第八十九話 真実の向こう側へ(三)

 メイくんは容赦なく、だから何、と不機嫌そうに返した。


「それ、今言う? 迷惑しか返す言葉がないんだけど?」


 辛辣だなぁと思うけど、昔のメイくんはずっとこの調子だった。ハヤトくんとチガヤちゃんは、目を丸くして呆気にとられていた。


「私だって言いたくなかったけど、これも必要な話なの! メイちゃんってさ、ずっとリコリスしか見てなかったじゃない?」

「そうだね。悪いけど、全然興味がなかったんだ。リコちゃんさえいてくれるなら、僕はそれだけで良かったからね」


 私が恥ずかしくなってしまうようなことを、あっさり言い切った。他ならぬメイくんの言葉だから、今更ミキちゃんも驚きはしない。


「それでさ、高三の時、私とリコリスが喧嘩したじゃない?」

「リコちゃんのコスプレを全否定したやつ?」

「うん……あのあと私、レミナさんに相談してたのね。リコリスと仲直りしたいことも、メイちゃんを好きなんだってことも」


 ミキちゃんは、気まずそうに私を見た。


「その時、もう関わらない方がいいって言われたの。二人の良くない噂を聞いたからって。そんなわけないって思ってたけど、レミナさんが言った通りのことが掲示板に書かれて……」

「あんな話を信じたの?」


 メイくんに睨まれ、辛そうに顔を歪めたミキちゃんは、そうじゃないよと小声で言った。


「私だって、すぐに信じたわけじゃないよ。だけど、二人を知ってる人じゃないと書けないような投稿もあったから、近くにいる誰かが書いたんだろうなって……それで、クラスの友達に話したの。こんなの真に受けるとかバカでしょって、誰かに言って欲しかったから」


 ミキちゃんは目に涙を溜めて、だけどね、と声を震わせた。


「二人は隠れて付き合ってるって、だからありえるかもねって、みんなに言われて……ミキが一番仲いいのに、なんで一人だけ知らないのって笑われて、何を信じていいのか全然わかんなくなって……!」


 とうとう涙を堪えきれなくなったミキちゃんに、チガヤちゃんがハンカチを差し出す。それを受け取ったミキちゃんは、遠慮なくずびっと鼻をかんだ。

 つまり、ミキちゃんが噂を信じたのは、レミナさんのせいだけではなかったんだ。


「ミライちゃん、その友達って、私が知ってる人?」

「……マッちんと、ワッコと、ノノカ」


 ミキちゃんはとても言い辛そうに、三人の名前を挙げた。卒業アルバムの集合写真を撮影する時、私を突き飛ばして笑っていた女の子たちだ。


「あの噂が広まって、女子の間でリコリスが無視されだしたあと、三人に騙されたんだってわかった……マッちんも、メイちゃんが好きだったんだって」

「えっ……僕?」


 メイくんの表情が、険しくなった。この後に続く言葉を、私はメイくんに聞かせたくなかった。だけどミキちゃんは止まらない。この子は最初に言ったんだ、ひどいことも言うよって。


「リコリスがいるから、メイちゃんは他の人と仲良くしないんだって、クラス中が思ってたの。それでマッちんが、学校からいなくなればいいのにって言い出して……三人で、書き込みの内容を言い触らしてた……」

「つまり、何もかも、僕のせいってことなのか!」


 メイくんは拳を握り、テーブルを一回だけ殴った。少し離れたテーブルの女の子たちが驚いた顔でこちらを見ていて、それで少しの間、会話が途切れた。

 涙を拭きながら黙り込むミキちゃんを見て、昔のことを思い出した。


 高校三年生の夏、知らない人からSNSにメッセージを貰って、書き込みの内容を知った後のこと。

 ケンカする前だったら、真っ先に打ち明けていたミキちゃんには、もう何も言うことができなかった。憧れの人と一緒にコスプレを楽しんでいるミキちゃんを、こちらのトラブルに巻き込みたくもなかった。

 メイくんに相談すると、彼はいつものように笑顔を浮かべて「学校のヤツらはあんな掲示板見ないし、本名も出てないから、そんなに気にすることないよ」と言ってくれた。その一方で、手早く削除申請をしてくれたりもした。あっさり却下されたけれど。

 今思えば、私は状況を甘く見ていた。安心させるために紡がれた言葉を真に受けて、どこか暢気に構えていた。書かれた内容は嘘ばかりで、画像も顔以外は別人のもの。こんなの誰も信じるわけがない――あの頃の私は、自分の生きている世界の善良さを、心の底から信じていたのだ。

 夏休みの後半、課外授業の為に登校したら、クラスの雰囲気は既に違っていた。女の子たちは私を見てヒソヒソと何かを言い合い、男の子たちは視線を逸らすかニヤニヤ笑うかのどちらかだった。メイくんはまだ登校していなくて、私に声をかけてくる人は誰もいない。

 自分の席に着くと、一学期までは仲が良かったはずの三人が私を取り囲んだ。ミキちゃんは数歩離れたところに立って、涙を拭きながら俯いていた。

 そんなミキちゃんを隠すように、三人は詰め寄ってきた。

「ミキに聞いたんだけど、掲示板に凄い写真が出ちゃったんでしょ?」

「ビッチと友達なんて嫌だよね、仲間と思われたら冗談じゃないし」

「知ってたら仲良くならなかったよね。ねぇ、ミキもそうだよね?」


 促されたミキちゃんは、俯いたまま、私の前にふらりと立った。


「もう、私に話しかけて来ないで……」


 まるで錦の御旗を得たかのように、ミキが可哀想、と三人が大声で騒ぎ立てた。


 ――クズだね、とメイくんが吐き捨てた。


「イジメなんて幼稚なことをする連中を、僕は心の底から軽蔑する。ミキちゃんの事情はわかったけど、僕の評価は変わらないよ。事情を知ってて加担したなら、それは立派な共犯だろう?」


 その声は、冷たかった。今この場にいる誰よりも、彼は怒りを露わにしている。中学までの経緯を思えば当然のことだ。

 それでも私は怒れなかった。メイくんを好きな女の子たちから見れば、私は噂通りでなくとも、十分に酷い女だったに違いないから。

 それに、この話が本当ならば、掲示板に書き込みをしたのはミキちゃんじゃない。今日の私が一番知りたかったことは、私の望む答えだった。今はそれだけで十分だ。私が怒るべき相手は、書き込みをした犯人だけだから。


「私たち、ちゃんと友達だったよね?」


 私は、何より大切な問いかけをした。責める口調にならないように、できるだけ柔らかな言葉を選んだ。


「騙されてたってわかった後も、わざと意地悪を続けるような、そんな関係じゃなかったよね……続けたのには、何か理由があったんだよね?」

「それは……私、リコリスのこと、ただ利用してただけで」

「それ、嘘でしょう? 引き立て役にしたかったんなら、人気キャラやればーなんて言うわけないじゃない? どうでもいい存在だったら、あんな噂でショックなんか受けないじゃない?」


 図星だったのか、ミキちゃんはしばらく視線を泳がせた。この子は勉強は出来るけど、会話の機転は利かない子だ。

 大きな嘘は吐けない子だって、私はちゃんと知っている。

 そんなミキちゃんのことが、本当に大好きだったから。


「お願い、ミライちゃん……本当のこと、全部教えて」


 ダメ押しのように囁くと、ミキちゃんは「ごめんなさい」と言いながら、両手で顔を覆ってしまった。


「逆らうのが、怖かっただけ……昔も、今も」


 今も、というのが気になったけど、私は彼女の言葉を待った。マッちんがね、と話は続く。


「ネットの話を持ち込んだのはミキだからねって、誰にも余計なことを言わないでよって、脅すみたいに言ってきて……もしも裏切ったら、ミキに騙されたんだって言い触らす、って。だから私、逆らえなかった」

「ミライ、レミナたちにも同じことを言われてるんじゃないの?」


 チガヤちゃんの指摘に、ミキちゃんは一瞬、息を止めた。


「リコリスのウィッグ、捨てたでしょう? 青いウィッグの男装レイヤーが持って行ったって、見た子たちがいるのよ」

「違う、それは私じゃない……多分、レミナさん。私の衣装、レミナさんが管理してるし」


 ミキちゃんが、ウィッグを外した。ヘアピンやネットも外してしまって、ボサボサの黒いショートカットを手櫛で整えた。私のよく知るミキちゃんの姿だ。


「私、断ったから……今日、二人の衣装を壊してこいって言われて、断ったから!」


 ミキちゃんは撮影スペースの方を睨むように見ながら、手にしていた青いウィッグを床に叩き付けた。


「私、ずっとあの人の言いなりだった……弱味、いっぱい知られてたし。敵に回したら怖い人なの、ショウカはわかるよね?」


 チガヤちゃんは苦笑して、そうねぇ、とミキちゃんの肩を叩いた。


「本人より取り巻きが面倒だなぁ、とは思ってたんだけど。衣装を壊して来いなんて、そこまで言うとは思わなかったわね……でも、おかげで逆に清々してるわ。そんな人だとわかったら、二度と組みたくなくなるじゃない?」

「そうだよね……でも私、認めたくなくて、なかなか踏み切れなかった。優しいレミナさんは演技だったんだって、とっくの昔にわかってたのに」

「でも、やっと勇気を出せたんでしょう?」

「うん……もう、嫌だった。リコリスもショウカも、大事な友達だったのに、どうしてそんなことしなきゃいけないんだろうって……だから、こっちから縁を切ってやった!」


 ミキちゃんは足元に落ちていたウィッグを拾って、私の方へ向き直った。


「レミナさんは私に、嘘をつけって言った。リコリスと同じことをしてるって、チームのみんなに誤解されないようにって……レミナさんが書いたシナリオ通りに、チームの人たちに言わなきゃいけなかった。嘘は良くないと思ったけど、立場をハッキリさせる為だって言われて、言われた通りにした。レミナさんに間違いはないと思ってた、だから……ショウカにも、嘘ついた」


 あの人なら、言いそうだ。ミキちゃんの為を思っているように見せかけて、実は行動をコントロールしているだけなんだ。

 おそらく彼女は「信者」と「引き立て役」しか傍に置かないのだ。その証拠に、どちらでもなくなったチガヤちゃんは、あっさりと叩き出されてしまった。

 そして今日、ミキちゃんも彼女の言いつけに背いた。自分から縁を切ったと言ったけど、どのみち「信者」じゃなくなったこの子は、もう戻る場所なんてないんだ。


「私につかせた嘘のこと、レミナさんはみんなに言うよ。リコリスの悪口も、本当はミライが書いたのよねって言われたから、そういうことにするんだと思う……今思えば、きっとレミナさんが書いたんだよね。私の話を聞いてたら、書けるもん」


 手の中のウィッグを撫でながら、ミキちゃんは無理に笑っていた。


「酷いことしたのは本当だから、何を言われても仕方ないよね」

「そんなことない!」


 思わず声をあげてしまった私に、みんなの視線が集中する。お人好し、とミキちゃんを含む全員の顔に書いてあるような気がした。


「リコちゃん、まさか許すの?」

「散々傷付けられてきたんだろう? 許せるものなのか?」

「だってこの話、ミライちゃんも被害者じゃない!」


 私の返事を聞いて、男の子たちは渋い顔をしたけれど、既に私はミキちゃんを許すと決めていた。

 高校時代、ひとりぼっちになるのが怖くて流されてしまっただけでなく、そのまま謝りもしなかったのだ。理解はできても、心から許せる自信はなかった。

 だけど今日、この子は戦ってくれた。ありったけの勇気を振り絞って、自分の居場所も全て捨てて、私たちを守ろうとしてくれた。

 そのことが、どんな謝罪の言葉よりも嬉しかったんだ。


「お人好しなのも、昔のままだね……ずっと、自分のことしか考えてなかった私が悪いのに」

「違うから! 悪いのは、書き込みしたり脅したりする人だからね!」


 私は強引に言い張った。これだけは、絶対に譲れなかった。


「リコ……いままで、ごめん。本当にごめんね……!」


 ミキちゃんは、私を本当の名前で呼びながら抱き付いてきた。そのまま泣き出した親友を、ぎゅっと抱きしめて頭を撫でる。それは私とミキちゃんの、昔と同じ「仲直り」だった。

 チガヤちゃんも腕を回してきて、二人でミキちゃんを包み込む。


「ありがとう……怖かったのに、頑張ってくれたんだよね」

「大丈夫よ、ミライ。もう、大丈夫なのよ」


 泣き続けるミキちゃんを励ましていると、不意にハヤトくんが立ち上がった。


「なぁ、ミライ。衣装なんて、さっさと脱ぐべきじゃないのか?」


 ハヤトくんは、とびきりの悪戯を思いついたような顔をしていた。

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