第八十八話 真実の向こう側へ(二)
サークル外のカメラマンから飛んだリクエストにも一通り応じて、ミヤさんのオッケーが出てから撮影モードを解いた。その途端にハヤトくんは耳まで赤くしながら壁の方を向いてしまい、メイくんに至ってはぐったりと座り込んでしまう。そんな二人を見て、チガヤちゃんが「だらしないなぁ」と笑った。
最初は私も、こんな感じだったな……あの頃は、ミキちゃんが「リコはもっと自信持て!」って、いつも励ましてくれていたっけ。
そう言えば、今日はまだ、ミキちゃんの姿を見ていなかった。
今日のイベントは同人誌即売会ではないので、出店スペースのように拠点とするような場所がなく、私たちは飲食ブースの一角を陣取った。六人掛けのテーブルを一つ占拠して、あとはそれぞれ自由行動。
カメラマンのみんなは撮影スペースへ出て、他のコスプレイヤーさんにも撮らせて貰っていた。私たちもまた、声をかけられれば撮影に応じていた。ハヤトくんだけはギブアップ宣言をして、荷物番をすると言い張り、飲食ブースから一歩も出て来なかったけれど……それを見たミヤさんが「イシバシにも羞恥心があったのか!」と豪快に笑った。
メイくんが私たちを撮りたいというので、三人で壁際に移動する。背景を壁にしておかないと、他人が写りこんでしまうからだ。
人波を抜けて空きスペースに入り込むと、隣の集団に見慣れた顔がちらほら見えた。衣装を「もんすたー☆あいどる」で合わせたレイヤーたち。
「あっ、ショウカ!」
それは、本当に偶然だった。チガヤちゃんが以前組んでいたコスプレチームの人たちだ。ミキちゃんは見当たらないけど、彼女以外の四人が揃っていた。
「何、リコリスたちと一緒なの?」
「そうよ、組むことにしたの」
チガヤちゃんが微笑むと、チームの人たちはニヤニヤと笑った。周囲のコスプレイヤーやカメラマンたちに視線を向けられても、彼女たちはお構いなしだった。
「さっすがショウカ、人気レイヤーに気に入られるの得意だよね!」
「リコリスのこと、あんなにボロクソに言ってたのにね~」
「ちょっとぉ、やめたげなよぉ? いくら本当だからって可哀想じゃん?」
完全にバカにされているのに、チガヤちゃんは鼻で笑うだけだった。こういうことには慣れているのか、全く怯まない。
「それより、ミライはどこ? あの子に話があるんだけど」
その問いに、みんなは顔を見合わせて黙り込んだ。知らないと言うわけでもなく、教えないと言うわけでもなく――何かが、おかしい。
「トイレでも行ってるんじゃないかしら。メイク崩れちゃってたみたいだし?」
そう言ったのは、「もん☆どる」で一番人気のキャラクター、狼男のウルファドの衣装を着ている女性だった。このチームの中心的存在、レミナさんだ。赤毛のウィッグが目立つ。彼女だけはさっきからずっと、薄笑いで私たちを眺めていた。
彼女は、ミキちゃんがずっと憧れているレイヤーだ。すごく美人だし、スタイルもいいし、衣装もメイクも隙がない。特に衣装の出来栄えは凄くて、プロにオーダーしているという話だ。コストを一切惜しまない彼女は、コスパ重視で自作派の私とは真逆だと言える。
そして、私のコスプレと最も違うところは、彼女はネットで話題になった作品だけを――その中でも、一番人気のキャラクターだけを選んでいること。彼女たちのコスプレチームは、誰が何の衣装を着るのか、全てレミナさんが決めているのだ。
高校三年生の時、彼女と交流を持つようになったミキちゃんが、私の衣装に文句を言ってきたことがあった。大学受験前の最後の作品にしようと、気合を入れて製作中だった私の衣装を見て、あの子は「もっと人気のあるキャラやればいいのに」と口走ったのだ。
大好きなキャラクターを貶されたようで、つい私もムキになってしまって、メイくんも仲裁できないレベルの大喧嘩をした。それまでにも喧嘩をしたことはあったし、数日経てば仲直りできると思っていた。だけどそれからすぐ後、ミキちゃんは「レミナさんたちのコスプレチームに誘われたの」と得意気に言った。
それからのミキちゃんは、レミナさんに言われたキャラだけをするようになり、SNSのいいねやコメントに振り回されていた。私やメイくんは何度か「自分が好きなキャラをするのが一番だよ」と言ったけれど、それは全く届かず、はじめて一緒にコスプレをした頃のミキちゃんとは、すっかり別人のようになっていったのだ。
この人さえいなければ……なんて思うのは、私の心が狭いだけ。
わかってはいるのだけれど、私はこの人が好きになれない。
「ショウカ、新しい飼い主が決まって良かったわね!」
そう言ったレミナさんは、笑顔で小さな拍手をした。もちろん嫌味に決まっている。不機嫌な顔を隠さずに何かを言いかけたメイくんを、チガヤちゃんが視線で制した。
「レミナ、失礼なことを言わないで。私とリコリスは対等な友達なの、それよりミライはどうしたの?」
「ずっと懐いてた忠犬がいなくなって、寂しくて泣いちゃったんじゃなーい?」
レミナさんがそう言うと、他の三人が声をあげて笑う。間違いない、何かあったんだ――このひとたちが、何かしたんだ!
「私の次は、ミライってこと? アンタたち本当に最悪!」
チガヤちゃんが私の手を掴んで、更衣室やトイレがある通路の方へと走り出した。メイくんも慌てて追いかけてきたけれど、男性と女性はエリアが分かれてるから、どこかで待ってて貰わないと――そう思った私の視界の中に、青いウィッグが飛び込んできた。
通路に入る手前、ドリンク類の自動販売機の陰に、ミキちゃんが一人で座り込んでいた。衣装の白いスーツが汚れるのも、メイクが崩れるのも構わずに、彼女は俯いて泣いていた。
「ミライちゃん!」
私は迷わず、ミキちゃんへ声をかけた。コスプレ中は本名で呼び合わないのが、今でも私とミキちゃんのルールだ。
泣いていたミキちゃんが、顔をあげる。しかし私と目が合った途端、彼女は思いっきり視線を逸らした。
「リコ、どうして来てるのよ……コスプレオンリーのイベント、いつもはほとんど来ないくせに……」
「ミライちゃんと、話がしたかったの。ここではリコリスって呼ぶんでしょ?」
躊躇のなさが、自分でも不思議だった。高校を卒業してから、ずっと再会するのが怖かったのに。コスプレ中も顔を合わせないよう、いつだって逃げ回っていたのに――そこまで考えて、自分の中の思いに気付く。
私はこの子に、不幸になって欲しいわけじゃない。
こんなところで泣いてるからって、ざまあみろなんて思わない。
もちろん恨み辛みはあるけれど、この子は私をコスプレの世界に連れて来てくれたし、お洒落の仕方を教えてくれた。コスプレイヤー「リコリス」に自信をくれた、大事な親友だったんだ。
このまま放っておくわけにはいかない。お人好しにも程があるって、みんなに叱られるかもしれないけど……そもそも、どんな理由があったって、イジメに同調なんかするわけにはいかない。これで今のミキちゃんを笑えば、私もあの人たちと同じになってしまうじゃないか。あんな人たちと同列に落ちるなんて、冗談じゃない。
「ねぇ、ちょっと話そう? 隣に座るね」
「ダメ……汚れるよ、衣装。リコリスは、命の次に衣装が大事じゃん」
顔を背けたまま、ミキちゃんが呟いた。そんなのは理由にならないよ、と声をかけながら隣に座りこんだ。チガヤちゃんもメイくんも、彼女を囲んで屈み込む。
同時に、なんだか違和感があった。ウィッグを捨てたのがこの子なら、衣装の汚れなんか気にするだろうか?
「ミライちゃん、どうしてこんなところで泣いてるの?」
「放っといて……リコリスには関係ないこと、だから」
ミキちゃんは表情を隠すように、抱えていた膝へ顔を埋めた。
「なんかミキちゃん、雰囲気変わったね」
「メイちゃんが、変わらなさすぎなんだよ」
「あの様子だと、レミナに何かされたのよね?」
「ショウカ、余計なこと言わないで」
「前だったら今頃、すごい勢いで僕らを罵倒してたのにね」
「ああもう、何でよりによって三人揃ってるのよ……!」
二人にアレコレ言われて、ミキちゃんは肩を震わせて泣き始めた。三人がかりで泣かせてるみたいになってしまった。
「ねぇ、移動しない? 飲食ブースに席取ってるから。撮影スペースからは遠いし、レミナさんからは見えないと思うよ」
ミキちゃんは返事をしなかったけど、チガヤちゃんが肩を叩くと涙を拭いて、私たちと一緒に立ち上がった。
ハヤトくんが荷物番をしていた飲食ブースに戻って、みんなでテーブルを囲んで座る。
ミキちゃんと初対面になるハヤトくんは、眉間に皺を寄せた状態で彼女を睨んでいた。まだ何も話していないのに、完全に敵視しているように見える。
「ハヤトくん、えっと、この子がミキちゃん……ここでは、ミライって呼んでるけど」
「ああ、やっぱりコイツか」
ハヤトくんは苛立たしげにテーブルを指でコンコンと叩き、私に「無理はするなよ」と言った。既にミキちゃんの顔を知っていたみたいな態度に、メイくんも首を傾げている。
「知り合いなの?」
メイくんがハヤトくんに、チガヤちゃんがミキちゃんに、同時に尋ねた。
ミキちゃんは頭を振って否定したけど、ハヤトくんは「アンタは知らなくても俺は知ってる」と言い放った。
「リコの家で、卒業アルバムを見た。俺にとっては敵みたいなものだ、絶対に忘れるものか」
それは冬の初めごろの話で、しかも特別に「これがミキちゃんだよ」なんて教えたわけでもなかった。ハヤトくんはたったそれだけで、この子の顔を覚えていたのだ。
「アンタからされた仕打ちを、リコはずっと親にも隠してきたんだ。メイと二人だけで、全てを抱えて苦しんできた。そういうことを、アンタは一度でも考えたことがあるか?」
その迫力のある声に、ミキちゃんは萎縮したように身を縮め、ごめんなさい、と呟いた。
「わかってる、けど……私だって、裏切られたと思ってたんだもん……」
「だからって、クラス中に言い触らすことはなかったんじゃない?」
「違うよ、私が言い触らしたんじゃないよ!」
メイくんの言葉を、ミキちゃんは否定した。
「そりゃキッカケは私だったけど、広められるなんて思ってなかったんだもん!」
ミキちゃんは半泣きになって、私たち全員と視線が合わないように顔を背けた。つまり、噂を流したのはこの子じゃなかったのだろうか――そう期待している自分が、わかる。
私は、書き込みをした犯人が、ミキちゃんじゃなければいいのにと願っている。
「あの時のこと、何がどうしてああなったのか……全部、聞かせてくれる?」
私はミキちゃんの前に回り込んで、その目を見つめた。この流れなら、当時の全てを話してくれるかもしれない。
今日の私は、この話をするためにここへ来たのだ。これで何も話してくれないのなら、たくさんの大人の手を借りて、全てを公にするしかない。
できることなら、楽しかった頃の思い出まで、一つ残らず粉々にするようなことはしたくなかった。
「多分……ひどいことも、言うよ……」
「うん、どんなことでも聞きたいな」
私の目を見つめ返して、わかった、とミキちゃんは言った。
元親友の口から何が出るのか、怖くないと言えば嘘だった。仲が良いフリをしていただけで、コスプレに誘ったのは、自分の引き立て役にしたかったからだ――面と向かってそう言われることも、覚悟はしていた。
そんな私の不安とは、全く違う方向へ、ミキちゃんの言葉は飛んでいった。
「好きだったの……仲良くなってすぐくらいから、ずっと」
ミキちゃんが、頬を染めつつ視線を向けたのは、メイくんだった。
「私、メイちゃんのことが好きだったんだよ」
「あぁ、そうなんだ」
一度もそぶりすら見せなかった恋心を打ち明けられて、私はそれなりに驚いたのだけど、当のメイくんは感心なさげな返事だった。微笑むでもなく、呆れるでもなく、まるっきり興味がない時の態度。
高校時代のメイくんと変わらない反応に、ミキちゃんは続ける言葉を迷っている様子だった。
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