第九十七話 それぞれの道を歩いてる

 忙しない日々は続いて、あっという間に六月がやってくる。


 結婚式当日は見事な梅雨晴れ、五月さつき晴れとなった。

 さすがヒマちゃん、ヒマワリの名は伊達じゃなかった。ちなみに結婚しても、ヒマちゃんの名字は日向ヒュウガのままだ。メイくんの方から姓を変えたいと言ったらしい。

 あの大きな「家」と戦い続けていたメイくんは、これで楽になれるのかもしれない。


 披露宴が行われるホテルのロビーで、大学時代の友達と合流することになっていた。

 二十歳の夏に始まった友達付き合いは、今もそのまま続いている。年に数回みんなで集まるけれど、一人も欠けずに揃うのは今回が初めてだ。

 欠けているのはいつだって、イシバシくんか私のどちらかだった。

 イシバシくんが初めて福海に帰ってきたのは、三年前の春のことだ。

 アンジョウさんから個展を勧められた彼は、たった二年しか住まなかった福海を初個展の場所に選び、それから時々福海へ来るようになった。師匠に認められたことで、彼なりの区切りをつけたのだろう。

 私は区切りなんかついていない。もっと前へ。もっと上へ。もっと遠くへ。終着点すらわからない夢を、ただひたすらに追い続けている。

 あの日の約束は「夢を叶えてまた会おう」だった。

 とても胸を張れない私は、未だに会う覚悟ができずにいた。別れてからの六年間、一度も声すら聞いていない。

 会いたい気持ちを抑えられなくなるのが怖くて、ずっと接触を避け続けてきた。

 彼が福海で個展をする時に、私だとわからないように変装して、誰にも内緒で見に行くことしかできなかった。

 こんなにも長く守られなかった約束は、既に効力を失くしているのではないだろうか――そう思うと、現実を知るのが怖かった。

 私の左手には、今も銀色のハヤブサがいる。

 イシバシくんの心の中に、まだリコリスは咲いているだろうか。


 少し早めにホテルへ着いて、クロークルームへ立ち寄ってからロビーに戻ると、ニッシーが私に向かって手を振っていた。長身イケメン眼鏡が黒スーツ、ものすごく目立つ。


「久しぶり、って俺はいつも見てるけどね」

「冬コミぶりだね。夏は出るの?」

「新刊委託は頼んでるけど、直参できるかはミクモさん次第かな」


 何気なく言葉を交わしていると、あれリコリスじゃない、大学の友達だって言ってたよね、という話し声が聞こえた。華やかに着飾った若い女の子たち、ヒマちゃんの地元の友達だろう。

 隣の人すごいイケメンだよね、と騒いでいるのも筒抜けだ。ニッシーが学食でも目立っていたことを思い出す。彼が人目を惹く存在でなければ、二十歳の私に女友達は作れなかったかもしれない。そう思うと、とても不思議な縁だった。

 おっ、とニッシーが手を振った。振り返ると、エスカレーターで上がってきたチガヤちゃんが手を振り返していた。


「あら、メグは一緒じゃないの?」

「メグはコンビニ行ってる。アホユズが派手にすっ転んで、一緒に絆創膏とストッキング買いに行った」


 ユズカちゃんとはしばらく会っていないけど、SNSで見ている限りは相変わらずだ。はしゃいで転ぶ彼女の姿が、わりと簡単に想像できた。


「大人ぶって七センチヒールなんか履いて来るから……ハタチになってもアホの子全開、ホント困ったもんだわ」

「私たちだって、結構なアホの子だったと思うけど?」

「俺は絶対にアレよりはマシだったわ」


 ニッシーが溜息を吐いて、チガヤちゃんが笑っている。こんな空気もあの頃のままだ。何も変わっていないのか、会えば戻ってしまうのか。


「あー! リコちゃん来てるー!」

「ユズカちゃんっ、また転ぶからっ!」


 声が聞こえて振り返ると、ヒールもドレスも気に留めず駆け出そうとするユズカちゃんを、メグミちゃんが必死で止めていた。


 五月サツキ家の「格」に合わせた披露宴だと一目でわかる、招待客の多さだった。

 席次表をみると、私たちは新婦友人として一つのテーブルに集められていた。見るからに「共通の招待客は全て新婦側に入れました」と言わんばかりだ。おかげで新郎友人が、サークルのみんなしかいない……ちなみにそのテーブルは、ミキちゃんだけが女の子。テルがいれば平気でしょ、と笑うメイくんの声が聞こえるようだ。

 イシバシくんはヒマちゃんの従兄なので、新婦親族席に名前があった。

 しかし披露宴が始まって、幸せ全開のメイくんとヒマちゃんが入場しても、私が噛まずにスピーチを終えても、彼の席はずっと空席のままだ。

 どうしたんだろうと思っていると、ビール瓶を手にしたオリエさんが私たちのテーブルに顔を出した。上品なシルバーのドレスを着ていて、誰なのか一瞬わからなかった。普段は常に和装で過ごしているオリエさんが、フォーマルだと洋装なのはかなり意外だ。


「みなさんお久しぶりね、リコちゃんは半年振りくらいかしら?」

「そうですね、ご無沙汰してます」

「そのドレス可愛いわね、素敵! あなたはやっぱりピンクが似合うわね!」


 オリエさんは、何故か私の着ているエメのパーティードレスを褒めちぎった。


「うちのバカ息子、空港のストで足止めされてたらしくて大遅刻なのよ! そろそろ来るとは思うんだけどね? だから早目に帰国しなさいって、ちゃーんと母は言ったんですけどね?」

「アイツ、人の言うことサッパリ聞かんですもんね。お母さんも大変っすね」

「そうなの! カメヤくんわかってるわね、飲んで飲んで!」


 オリエさんはケラケラ笑いながらテーブル全員にビールを注ぎ、これからもアオイちゃんをよろしくね、とウインクして戻って行った。今日も台風みたいな人だ。


「はー、本日も母上は美人っすな」

「ありゃアラフィフには見えんよなぁ」

「目元とか、ヒマちゃんと似てるよね」


 オリエさんの話題で盛り上がる中、私はイシバシくんのことを考える。やっぱり今も飛び回ってるんだなぁ……もう私のことなんか、どうでもよくなってるかもしれない。


「ヒマワリのお祝いの席なんだから、たとえ張ってでも来るわよ。がっかりしないの!」


 表情に出てしまっていたのか、メグミちゃんが私の顔を覗きこんだ。

 みんなは私に「再会すれば元に戻るに決まってる」と言う。そうだったら嬉しいけれど……そんな夢を見ても、本当に良いのだろうか。


「でもリコちゃんって、ずっとイシバシくん避けてるよね。会いたくないの?」


 アイリちゃんに問われて、そうじゃないけど、とだけ返す。歯切れが悪い私にみんなが苦笑する。


「早く会えるといいですね、ふふふっ」

「もう、ユズカちゃんまでっ」


 ニッシーの隣に座るユズカちゃんは、小首を傾げて上品に微笑んでいた。この姿だけを見れば、もうすっかり大人の女性だ。膝の絆創膏が彼女らしいけど。

 初めて会った時に中学生だった彼女は、大学生になっている。あの頃の私たちと同じ二十歳、英語学科の後輩だ。

 ユズカちゃんの二十歳の夏は、どんな夏になるんだろう――そんなことを考えていると、苦笑いで親族席に頭を下げているイシバシくんの姿が見えた。遅刻ぶりがあまりにダイナミックすぎて、親類の皆様から弄られまくっている。

 懐かしい笑顔を見て、胸の奥がきゅうきゅうと締め付けられた。


「ようやくお出ましだな、酌でもしてくるか!」

「よっし、駆けつけ三杯飲ませちゃろうぜ!」


 ニッシーとカメヤンがビール瓶を掴んで、機嫌よく親族席へと連れ立って行く。無理強いしないのよ、とメグミちゃんが声をかけたけれど、イシバシくんはビール程度ではまず酔わないだろうと思う。

 目が合うのが怖くて、高砂の二人へと視線を向けた。メイくんは普段よりも更に柔らかな笑顔で、ヒマちゃんは誰よりも元気いっぱいの花嫁だ。地元の友達に囲まれているヒマちゃんが親族席を指差して、同級生らしい女の子がイシバシくんを呼びに行った。


「そっか、イシバシくんもあの子たちと同級生だもんね……ねぇ、私たちもみんな一緒に写真撮りたくない?」


 アイリちゃんが言いだして、当然みんなが賛同する。私一人だけが逃げられるわけもなく、渋々という顔をするわけにもいかない。

 地元の友達と入れ替わりで、私たちも高砂へ向かう。みんなのカメラやスマホをミヤさんたちが預かってくれた。どうやら撮影係らしい。私のスマホもミキちゃんの手に渡り、いよいよ逃げ場がなくなったところで、イシバシくんが私の隣に立った。


「オノミチ、久しぶりだな。元気にしてたか?」


 イシバシくんが、笑顔で声をかけてくる。

 まるで何事もなかったみたいに。

 私と恋になんか、落ちなかったみたいに。


「うん、元気だよ。おかげさまで」


 それなら良かった、とイシバシくんは言った。

 あの頃と変わっていない声、同じ笑顔。それなのに、別人みたいなイシバシくん。仕立ての良い黒のスーツを着て、髪もきちんと整えて、すっかり大人になってしまったひと。どんな態度を取ったらいいの……どうしようもなく、混乱する。


「忙しいみたいだな? 俺が帰って来た時は、いつも仕事だ」

「だってギリギリに言うんだもん」

「そうだな、次はオノミチの予定に合わせるよ」


 イシバシくんは、全てを見透かすように笑った。逃げ回ってたの、多分バレてる……気まずいけれど、今の私に逃げ場はない。


「二次会は来るのか?」

「うん、行くよ。明日もお休みだし」

「そうか。じゃあ、その後でゆっくり話そう」


 その後って、どういう意味? ゆっくりって、どこで話すの?

 胸の奥に淡く抱いていた期待が、次第に色濃くなっていく。

 そんな私を気にも留めずに、イシバシくんはカメラへ笑顔を向けた。


 二次会は雰囲気の良いイタリアンバルで、最初に少し余興があった後は、自由に歓談するスタイルだった。メイくんとヒマちゃんは私たちのテーブルにもチラリと顔を出したものの、地元の友達や職場関係のテーブルを優先的に回っていた。イシバシくんは、ヒマちゃんの地元の友達と同じテーブルに着いている。

 私たちはまたいくらでも機会があるからと、全く気にせず自分たちだけで盛り上がっていた。


「よう、お揃いだな。俺もここ座っていいか?」


 二次会だけ招待を受けたらしいスガ先輩が、ミヤさんたちのテーブルから移ってきた。私がスガ先輩と会うのは、先輩が卒業して以来だった。


「お前ら、最近どうしてんの……って、チガヤとリコちゃんは知ってるけどさ」

「俺は変わらず、ミクモ組で漫画アシですよ。メグは空港でグランドスタッフやってます」

「ニシは自分の漫画も描け、たまにはサイトを更新しろ、生きてるか不安になるだろうが。カメヤのとこは?」

「俺は食品サンプル作ってるっす、アイリは福海銀行で窓口やっとります」

「はー、お前ら、本当に出来た連れ合いを貰ったな」


 スガ先輩から「連れ合い」と言われたメグミちゃんとアイリちゃんは、頬を真っ赤にして「まだです!」と抗議の声をあげた。どちらも彼氏と一緒に暮らして数年経つのに、未だに揃ってこの調子だ。


「スガさんこそ順調じゃないですか。ソシャゲのキャラデザにラノベの表紙、よく見かけますよ」

「おいニシ、見かけるだけかよ。ガチャ回せとは言わんが、本は買ってくれ……ああ、チガヤは連載取れそうか?」

「ふふっ、内緒でーす」


 スガ先輩はイラストレーターになり、チガヤちゃんは駆け出しの漫画家だ。お兄ちゃんも頑張ってよねっ、とユズカちゃんがニッシーに発破をかけた。

 あの日の未来にいる私たちは、それぞれの道を歩いている。


「スガさん、お久しぶりです」


 スガ先輩の姿が見えたのか、イシバシくんが私たちのテーブルに移って来た。自然な動作で私の隣に座り、当然のように距離を詰めた。


「おっ、一番の出世頭が来たな?」

「はは、俺よりスガさんの方が知名度高いでしょう」


 そう言って笑うイシバシくんに、昔のような毒気は見えなかった。


 その後のイシバシくんは私の隣に座り続け、だからと言って私と話すわけでもなく、丁寧に場を盛り上げていた。

 この人は誰なんだと叫びたくなるくらいに、彼のことがわからなくなってくる。

 大人になるって、こんなにも変わってしまうことなのか……それとも、海外の生活を経験したからなのか。自分の幼さを突き付けられているようで、焦りのようなものを感じてしまう。

 イシバシくんがお手洗いへ立った時、ユズカちゃんが惚けたような表情で「すっごく素敵になりましたね」と耳打ちしてきた。

 確かに素敵だとは思うのだ。二次元のキャラクターだったら推し確定だ。

 だけど私はどうしても、違和感を拭うことができなかった。


 二次会のお店を出る時、メイくんとヒマちゃんから三次会のお誘いを貰ったところで、イシバシくんは私の肩に手を回してきた。


「悪い、俺とオノミチはここで抜けるよ」

「えっ、私も三次会行く」

「二次会の後にゆっくり話そうって、言ったよな?」

「……言いました」


 それでも三次会に行きたいです……なんて、とても言わせて貰えない空気だった。イシバシくんは穏やかに微笑んでいるけれど、有無を言わせないような空気を醸し出している。

 どうしちゃったんだ、この人。私の記憶の中の彼は「リコが行きたいなら行くか」と笑ってくれる人だったのに。


「まぁ、僕たちはいつでも会えるしね」

「うんうん、久々なんだから、ゆっくり話してらっしゃーい!」


 主役二人に抜けることを勧められ、友達は全員が笑いをこらえている。隣にいたミキちゃんにまで「もう逃げられないよねー!」と言われてしまう有様だった。

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