校してみたら?」
「できればそんな古くさい事はしたくないんだが、今回ばかりはそうせざるを得んな。遥、そんじゃあ渡してくれ」
「あ、待って。食パンが無かったから、この前安売りしてた焼きそばパンでいい?」
「何故に焼きそばパン!? ……まあいいや」
そうと決まれば、早速靴を履き替えて、学校へ向かわなくては!
「ごめん海桜。待たせたな」
「ううん。大丈夫。それじゃあ、行こっか」
「ああ。…………行ってきます!」
「いってらっしゃーい。私も、学校があるからね」
「しかし、どうする?」
「何がよ?」
「いや、時間的にもう間に合わないだろうし、どうせだったらこのまま遅刻してやろうかと考えた所存にございますぞ」
「アンタねぇ……、少しはまともな解決策ぐらい思い付かないの?」
「うぐっ。……じ、じゃあ、そういうお前はどうするんだよ? 今からならどう頑張っても追い付かないぞ」
「そ、それは…………」
考えてないんかい。
ったく、自分の事は棚に上げやがって。
「まず、徒歩で登校したら時間切れ。それを無視してさりげなく遅刻するのも無理。休むのなんて論外だ。確実に間に合うようにするには、徒歩以外の交通手段を使うしかない。……どうする?」
海桜の力を使えば少しは軽くなるだろうが━━それでも昨日の今日だ。きっと、恐ろしい罰を処されるに決まっている。特に俺が。
頭を抱え考え込む俺に、海桜は。
「…………それよ」
「な、何か思い付いたか?」
「完璧よ。そのためにはまず、ユーキ。アレを持ってきて」
「アレって何だよ? ってまさか…………」
「……そう。自転車があるじゃない」
俺の
「いや、そもそも俺、自転車で登校なんてしたこと無いし。怒られるんじゃねぇの?」
「確かに、学校の駐車場に停めたらバレて怒られるわね。なら、その前のコンビニにでも停めれば良いじゃないの」
「はぁ!? お前それ正気で言ってんのか!?」
「まったく……、アンタ、本当にバカね! 良い?」
俺の発言は一切無視して、堕天した海桜は言う。
「……どんな悪事も、バレなきゃ犯罪じゃ無いのよ」
◆◇◆◇◆
「うわあああああ!!」
「あはははははは!!」
何なのコイツ!? 自転車が出していいスピードじゃねぇだろ!
もはや、坂道を全速力で駆け抜けている幻覚さえ見え始めてるじゃねぇか!
「どう? 名案でしょ? ユーキ!」
「まさかお前の口からあんな言葉が飛び出すなんてな。とんだ迷案だな!」
まったく……おかげで
あと、急いでるからって立たなくていい! その……お前のスカートが風でめくれてるから!
いや!もっとやってください!
まあ、なんやかんやで到着した訳だが。
なんだか、朝だけで今日一日分の体力を使い果たした感じだな……。
さてと。それじゃあ教室に…………うげっ!
「ちょっと、咸木くん、白河さん! 今は何時だと思ってるの!?」
「あ、
きらびやかに揺れる黒髪。整った顔立ち。深紅の瞳からは、彼女の意思の強さが感じられる。彼女もまた、美少女だ。
腕に巻いた『風紀委員』の腕章が、その立場を主張している。
誰もがお気づきだろうが、榮原高校の風紀委員長だ。
「何なの、その反応は。さあ、なぜ遅刻したのか、理由を聞きましょうか」
「え、えーっと……。それは…………」
━━先に言っておくが、俺達はこの人と関わった事が無い。
だが、油断は禁物だ。決してここで誤魔化そうなんて考えを持ってはいけない。
なぜなら、この風紀委員長は━━
「えっと、俺達が登校した時、ちょうどその道が工事中で通れなかったんですよ。それで遠回りしていった結果、こんな時間になってしまったという訳です」
「工事ですって……? 確か、あなた達の地区では最近工事は行われていないはずよ。それに、仮に工事中だったとしても、少なくとも一つは近道があると思うんだけど……」
そう。
県立榮原高等学校風紀委員長というクソ長い肩書きを持つ奥乃宮朱は、全校生徒の住所、人間関係、プライベートの事情を全て把握しているのだ。
その上頭が良くて勉強まで出来るなんて……、なんかもう、全体的に化け物じみてる。
友達も多いんだろうな。今度、何回告白された事があるか聞いてみよう。
しかし、そんな完璧ハイスペックな彼女にも、弱点はあるのだ。
これは、とある
「一回目とはいえ、遅刻は遅刻よ。風紀委員規約の違反として、それなりの罰は受けてもらうわ」
「はい……」
「えっ!? ちょっと、ユーキ?」
「ほら、あなたも」
よし、今だ。
「━━うわっ、見てください奥乃宮さん!」
「今度は何?」
「ご、ゴキ……」
「ゴキ?」
俺が指を指した先。
廊下の隅に身を潜めている、黒き物体━━、
「ゴキブ……」
「きゃああ━━━━ッ!!」
「海桜、今のうちだ」
「ユーキ……」
「あ? 何だ? ……ぶべっ!」
「朝からなんて物見せるのよ! 最っ低!」
あ、そういうことね。
お前ら二人、火星で生きていけねぇわ。
しかし、ホワイトの情報は真実だったな。今度ああいう目に会ったら、テラフォーミングしよう。
てゆーかそれ、ただのゴミだけどね。
その後、事実を知られた俺は、二人にボコボコにされました。
さらに、奥乃宮さんのノートにある要注意人物の欄に俺の名前が記載されていて、余計にヘコんだ。
◆◇◆◇◆
「よっ、ユーキ」
「ホワイト」
できれば今は、そっとしておいて欲しいんだけどな。
「聞いたよ。遅刻した挙げ句、ボコボコにされて一層目をつけられたんだって? ハハッ、そんな落ち込むなって」
「お前、バカにしてんだろ」
「んなことねーよ。ほら、こっち向け……って、おわっ!」
「あ? どうした?」
いきなり人を見るなり驚いた表情をしやがって。なんだ、俺の顔にゴミでも付いてんのか? あるいは俺の顔がゴミだって言いたいのか?
「お前そのケガ、どうしたんだよ?」
「あ? そりゃ、さっき殴られた所だろ」
「どんだけ本気で殴られたの!? いや、他に思い当たる節は無いのかよ?」
「思い当たる節?」
「ほら、昨日の帰りとか。一回会ったけど、そのあとどうしたんだよ?」
昨日の帰りか。なんかあったっけ…………あ!
「思い出したか?」
「ああ。とっても嫌な事をな」
「嫌な事? なんだよそれ」
「分かった。話してやるよ。昨日の一幕を」
━━昨日。
俺と海桜が、條原と初遭遇し、帰りに不良生徒達に追われていた話の続きだ。
ホワイトと別れた後、あいつらに居場所を突き止められ、なす
『ようやく追い詰めたぜ。覚悟は良いな?』
『ユーキ……』
『お前ら二人が助かるのなんて無理だ。だがな、片方だけ助かる方法ならあるぜ。それもお互いにな』
『助かる方法だと?』
『ああ。それじゃあ選択肢を二つやる』
なんか、ロクな気がしねーな。
『お前らどちらかが助かる二つの選択肢!』
『白河海桜を俺達に渡すか、咸木結祈が俺達にボコられるかだ』
つまり、海桜をあいつらに手渡して好き放題させるか、俺があいつらのサンドバッグになるかって事か。
なるほど。あいつらにしては名案だ。
だがな…………そんな名案、どっちもお断りだっつーの。
その選択肢には大きな穴がある。
その穴をつけば、どちらとも助かる。
要するに、俺があいつらにやられるんじゃなくて、俺があいつらを倒せば良いんだ。
ふっふーん! どうよ、この完璧な作戦?
『分かった。……海桜には手を出すな。やるなら俺にしろ』
『おーおー! 何を今さらカッコつけちゃって~。よし、お前ら!コイツで憂さ晴らしだぁ!』
へーんだ! てめぇらなんか、俺がボッコボコのギッタギタにしてや……
『オラァ!』
『ぐほぁ!』
『ユーキッ!』
『ぐ、ちょっと待ってすみませんした許してくださぃいいい!!』
『知るか! テメェをぶっ殺すまでやめねぇよ!』
『大丈夫? ユーキ! ……ぷぷっ』
『おい、さりげなく笑ってんじゃねぇよ! って、ぎぃやあああ!!』
およそ十分後。
俺をボコボコにした不良達は、俺達を解放しどこか満足気に帰っていった。
とりあえずは、助かったのか……。
あれ、なんだか気が遠のいて…………、あ、これヤバイ……。
「ちょっ! ゆ、ユーキ!? 大丈夫!?」
慌てて駆けてくる海桜の声が全て届く前に、俺は意識を手放した━━。
━━━━━━━━。
「……とまあ、軽くこんな感じだ」
「全っ然軽くねぇよ!?」
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