第九十話 これからの私たちのために

 しばらくして私たちは、撮影スペースへと戻った。しかしハヤトくんだけは「俺は荷物を見てるよ」と飲食ブースに残ってしまった。

 今からやろうとしていることを考えれば、その方がありがたかった。この世界へ初めて触れた彼に、嫌な部分ばかりを見せてしまうのは、私にとっては何より辛いことだ。

 本来コスプレは、もっと素直に楽しめるものだ。憧れのキャラになりきったり、自分の理想の姿になったり……前を向く勇気をくれる、素敵な魔法のはずなんだ。そんな私の愛する世界を、嫌いになって欲しくなかった。


「本当に、うまくいくのかな」


 不安げなミキちゃんに、メイくんがスマホを確認してから「準備は出来てるよ」と微笑んだ。

 今のミキちゃんは、ハヤトくんが着ていた「兄弟子ノーモス」のコスプレをしている。衣装のサイズは両面テープや安全ピンで調整できたし、黒髪のキャラなのでウィッグも不要だった。

 衣装の変更は、ハヤトくんの提案だった。


「あいつらは、まさかリコがミライを許すなんて思っていないはずだから、先手を打ってやるといい。悪さをでっち上げられる前に、仲が良いところを周りに見せびらかしてやれ」


 ハヤトくんがそう言った時、私たちが何かを言うより早く、メイくんが大声で笑い出した。


「ハヤト最高! そうだね、何事も先手だね!」

「性悪女が何を言い触らそうと、人は自分の目で見た光景を信じるものだからな」

「あの女の言葉が嘘だらけだって、みんなの前でバラしちゃおうよ」

「そうだな、二度と悪さができないようにしておくか」

「まるでラスボス討伐イベントだね、ふふっ」


 ハヤトくんとメイくんが手加減なしの計画を立て始めて、チガヤちゃんが一言「鬼畜ね」と呟いた。


「ねぇ……そこまでするの?」

「うん、三人を守るためだよ。リコちゃんだけじゃなく、ミキちゃんのこともね」


 戸惑っていたミキちゃんに、メイくんは優しい声を出した。


 撮影スペースへ行くと、レミナさんたちは壁から少し離れたところに座りこんで、雑談に興じているようだった。

 思った通り、今のミキちゃんは、レミナさんと比べても見劣りしない。

 ずっとミキちゃんは「引き立て役」としてのコスプレをさせられていた。だけど私たちが着ている衣装は、みんなで力を合わせて作ったものだ。製作に係わった全員の本気と、私の「コスプレを一緒に楽しみたい」という想いが詰め込まれている。

 私はもう一度、ミキちゃんにコスプレを楽しんで欲しい。レミナさんが最後の強敵ラスボスなら、この衣装は最終兵器ファイナルウェポンになれるはずだ。


「レミナさん!」


 ミキちゃんが声をかけると、四人とも驚きの表情に変わった。


「イェティラの衣装、私より似合う人がいると思うので、お返ししますね!」


 ミキちゃんは笑顔で声を張り上げ、脱いだ衣装をまとめた紙袋をレミナさんへ押し付けた。その声量に、周囲のコスプレイヤーやカメラマンが私たちを見ている。サークルのみんなの姿もあった。


「私、リコリスと仲直りしちゃいましたー!」


 すっかり昔のノリに戻ってしまったミキちゃんを見て、レミナさんの表情は徐々に引きつっていった。


「ミライはもう、私たちとは組まないってことなのね。五月のイベントで着る衣装、何にするかも考えてたのに……本当に、残念だわ」


 レミナさんは悲しげな声を出した。周囲に「ミライのワガママです」と印象付けるつもりらしい。

 その展開は、予想通りだった。

 自分の言いなりだったミキちゃんに、人前で恥をかかされるのだ。何かしら反撃をしてくるはずだと、計画の時点でメイくんが断言していた。

 だからあえて、ミキちゃんは笑顔で、レミナさんへグイグイ突っ込んでいく。


「レミナさんが聞いたっていうリコリスの噂、ぜーんぶ嘘だったってわかったんですよー! あとから掲示板に書かれた時はビックリしたけど、きっとレミナさんに嘘を言った人が書いたんですね!」

「あれは……ミライが書いたんでしょう? 私が話した後だったし、ずっと悪口ばっかり言ってたじゃない?」

「えぇ? ちょっと愚痴ったからって、掲示板に書いたりするわけないじゃないですかー! 大きなケンカはしてたけど、私とリコリスは親友なんですから!」

「ミライちゃんと元に戻れて、リコ嬉しいですぅ☆」


 二人の会話に割って入ると、案の定レミナさんが睨み付けてくる。メイくんの合図で、私は切り札を畳み掛けることにした。


「私、あの書き込みした人を訴えることに決めたんです!」

「二年半も前のことなのに、今更?」

「それがですね、そのままにしておけなくなっちゃったんですっ☆」

「この子、芸能事務所にスカウトされたんですよー!」


 ミキちゃんがスカウトの話を盛大にぶちまけた途端、聞き耳を立てていたらしい周囲もザワついたのがわかった。

 悪評を書き込んだら訴えるという意思表示と、芸能事務所が介入してくる可能性を、人目のある場所で表明するのが狙いだった。こういうことは禁じ手だと思っていたけど、いちおうメッセでシグマさんの許可は取った……というか、チガヤちゃんがゴリ押しして「スカウトされたという事実なら言ってもいいよ」という返事を強引に引き出した。

 人を陥れる嘘を平気で吐くような、厄介な人を相手にするのだ。使えるものは何でも使って、問答無用で一気に捻じ伏せてしまいたかった。

 このまま彼女を放っておいたら、嫌がらせを続けてくるのは目に見えている。私が戦う意思を見せた今、次に狙われるのは、きっとミキちゃんだ。

 今日、私の為に勇気を出したこの子に、辛い思いをさせたくなかった。

 堂々と胸を張って、後ろめたさを感じることなく、この場所に立って欲しかった。

 だから、私は戦うのだ。自分の大事な人を守るためなら、どんなことでもやってみせる。

 私は小さく拳を握って、わざと寂しげな笑顔を浮かべた。


「あんな根も葉もない噂、信じる人なんていないと思ってたんですけど……ミライちゃんに吹き込んだ人がいるって聞いて、リコ、ちょっとビックリしちゃいましたぁ」

「私も信じちゃってたけど、絶対にありえない話だったわね。レミナ、あんな噂を誰から聞いたの?」


 おそらく答えのない問いを、チガヤちゃんにぶつけられて、レミナさんの顔色は明らかに変わっていた。


「覚えてないわよ……何年も前の話だし、知らない人が話してるのを、小耳に挟んだ程度だったと思うし」

「じゃあ、レミナさんの友達が言ったわけじゃないんですね!」

「よかったぁ! ミライちゃんがお世話になった人のお友達に、厳しいことはできないですしね!」

「リコリスは優しすぎるわよ! あんなこと書いた人なんだから、誰が相手でもビシビシやっちゃえばいいのに!」


 明るく笑顔で挑発を続ける私たちに、とうとうレミナさんが「ウザい」と呟いた。彼女の中で、我慢が限界を超えたに違いなかった。


「ミライ、あなた、リコリスのウィッグ盗んでゴミ箱に捨ててたじゃない! それなのに、どのツラ下げて仲良しごっこやってるわけ!?」

「えっ、私そんなことしてない……」

「ごまかさないで! この会場でイェティラのコス、あなたしかいないでしょう!」


 否定するミキちゃんへ被せるように、レミナさんが大声で叫んだ。周囲の視線が一気にこちらへ向いた時、ちょっと待った、とミヤさんの声が聞こえた。


「そのウィッグの話なら、目撃者がここにいるんだが?」


 ミヤさんは二人の女の子を連れて、私たちの方へ歩み寄ってきた。更衣室で私たちの隣にいた、高校生くらいの二人組だ。

 ハヤトくんが「目撃者がいるなら探しておけ」と言ったので、サークルのみんなに彼女たちの衣装や特徴を伝えて、探し出して貰っていたのだった。


「わ、私たち、ずっと前からリコリスさんのファンで……それで、隣で着替えてたんです。ミライさんのことも、前から知ってます!」

「だから間違えたりしません、盗んだのはミライさんじゃない! 私たち、ミライさんだったら、どんな衣装を着ててもわかります!」


 顔を赤くして懸命に訴える彼女たちを見て、レミナさんは怒ることも言い返すこともできず、黙ったまま二人を睨んでいる。それに怯えてしまった二人を庇うように、ミヤさんが一歩前へ出た。


「そもそもだ。お前はなんで、リコちゃんがウィッグを捨てられたと知っているんだ? 朝から行動を共にしている俺たちですら、さっき聞くまで気付きもしなかったんだぞ?」

「それは、現場を見たから――」

「じゃあ何だ、身内の暴走をぼけっと見てたのか? 本当に見たんだったら、もっとやるべきことがあったんじゃないのか? お前はチームのリーダーだろうが!」


 ミヤさんがトドメの一言を放ち、レミナさんの目に涙が光った。そして彼女は震える声で、宮間ミヤマくん、とミヤさんの名字を呼んだ。


「ミヤマくんには関係ないでしょう!」

「一度は惚れ合った仲だろ。放っておけないな」

「ちょっと、人前でそういうことを言わないでよ!」


 ミヤさんの口から衝撃の過去が暴露され、レミナさんの顔がみるみる赤くなる。彼女は勢い良く立ち上がって、抱きかかえていた紙袋を私めがけて投げ付けた。


「調子に乗らないでよねっ!」


 それだけ叫ぶと、レミナさんは自分の荷物を抱えて、更衣室の方へ走って行ってしまった。後の三人が慌てたように追いかけて行く。

 残された私たちに、誰かが「お疲れさん!」と叫んだ。周囲を見回すと、顔見知りのカメラマンやコスプレイヤーが、私たちを囲んでいた。

 普段は特に親しいわけでもなく、顔と名前を知っている程度の人たちが、古い友人のように声をかけてくる。


「リコリスちゃんすごいね、芸能人になるの?」

「ウィッグ捨てられてたのか、災難だったな」

「レミナならやりそうだよね~、この前もさ~」

「変な噂を流してたのも、レミナだったんじゃない?」


 みんなどこか楽しげに、まるでお祭りでも目にしたように、興奮気味に大騒ぎしている。

 これだけの目撃者がいるのだから、きっと「レミナがリコリスに嫌がらせをしていた」という噂は、あっという間に広がってしまうのだろう。

 そして、全てが彼女のせいになる。私を罵っていた人たちが、正義と道徳の名の下に、今度はレミナさんを罵るのに違いない。

 狙い通りではあるけれど、気分の良いものではなかった。だけどミキちゃんが、チガヤちゃんが、そして私自身も、彼女からこれ以上の嫌がらせを受けないためにやったことだ。これからの私たちの為に、やっておかなければいけないことだったのだ――自分にそう言い聞かせていると、唐突にミヤさんが声を張り上げた。


「みんな、騒がせてすまなかった! あとは内々のことになるから、どうか勘弁してもらえないか!」

「あっ、お騒がせしました!」


 ミヤさんに背中をそっと押され、私も慌てて頭を下げた。こういう時、ミヤさんはしっかりお兄さんなのだ……メイくんが心を込めて敬語を使う、数少ない一人。

 盛り上がっていた人たちは多少白けたように、それでも一応は優しい言葉をかけながら、会場のあちこちへと散って行った。


「リコちゃん、二人にもお礼を言わないとな?」


 ミキちゃんの無実を証明してくれた二人が、ミヤさんの後ろにこっそり隠れるように立っていた。私がお礼を言っただけで「ぎゃあ」と奇声をあげていて、何だか初対面のユズカちゃんを思い出してしまった。


「良かったら、連絡先交換しない?」


 私がコスプレ用の名刺を渡そうとすると、二人は両手を後ろに隠してしまった。


「お、お気持ちだけで!」

「お話できただけで十分ですから!」


 全力で遠慮されてしまったけれど、騒ぎに巻き込んでしまった私としては、これからレミナさんに意地悪されたりしないかが心配だった。何かが起こった時には相談して欲しくて、普段からの交流を持っておきたかった。


「えっと……じゃあ、お名前だけでも教えてくれる?」

「名乗るほどの者ではないので!」

「お役に立てて光栄でしたぁー!」


 二人は頬を赤らめて、何度もペコペコと頭を下げたあと、逃げるようにどこかへ走って行った。


「えええ、逃げちゃった……」

「あの子たち、推しはそっとでる派なんだね。愛されてるねっ」


 ミキちゃんはそう言って、一度だけ、ぴょんと跳ねた。

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