第九十一話 それが僕らのルールです

 せっかくだからと勧められ、ミキちゃんも交えてサークルのみんなに撮影して貰った後、私たちは早々にハヤトくんのいる飲食ブースへ戻ることにした。さっきの騒動のせいなのか、四人とも撮影に集中できなくなっていた。

 みんなは他のコスプレイヤーを撮りに行ったけれど、ミヤさんだけは「イシバシの代わりにリコちゃんを守らなければな!」と大げさに宣言して、私の隣を歩いている。


「あの、ミヤさん。本当にレミナさんと付き合ってたんですか?」


 壁際から離れて人が少なくなった途端、メイくんが怪訝な顔で質問をぶつけた。


「なんだ、意外か? 福海みたいな狭い地域で、こういう趣味を持っている者同士なんだから、別に奇縁という程ではないだろう?」


 それはそうですけど、とメイくんが口篭る。ミヤさんでも被写体レイヤー相手に恋愛なんてするんですね――きっと、そう言いたいんだと思う。私たちは、ミヤさんが女性レイヤーをで見ないと思い込んでいたから。 


「どうせ女っ気の欠片もないと思ってたんだろうが、高校時代は意外と需要があったんだぞ? 無論、今はサッパリだがな!」

「いえいえ、彼女いないわりに女性慣れしてるなーとは思ってましたよ」


 笑っているミヤさんとは対照的に、メイくんは微妙な表情をしている。チガヤちゃんも、ミキちゃんも……多分、私も、同じ顔だ。


「参考までに、どうしてフラれたのか聞きたいんですが」

「おいおい、俺がフラれた方だと決め付けるなよ?」

「え、違うんですか」

「うんまぁ、微妙なところではあるがな?」


 メイくんの態度をものともせず、ミヤさんは豪快にハハハと笑い、しかしその笑いは急速に溜息へと変わっていった。


「アイツが急に、女性レイヤーを撮らないでくれと言いだしたんだ。無茶を言うなと断ったら、バイト代で買ったフルサイズ一眼を川に投げ込まれてな……大喧嘩になって、そのままお別れだ」

カメラ小僧カメコの機材を壊すなんて、あの人は本当にコスプレイヤーですか?!」


 メイくんが悲鳴に近い声をあげ、ミヤさんは小声で「残念ながらな」と呟いた。


 ミヤさんが「カメラを川に落とした」と嘆いていたのは、まだ私がミキちゃんと一緒に、平和にコスプレをしていた頃のことだ。

 私たちが初めてコスプレをした時に知り合ったミヤさんは、メイくんにカメラの世界を教えてくれて、私たちを地元コスプレイヤーの輪に誘ってくれた。一部では「やたら暑苦しいカメコ」とか言われてたけど、私たちには「頼れる優しい先輩」だった。彼女がいたなんて、しかも相手がレミナさんだなんて、想像すらできなかった。

 もしかしてミヤさんは、レミナさんとのことがあったから、私との間に一線を引いていたのだろうか。

 今思えば、メイくんがサークルを立ち上げた時に「代表以外のカメラマンはリコちゃんと連絡先を交換しないこと」というルールを提案したのもミヤさんだった。そしてサークル全員の目の前で、私の連絡先をスマホから削除したのだ。

 お互いの誇りをかけて作品を作り上げる為には、余計な感情で信頼を崩してはいけないのだぞ――そう言った彼の頭の中には、きっとレミナさんがいたんだろう。


「レミナは今でも、ミヤさんのことが好きなんじゃないかしら」


 チガヤちゃんの呟きに、ミヤさんは一瞬だけ眉をひそめた。


「ははは、面白いことを言うなぁ。何年も前の話だぞ、そんなわけがないだろう?」

「えー、でもレミナさんは、ミヤさんがリコを好きだと思ってるんじゃない?」


 ミキちゃんに追撃をかけられたミヤさんが、ううむ、と大げさに考え込んでいる。


「それはまぁ、俺にとってのリコちゃんはお姫様だが……」

「だから、レミナはミヤさんをリコに取られたと思ってるんじゃないかしら。目立つ女性レイヤーを敵視してる理由って、もしかしてミヤさんだったりしない?」


 チガヤちゃんが痛烈な一言を放ち、ミヤさんは困ったように頭を掻いた。


「つまり、アイツがああなったのは……俺のせい、なんだろうな」


 ミヤさんは誰へ向けるともなく、小さな声で「すまないな」と言った。


 私たちは結局、イベントの閉会より早く会場を後にした。レミナさんは私たちよりも前に撤収していたようで、更衣室で会うこともなかった。

 ハイエースの助手席に座ったミヤさんが、いつものように明るい笑顔で振り返る。


「さぁさぁ、俺たちの家に帰るぞ! 今日は新人の歓迎会だからな、泊まれるヤツは朝まで飲もうか!」


 みんなが口々に返事をして、車内がわあっと盛り上がる。ミヤさんの言う「新人」には、チガヤちゃんだけでなくミキちゃんも含まれていた。

 ミキちゃんに入部を勧めたのは、カメラマンのみんなだった。これまでの経緯もわかっているはずなのに、彼らは「リコちゃんと組むなら俺たちの仲間だ」と言い張り、渋るミキちゃんを全員で説得したのだ。


「リコさんの大切な人なら、僕たちにとっても大切な人なんですよ」

「そーそー、でも俺たちシャイなキモオタだから、上手く喋れなかったらごめん!」

「そういう自虐を言うなっつーの!」


 クキちゃんのちょっといいセリフを台無しにしたテルくんは、カンジくんから頭を引っ叩かれて、ミキちゃんが酸欠になりそうな勢いでヒィヒィと笑っている。


「みんながミライを受け入れてくれて、良かったわね」


 チガヤちゃんに耳打ちされて、笑顔で頷きはしたものの、どこか現実味がなかった。目の前にあるのは何度も思い描いた光景で、都合の良い夢を見ているみたいだ。

 あとはレミナさんが心から謝ってくれて、ヒマちゃんと仲直りをしたハヤトくんがそばにいてくれたら……なんて、叶わないことばかりを思ってしまう。

 ずっとみんなで仲良く遊んでいたい。そう思うのは、やっぱり子供すぎるだろうか。


 部室に入ると、キッチンカウンターに大量のお菓子が積んであった。冷蔵庫の中にも飲み物やお惣菜が入っていて、驚く私にミヤさんが「もともと今日は、ショウカちゃんの歓迎会をするつもりだったからな!」と親指を立ててみせた。

 私たちの飲み会は、いつも部室だ。未成年を含めてお酒を飲まない人も多いから、大抵はアニメの鑑賞会かゲーム大会が始まってしまう。飲み会とは名ばかりで、ただただ仲良く遊ぶだけ。

 穏やかで優しいみんなが作ってくれた、とても大切な私の居場所。きっとみんなも同じように、この場所を大切に思ってくれている……そう、私は信じている。

 学年も性別も関係なく、全員で準備を整えて、いつものように輪になって座る。

 やっぱりみんなは女の子の隣に座りたがらないので、私たち三人はまとめてメイくんとミヤさんの間に座ることになった。メイくんの隣にミキちゃんが座り、チガヤちゃんはミキちゃんの傍から離れなくて、自然と私はミヤさんの隣になった。ハヤトくんは何故かテルくんにロックオンされてしまい、私たちの正面に腰を下ろした。

 新人はまず挨拶だなとミヤさんが言い、チガヤちゃんとミキちゃんは軽く自己紹介をすることになった。本名と大学、コスプレネーム程度の簡単なものだけど、コスプレイヤーとしての彼女たちのことは、何も言わなくたって既に知っている。

 二人が挨拶を終えると、ミヤさんが「次はイシバシ!」とハヤトくんを指名した。


「俺もですか?」

「イベントで一緒に衣装を着て、こうして部室に来たからには、もうイシバシも仲間だろう?」


 ハヤトくんはしばらく考え込んだ後、諦めたように口を開いた。


「俺、月末で福海を離れて、東京に出るので……ここに来るのは、今日が最後になると思います」


 一瞬の静寂の後、最初に声をあげたのはテルくんだった。


「はぁ、東京!? イシバシお前、結局リコちゃん置いてくのかよ!?」


 ハヤトくんの真横に座っていた彼は声を荒げ、勢い良く胸ぐらを掴んだ。ハヤトくんはされるがままに揺さぶられながら、繰り返し「すまん」と口にした。


「俺たちはなぁ、リコちゃんの幸せのためにって、泣く泣く身を引いたんだぜ!?」

「テルくん、やめて!」

「何なんだよクソッタレ、何が月末だよ、ふざけんな!」


 彼の耳には届いていないのか、私の叫びは無視されてしまった。メイくんが間に割って入っても、カンジくんに羽交い絞めにされても、全く止まる気配はない。


「テル、いいから落ち着けって!」

「やめろっつってんだろーが!」

「あーもー、邪魔すんなよ! どけっ!」


 テルくんは二人を振り解いて、もう一度ハヤトくんに掴みかかった。細身のテルくんのどこに、そんな力があったんだろう……いっそ私が間に入ろうと立ち上がった瞬間、同時に勢い良く立ち上がった人がいた。


「テルさん、いい加減にしてください!」


 そう叫んだのは、クキちゃんだった。


「リコさんの気持ちが最優先、それが僕らのルールでしょう! リコさんが許すなら許すんですよ! リコさんの大切な人は、僕らも大切にするんです!」

「クキタくんもっと穏便にっ、相手は先輩っすよ!?」

「止めないで! 僕はっ、言いたいことはちゃんと言うって、決めたんだからっ!」


 トッキーの制止も聞かず、顔を真っ赤にして叫んだクキちゃんは、眼鏡を外し涙を拭いて、ものすごい目力でテルくんを睨み付けた。


「僕の写真のせいで、イシバシさんは学校まで辞めたのに、一度も僕を責めなかった! この人も僕らと同じなんですよっ、テルさんだってわかってるはずじゃないですか!」


 気弱な後輩の意外な迫力を目の当たりにしたテルくんは、慌てたようにハヤトくんから手を離した。


「イシバシさんも、僕らの仲間なんですよ! いいですね!」

「わ、わかった、ごめんクキタ」

「謝る相手はイシバシさんです!」


 いつだって頼りなさげで、自信がなさそうに俯いてばかりだったクキちゃんが、先輩であるテルくんの暴走を止めてしまった。

 よし、と小さな呟きが聞こえた。

 この騒動の中、今まで一言も口を挟まずにいたミヤさんが、凄く嬉しそうな顔をしていた。


 クキちゃんとテルくんが落ち着いてしまえば、まるで何事もなかったように、みんな普通に雑談を始めた。ハヤトくんはさっきの仕返しのつもりなのか、カンジくんと結託してテルくんにちょっかいをかけ続けている。明るく笑う彼を見ていると、時間が止まればいいのに、なんて思う。

 ずっとこうして、みんなで笑っていたいな――そう思いながら、チガヤちゃんとミキちゃんに視線を向けた。緊張や遠慮とは完全に無縁な二人は、目の前に置かれていたポテトチップを齧りながら楽しげに喋っている。


「インカレサークルって、もっとガツガツしてると思ってたよね~!」

「そもそもサークルなの? リコリスファンクラブの間違いじゃない?」

「あはは、確かにね! ここも部室っていうより、もう家だよね!」

「本当、住めるものなら住みたいくらいよね。資料にも事欠かないし、作業が捗りそう」


 ミキちゃんとチガヤちゃんの会話を聞いて、メイくんが「いつでもご利用下さいませ」とうやうやしく言った。


「でも、なるべく部外者は入れないでね。機材壊したら、酷い金額になるから」


 そう言ってメイくんは、チラリとテルくんを見た。事情を知ってるチガヤちゃんがフフッと笑う。


「私、衣装を作りたいわ。ハロウィンの時、実は羨ましかったのよね」

「衣装かぁ……じゃあ、道具を揃えよっか。三人で使ってね」

「やだサツキくん、太っ腹! 持ち込もうと思ってたのに!」


 チガヤちゃんが目を爛々と輝かせて、メイくんの顔を覗きこんだ。


「ミシンとトルソーは、ニッシーが譲ってくれると思うの。実家の引っ越しで、処分するって言ってたから……あれ、おばあさまのお道具だったのよ。大事に使えば、きっと喜んでくれると思うわ」

「そっか。それならニッシーも、サークルに引き摺り込んじゃおっか?」

「えっ!?」


 メイくんの冗談を真に受けたチガヤちゃんが真っ赤になってしまって、ミキちゃんがニヤリと笑った。


「ねーねー、ニッシーって誰~?」

「だ、誰でもいいじゃないのっ」

「もしかして、ずーっと前にちょろーっと言ってた、ニシくんのことかにゃ~?」

「しーらーなーいー!」


 恥ずかしがって身悶えするチガヤちゃんがぱたりと後ろにひっくり返ると、ミキちゃんは嬉しそうに微笑んで、そして、メイくんの手を握った。


「メイちゃん……仲間に入れてくれて、ありがと」

「どういたしまして」


 メイくんはその手を解かず、握り返すこともなく、穏やかな笑顔で応えた。

 この「部室」というメイくんの聖域に、ミキちゃんを入れて貰えたことが、私は本当に嬉しかった。

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