第七十二話 ケの日、ハレの日(二)
迎えに来てくれたナルちゃんと一緒に、集合場所の福海中央公園へ行くと、既に三十人くらいの同級生が集まっていた。ヤンチャだった男の子の比率が高めで、カラフルなスーツや毛皮のコートの集団は、ちょっと怖い人たちにも見えた。
私とナルちゃんを見た彼らが「おー、女子は化けるなぁ」なんて声を上げ、近くにいた女の子たちが「あんたらの方がよっぽど化けとるわ!」と彼らをからかい、みんな楽しそうに笑った。そういう嫌味のなさは変わらない、昔のままだ。
地元の友達は、好きだ。誰も私を見下したりしない。絵に描いたようなガリ勉オタクの私を「勉強できて真面目な偉い子」という扱いで、ずっと尊重してくれていた。
「いよっす、お前らはもっと早く連絡してこいって」
手を振りながら近付いてきた幹事のシノくんは、軍服に似たデザインの黒いジャケットを着ている。うん、相変わらずだ。
「ごめんねシノくん、お手数かけました」
「あー、まぁオノミチは電話でも謝ってくれたからな。問題はナルヤマてめーだ、俺に何か言うことはないか?」
「やはははは、よいではないか! 闇を切り裂く
「おいィ!? 何いきなり能力バラしてくれてるわけぇ!?」
シノくんが慌てたようにナルちゃんの口を塞ぎ、やっぱり黒歴史に触れてしまったか……と思ったのだけど、真顔のシノくんが周囲を伺いながら、小声で「闇の勢力に聞かれちゃマズいからな」というので吹き出してしまった。
「そろそろ時間だし入るかね、あとの連中は自力で来るだろ。ほれ行くぞー」
シノくんがみんなに声をかけ、公園のそばの居酒屋へ案内される。学年全員に声をかけていたはずだけど、集まったのは一クラス程度の人数だった。高校の同窓会へ行った人もいるだろうし、県外にいて戻って来てない人もいるだろう。転勤族の多い校区でもあるから、実家そのものが転居していることも多い。少し寂しくは思うけれど、こればかりは本当にどうしようもない。
座敷の手前で靴を脱ぎながら、ナルちゃんがボソッと「シノくん変わったね」と言った。中身は全然変わってないけど……背が伸びた、とは思う。私の記憶の中で「少年」だったシノくんは、大人の男性になっていた。黙っていればの話だけど。
乾杯をした後は、みんな思い思いに席を入れ替わり、昔語りをしたり近況を報告しあったり、連絡先の交換をしたりしていた。私は座敷の片隅で、ナルちゃんと一緒に壁の花と化していたのだけれど、急にナルちゃんが「どうしよう」と言った。
「やっぱりシノくん、すごく、格好良くなったよ」
両手でグラスを包むように持ってレモンサワーを飲むナルちゃんは、頬を赤く染めながらシノくんを眺めていた。
彼は学年でも目立っていたタイプの女の子たちに囲まれて、すごい勢いでお酒を飲みながら、何やら良いように弄られている。飲み物はタッチパネルで各自が注文しているので、幹事といえども飲む暇がないほどではないらしい。さすがに「闇の勢力」とかも口走らず、笑顔で場を盛り上げているのが見えた。
「私……シノくんと喋ってきても、いいかな」
ナルちゃんが言った。きっと昔みたいに、シノくんと仲良くなりたがってるんだ。一緒に行こうと言わないのは、あの集団の雰囲気が、私の苦手なものだと知っているから。ゆっくりしておいでよ、と私は答えた。
「私、お手洗い行ってくるね。お化粧直してくるから、ちょっと時間かかっちゃうかも」
「リコちー……ありがと、ごめんね。少し話したら、またこっちに戻ってくるから!」
レモンサワーを持って突撃していくナルちゃんを見送ってから、私はバッグを持って化粧室へ行った。
非常階段の横にあるお手洗いは男女兼用で、混雑の割に清掃は行き届いていたけれど、ゆっくりメイクを直せるような感じではなかった。口紅だけ塗り直そうと手洗い場の鏡を覗いた時、誰かが入ってきたのが映り込んだ。
「あれ、シノくん?」
「おう、ここ男女兼用だったな。悪いな、店選びミスったな」
すっかり酔いが回った感じのシノくんが、ふらりと中に入ってきた。奥の個室へ行くのだと思って、気にも留めずに鏡へ視線を戻すと、シノくんは後ろから私にしなだれかかってきた。
「え、ちょ、大丈夫?」
「……ごめん、飲み過ぎたかも」
「わわわ、吐くなら吐いちゃおう! 幹事さんしっかりー!」
私は慌てて振り返り、彼を正面から支えようとした。だけどシノくんは私の耳元に唇を寄せ、思いもよらないセリフを吐いた。
「オノミチ、男遊び、凄いんだって?」
「え?」
「掲示板の、福海コスプレイヤースレ……リコリス、だよな?」
シノくんの言葉に、頭を殴られたような衝撃を受けた。シノくんは、リコリスの噂を知っている――目の前が、真っ暗になった。
相手が見知らぬネット上の人たちなら、言いたい人には言わせておこうと流してしまうことだってできた。だけどまさか、地元の友達にまで誤解されてるなんて……絶対に、この誤解だけは解きたかった。
「シノくん、違うよ。あれは、誰かが勝手に嘘ばっかり書いたんだよ」
「でも貼られてたエロ画像、どう見たってお前だったじゃん」
「あれだってコラ画像だよ、顔以外は私じゃないよ」
「そんな言い訳、信じられない」
シノくんの手が、私の手首を強く掴んだ。大声で助けを呼ぼうかとも思ったけれど、ナルちゃんの顔が頭を過ぎってしまう。
こんなハレの日に、騒ぎを大きくしたくなかったし、ナルちゃんを傷付けたくもなかった。
「俺には隠さなくてもいいよ。ナルヤマにも、みんなにも、誰にも言ったりしないから……ちゃんと、黙っててあげる」
その声はまるで脅すようで、シノくんじゃないみたいだった。そして私は、どうすればわかってくれるんだろうと、そればかりをずっと考えている。
あの悪評はこんなところにまで現れて、私の人生をめちゃくちゃにする。いつまで振り回されなきゃいけないんだろう?
「私の知ってるシノくんは、そんなこと言うひとじゃなかった!」
我慢ができなくて、大声で叫んだ。昔のシノくんは優しかった。あの書き込みさえなかったら、シノくんだってこんなことは言わなかったはずなんだ……。
「オノミチだって、男とヤリまくるような女じゃなかった」
「してない、そんなこと」
「だったらなんで、あんな写真バラ撒かれてんだよ……俺は、おれはっ」
掴まれた手が痛かった。シノくんの目から、ぼろぼろと涙が溢れた。
「真面目なオノミチが、好きだったんだよ……なのに、なんで、あんなんなっちゃってんの……?」
その涙声の告白を受けて、私は言葉が出せなくなった。シノくんが私を好きだったなんて、ただの一度も考えたことはなかった。
こんな会話になる前なら、応えられなくても嬉しいとは思ったかもしれない。ナルちゃんのことを考えると複雑だけど、向けられる好意そのものを迷惑だとは思わない。だけどそれは、健全な友人関係が続いていればの話で……今の状況で告白されても、鬱陶しいとまでは言わないけど、ただただ困ってしまうだけだ。
「なぁオノミチ、誰でもいいなら俺でもいいじゃん。頑張るから、余所見なんかさせないから!」
「……ごめん、私、付き合ってる人がいるんだ」
「彼氏……いるの?」
シノくんが、間の抜けた声を出した。そして「ああ、あのメイってヤツか」と続けた。シノくんは、どこまでもあの書き込みを信じている。
「違う、メイくんは彼氏じゃないよ」
「んじゃセフレ? で、他に彼氏がいるってこと? やっぱビッチじゃん、中古じゃん、お前どうしてそうなっちゃったの?」
「シノくんこそ、自分が何を言ってるか、ちゃんとわかってる? ねぇ、どうしてそうなっちゃったの?」
完全に噂を信じ込んでるシノくんは、もうこちらの話を聞く気なんかないのだ。私が呆れたことが伝わったのか、シノくんは掴んでいた手を引っ張って、強引に私を個室へ引きずり込んだ。
「俺が、元のオノミチに戻してあげるから……」
少し広めの個室の中で、私は壁に押し付けられる。シノくんは強引に、私にキスをしようとした。
「ちょっと! 何考えてるのっ、ダメだよ!」
「ダメなんてこと、ないだろ」
「絶対ダメだからっ!」
私は本気で抵抗してるし、もちろんその気なんてないのに、シノくんを気持ち悪いとも思わなかった。こういう時、普通は嫌悪を覚えるものなのではないのだろうか。
まさか私は、噂通りの女だったりする?
すぐに「違う」という確信を持てない自分が怖くなって、泣きたくなった。
「オノミチを、好きだったんだよ」
私を抱きしめたシノくんの、耳にかかる吐息が荒くて、すごく熱くて――ぞくり、とした。ハヤトくんの顔がよぎって、咄嗟にシノくんへ頭突きをしてしまう。マトモにくらってよろけた彼を、そのまま勢いで押しのけた。
「ごめん!」
何に謝っているのか、自分でもよくわからなかった。
待てよという吠えるような声を振り切ってドアを開け、転がるように通路へ飛び出した。そこで誰かにぶつかった私は、勢いよく尻餅をついた。
「すみませんお客様……って、え?」
ぶつかったのは、カメヤンだった。居酒屋の制服を着た彼は、目を真ん丸に見開いて、じっと私を見つめている。このお店、カメヤンのバイト先だったんだ……私は全然知らなかったし、向こうも私がここに来ているなんて、全く思いもしなかっただろう。
「すみません、大丈夫ですか?」
他人を装う口調で声をかけ、私を助け起こしてくれたカメヤンは、視線を私の背後へと向けた。そこにはシノくんがいるはずだ。
あの、とカメヤンが口を開いた。
「
居酒屋の床に座りこんだ私のワンピースは、シミ抜きとまでは大げさだけど、確かにあちこち汚れていた。
シノくんは返事もせずに、憑き物が落ちたような顔で立ち尽くしていた。
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