第九十三話 みんなの愛するヒーロー

 私が泣いてしまった時、いつもメイくんが抱きしめてくれていたのは、ミヤさんの真似をしていたからだった。

 ただしミヤさんは、私だけにそうするわけじゃない。サークルの男の子たちが落ち込んだ時も同じことをして、暑苦しいとウザがられては豪快に笑うのだ。

 不安も悲しみも吹き飛ばしてくれるミヤさんに、私たちはずっと甘えてきた。だから今度は、私が同じことをしてあげたい。泣いてしまったミヤさんに、私が今まで貰ったものを、同じように届けてあげたい。


「ミヤさんのこと、大好きなんだからね! そんな理由でさよならなんて、絶対に認めないんだから! これからも、一緒にいてくれなきゃ嫌だからね!」


 思いつく限りの言葉を並べて、ありったけの気持ちを伝えたかった。私だけじゃない、サークル全員が同じ思いのはずだ。みんなの気持ちを伝えられれば、きっと思い止まってくれると信じた。

 だけどミヤさんは、私の肩を掴んで身体を引き剥がした。


「り、リコちゃん、ちょっと待ってくれ……!」


 そう言ったミヤさんは、薄暗い部屋へと視線を泳がせた。


「ああもう、女の子が気軽に野郎へ抱き付くんじゃない! 困った姫だな本当にもう!」


 ミヤさんは、何故だか本気で照れている。確かに涙は止まったけれど、私がしようとしていたこととは、何かが違うような気がする。


「何で照れてるの? 私には平気でハグするのにっ」

「それを言われると弱いんだが、せめてセリフを選んでくれないか! 俺をテディベアくらいに思ってるよな?」

「だって」

「だってじゃない! いいか、熊は可愛く見えてもケダモノなんだぞ。パンダだって侮れんのだからな!」


 ミヤさんは、真顔でお説教を始めた。普段通りのミヤさんだ。これからも、私が何かを間違えたら叱って欲しいのに……どうすれば、この人を引き止められるんだろう。


「すまない。少し、強く言い過ぎたかもしれないな」


 考え込んでしまった私が落ち込んだように見えたのか、ミヤさんの声は急激に優しくなった。


「だがな、恋人以外の男に抱き付きながら、好きだなんて言うものじゃないぞ。その気がないとわかっていても、つい勘違いしたくなるだろう?」

「全くだ」


 予想外の方向から、ミヤさんの言葉を肯定する声が聞こえた。

 声がした方へ振り返ると、部屋の入口にハヤトくんが立っていて、私たちを呆れたように眺めている。そんな彼を見て、ふと去年の夏のことを思い出した。メイくんに抱きしめられていた私を見て、この人はどんな誤解をしたんだっけ……?


「わ、わわ、違うからね!?」

「違うぞイシバシ、俺はテディベアだ!」


 慌てて弁明する私たちを見て、ハヤトくんはくくく、と笑った。

 もしもここでケンカになったら、ミヤさんは永遠に離れてしまう気がして、何だか余計に焦ってしまう。


「ごっ、誤解しないでね? 私が勢い良すぎただけなの!」

「わかってるさ。しかし中々戻って来ないから、いったい何事かと思えばこれだもんな。まぁミヤさんだから、というのはわからんでもないが」

「出たな毒舌男め! 否定できないのが悲しいところだな!?」


 抗議の声をあげるミヤさんに構うことなく、ハヤトくんは私たちのそばへ来て、こちらに右手を差し出した。


「いつまでも座ってないで、さっさと立とうな。ミヤさんが困ってるぞ」


 素直にその手を取って立ち上がると、彼の隣へ引き寄せられた。呆れ気味ではあるけれど、怒っているようには見えなかった。

 つまり、こんな場面を見ても、ハヤトくんは何一つ誤解しなかったのだ。去年の夏とは明らかに違う。私と彼との間には、確かな信頼が育ったのだと、自惚れてしまってもいいだろうか。


「何で嬉しそうなんだよ、少しは反省しろ。これじゃ置いて行けなくなるだろ」


 ハヤトくんが苦笑しながら、私に軽くデコピンをした。そんなに痛くはないんだけど、わざとらしく痛がってみる。こんなじゃれ合いができるのも、あと少しだ。


「だったら、置いて行かなければいいじゃないか。メイに彼女が出来たからって、あんまりボケっとしてると掻っ攫うぞ?」


 詳しい事情を知らないミヤさんが、珍しく攻撃的な言葉を放った。レミナさんのところへ行こうとしてるんだから、本気の言葉なわけがないんだけど、それでも少し戸惑ってしまう。

 何も言えない私を見ながら、ミヤさんはゆっくりと立ち上がる。やれやれ、と言いながら自分のジーンズに付いた埃を払った。


「イシバシ、今日の騒ぎの始末はまだ付いていない。お前がいないと、誰がリコちゃんを守るんだ? まだ間に合うだろう、お前は福海に残るべきだ」

「俺だって、残りたいですよ」


 ハヤトくんはとても小さく呟いて、繋いでいた手に力を込めた。少し痛いくらいに握られた手は、普段よりも冷たかった。


「ミヤさんが、リコを守ってやってくれませんか。メイが信頼しているあなたなら、俺も安心して任せられる」

「何だそれは。お前はもう、この子と他人になるつもりなのか?」

「他人というか……恋人であることを、辞めるつもりです。二人で話し合って決めたことです」

「悪いが、さっぱりわからんな。俺に役目を渡す気だったら、もっとわかるように話してくれ」


 ミヤさんは、私たち二人に訝しげな視線を向けた。

 話したところで理解されるとは思えなかった。ハヤトくんとミヤさんは、明らかに見ている世界が違う。きっとミヤさんは「互いの夢を応援しながらの遠距離恋愛」に何の抵抗もないのだろうし、器用にバランスを取って両立させてしまうに違いない。

 それでもハヤトくんは、頷いた。本当に私を預けてしまう気なのだろうか――まさか「恋人になれ」と言う意味ではないだろうけど。


「ずっと抱えてきた夢を、全力で追うと決めたんです。叶えるまでに何年かかるのか、次に会うのがいつになるのか……何一つ約束できないまま、リコを縛り付けたくないんですよ」

「だから別れるというのか? 俺は賛同できんぞ。そこは離れていても寂しくさせないとか、できるだけ早く戻るとか、そういう誓いを立てるところじゃないのか?」

「守れないとわかっている約束なんて、最初から交わしたくありません」


 平然と言い放つハヤトくんに、ミヤさんは面食らった様子だった。


「そ、そうか。自分の想いを示すことも、大事なことだと思うんだがなぁ」


 どうにも納得できない様子のまま、自分の顎に右手をあて、考え込むようなポーズで唸っている。


「うーん、まぁ、人選には滲み出ているな。手を出されたくないなら俺が安牌、複雑な気分にはなるが妥当だ。だがイシバシ、お前はひとつ、大事なことがわかっていない!」


 急にミヤさんは誇らしげに胸を張り、ハヤトくんの眼前に人差し指を突き出した。びしっと音がしそうなその動作はすごくアニメ的で、うっかり笑ってしまいそうになる。ミヤさんが絡むと、どんな真剣な場でもどこかコミカルになってしまう。


「いいか、リコちゃんはイシバシじゃなきゃダメなんだぞ! 俺たちは何年一緒にいても、全員揃ってテディベアなんだからな? メイなんかあまりに不憫すぎて、見ているこっちが泣けてきたくらいだ!」


 ミヤさんが言葉を重ねるほどに、私はどうしても気まずくなってしまうのだけど、こちらの様子に気付く気配はない。もう勢いは止まらなかった。


「この際だから言わせて貰うが、お前の選択はただの臆病風じゃないのか? 待っててくれると期待して、裏切られるのが怖いだけなのに、格好付けて身を引くふりをしているだけだろう?」


 ハヤトくんは反論することもなく、眉をひそめて黙ってしまう。それを見たミヤさんはすっかり勝ち誇った様子で、腰に両手を当ててふんぞり返った。


「まぁ、俺はリコちゃんの騎士ナイトになれるなら光栄というものだ。イシバシはそれでいいんだな? 本当に、お前はそれで平気なんだな?」


 ミヤさんが、顔色を伺うように念を押す。本当は嫌なんだろうとでも言いたげだ。しかしハヤトくんは、何故かニヤリと意地の悪そうな笑みを浮かべて、そっと私の肩を抱いた。


「最初から、俺はミヤさんに頼んでるんです。惚れてもいないような女とヨリを戻すより、正義のヒーローやってて欲しいんですよ」

「聞いていたのか!?」


 ミヤさんの声は、ほぼ悲鳴だった。どこから聞いていたんだろう。わからないけど、ミヤさんが泣いてしまったところは間違いなく見ていたことになる。それに気付いたらしいミヤさんが、心底嫌そうな声をあげた。


「うへぇ、イシバシお前、本当にいい性格してるな……」

「どうも。この際だから言わせて貰いますが、アンタの選択はただの自己満足じゃないんですか。誰も望まないとわかっていながら、罪悪感への免罪符が欲しくて、自分を罰しようとしているだけじゃないんですか?」


 まるで自分にぶつけられた言葉を返すように、ハヤトくんはリビングの方を見ながら、言った。


「アンタがヒーローじゃなくなったら、あの連中を裏切るようなものでしょう」

「……そう、だな」


 何も反論できなくなったミヤさんは、大きな溜息を吐きながら、再び床へ座りこんだ。


 ミヤさんはサークル卒業を撤回してくれて、三人で話した内容については、みんなには秘密にしておくことになった。

 もしも「ミヤさんがレミナさんの件で責任を取ろうとした」なんて言ったら、男の子たちは全員が本気で怒るだろうし、ミヤさんの前で軽率に予想を口にしたチガヤちゃんとミキちゃんも、揃って傷付くに違いなかった。

 もし誰かに何か聞かれたら、ミヤさんがカメラについて語り出したことにしようと打ち合わせてからリビングへ戻ると、格闘ゲームの対戦モードがすっかり白熱していて、ミキちゃんが連戦連勝で「かかってこいやぁ!」と上機嫌で叫んでいた。おかげで私たちがいなかったことは誰も気に留めておらず、思わず拍子抜けしてしまうくらいだった。

 終電の時間が近くなってもミキちゃんの最強ぶりは止まるところを知らず、部室に泊まらず帰ることにしたのは、私とハヤトくんの二人だけだった。

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