第七十一話 ケの日、ハレの日(一)

 ザイツさんたちと別れた帰り道、駅に向かう途中で、チガヤちゃんが盛大に溜息を吐いた。


「多分、アリフミさんのために、縁を繋いでおこうと思ってるんだろうけど……惚れっぽい人だから、一応気を付けた方がいいわよ」

「えー、そんなことあるかなぁ?」


 私が笑って流そうとすると、チガヤちゃんは複雑な表情になった。


「気に入られてるのは間違いないわね、見た目ほどチャラチャラしてるわけじゃないのよ。むしろ真面目すぎて、すぐ本気になっちゃう人なの。でもバツイチだし、高校生の娘もいるから、ハヤトがいなくてもお勧めはしないわ」

「えー!?」


 驚く私を見て、チガヤちゃんが渋い顔をした。どこからどう見ても二十代にしか見えないのに、高校生の娘さんがいるんだ……アラフォーなのはわかっていたけど、外見とのギャップがすごい。衝撃だ。


「私にとっては親戚みたいなものだから、仲がいいのは嬉しいけど……私も一緒に連れて行けって言っておくわ。バイトの都合があるから、予定は早目に教えて貰わないとね」


 チガヤちゃんのバイトの話なんて、今まで一度も聞いたことがなかった。みんなで喋っている時も、あまり自分のことは話さない。そんな彼女のプライベートに、ちょっと興味が湧いてしまう。


「何のバイトしてるの?」


 私が聞くと、チガヤちゃんは足を止めた。少しだけ照れくさそうに視線を逸らして、それから私の耳元に顔を寄せ、実はね、と囁いた。


「英国風のコンセプトカフェで……男装で、執事をしてるの」

「なにそれ見たい!」

「あははは、タダじゃ見せないわよ!」


 跳ねるように離れたチガヤちゃんが、大声で笑った。すれ違った女子高校生の集団が、カップルかと思ったぁ、男かと思ってたぁ、などと盛り上がっていて、まんざらでもない様子でチガヤちゃんが微笑む。


「リコも暇なら、うちでメイドやらない? これから卒業シーズンでしょう、キャストが足りなくなりそうなの」


 うっかり二つ返事で「やる」と言いそうになった。衣装で接客をしてお金が貰えるなんて、完全に趣味と実益を兼ねてるじゃないか。それにどのみち試験が終わったら、バイトを探そうと思っていたのだ。ちゃんと自分で働いて、ホマレさんにお金を返したい。もし受け取って貰えなくても、せめて気持ちは示したかった。


「衣装の露出度も高くないし、時給いいし、シフトも融通利くわよ」


 良いこと尽くめのいい話だと思う。だけど私には、一つだけ不安なことがあった。


「キャスト……女の子ばっかり、だよね?」

「そうね、執事も含めて全員女の子。だけど私が続けられてるんだもの、大丈夫よ」


 その言葉には妙な説得力があって、やってみてもいいかな、という気になった。チガヤちゃんが一緒なら、本当に大丈夫な気がしてくる。


「ま、一度お店へ遊びに来てみたらいいんじゃない? 大学から歩いて行けるの、和泉いずみ駅の近く」


 和泉駅は大学前駅の一つ手前で、ヒマちゃんのマンションの近くだ。通学定期で通えるのはありがたかった。


「美味しい紅茶をご用意してお待ちしております、お嬢様」


 うやうやしく執事風のポーズを決めたチガヤちゃんに、お店の名刺を差し出された。「 butlerバトラー:ショウカ」と書かれたアンティーク調の名刺は、チガヤちゃんらしくて格好良かった。


 そんなことがあった翌週、成人式を迎えた私は、晴れ着姿でシーパラにいた。

 式典の会場になっていたステージ広場を出た後、友達のナルちゃんと二人で、遊園地エリアの中をぶらぶら歩く。新成人はアトラクションが全て半額なのだけれど、慣れない振袖ではどうにも気が引けた。


「いやぁしかし、リコちーはお嬢様になっちゃったねぇ……」

「いやいや、ナルちゃんこそお美しくなられましたねぇ……」


 このやり取り、既に三回目だ。ナルちゃんは私を見て「リコちー別人じゃん!」と叫んだけれど、私もナルちゃんを見てひっくり返りそうになった。私たちは二人とも「地味」が制服を着て歩いているような中学生だったのだ。

 ナルちゃんは私と同じ高校を受験して落ちてしまい、なんとなく気まずくなった。だからといって友達を辞めるようなこともなく、ずっと連絡を取り合ってはきたけれど、こうして会うのは中学を卒業して以来のことだ。五年の歳月は、私たちをすっかり変えてしまっていた。


「リコちー、美人なのってコスプレ写真だけじゃなかったんだねぇ……盛り盛り増し増しの加工マジックなのかと思ってたよ」

「メイクは盛り盛りの増し増しだけど、画像加工はほとんどしないなー。コスプレ道の求道者としては、実物見てガッカリされたくないからねっ」

「おお、言い切りましたな~! さすがリコリス! そこにシビれるっ、あこがれるゥ!」


 ナルちゃんはうししと笑って、自分のスマホを取り出した。ツーショット自撮りでも始めるのかと思ったら、SNSが表示された画面を私に見せてきた。


「実はさー、私も大学入ってからコスプレデビューしたんだぜ~!」


 スマホの中に、冬コミ会場でコスプレをしているナルちゃんがいた。

 小柄で童顔のナルちゃんは、自分の外見にマッチしたキャラを選ぶタイプのレイヤーだった。衣装はショップで売られている既製品のようだ。私とは随分とやり方が違うけど、それが間違いということもない。大切なのは楽しむことと、原作への敬意と愛情だ。


「ちょっとー! もっと早く言ってよー!」

「やー、なんかリコちーに見せるのは恥ずかしくってさぁ!」

「いやいや! フォローするからブロックしないでね!」

「うおー、リコリス様と相互じゃー!」


 相互フォローにしたところで、互いに顔を見合わせて爆笑した。


「やはははは、なんかもー成人式どころじゃなくないですか? 帰って着替えてオールでアニカラやろうぜ~!」

「ダメだよナルちゃん、シノくんが泣くから! ただでさえ直前で無理を言ったんだから、同窓会はちゃんと行こうよ!」


 私がたしなめると、ナルちゃんはぐぬぬぐぬぬと大げさに悔しがってみせた。同窓会に行こうと言ったのはナルちゃんなんだけど、もうそんなことはどこかへ飛んでいってしまったらしい。


「しっかしさー、シノくんが、よく幹事とか引き受けたよね~」

「生徒会長だったからじゃない?」

「そだけどさー、うちらと変わらないくらいの陰属性キャラだったのにねー。今でも左手に『闇を切り裂く紫炎しえん』とか宿してんのかなー? くっオノミチ避けろ、ナルヤマ逃げろ、俺の左手が制御できねぇ~!」


 ナルちゃんのモノマネは当時のシノくんそのままで、本人の前でこれをやったら慚死ざんしというか、いわゆる「恥ずか死ぬ」状態になってしまう気がする……成人式というハレの日に、わざわざそんな黒歴史を突きつけるのはあまりに可哀想すぎる。


「それ、絶対シノくんの前でやっちゃダメだよ?」

「いいじゃんいいじゃん、文字通り中二時代のメモリーじゃん! やめろ紫炎、今の俺はただの中学生なんだ~!」


 容赦なく黒歴史をえぐりそうなナルちゃんに、いちおう釘は刺したけど、全く効果は得られなかった。シノくん、がんばれ。


 そのままシーパラをウロウロして、他の同級生に会ったり、変貌振りに驚かれたりしつつ、それなりに楽しい時間を過ごした。それでも昼過ぎにはシーパラを出て、着替える為に一旦家へと帰る。また電車で繁華街まで来ないといけないけれど、さすがに振袖のまま居酒屋へは行けない。

 私の家の前を通って帰るナルちゃんは、あとで迎えに来るねと手を振った。それは懐かしい光景だった。

 ナルちゃんが一緒で、楽しかった。ミキちゃんたちに会わなくて、本当に良かった――そう思った途端に力が抜けて、つい玄関でへたり込んでしまう。

 この先ずっと怯えて暮らすわけにもいかないのに、頭の中のミキちゃんを、上手に振り払うことが出来ない。せっかくのハレの日なのに、こんなことで泣いたらダメだ。


「どうしたの? 慣れないお着物で、疲れちゃった?」


 お母さんが廊下に出てきて、すぐに隣へ来てくれる。先に写真撮っておいて良かったわね、と言いながら帯を緩めてくれた。そうじゃないんだよ、とは言えなかった。


「何か嫌なことでもあった?」

「ううん、ない、なんにもないよ」

「そう……じゃあ緊張してるのね、普段は会わない人ばかりとお喋りしたでしょう? 着替えちゃいなさい、持って来てあげるから」


 お母さんは二階に上がって行って、私が自室に用意していた着替えのワンピースを持って戻ってきた。勝手に部屋に入らないでって、いつも言ってるけど……今は、うれしい。


「リコは香水好きでしょう? 緊張したら、好きな香りに集中すると落ち着くわよ」

「香水……?」

「そうよ、小野道家に伝わるおまじないなの」


 お母さんは大げさな触れ込みを口にしつつ、ポケットから香水の小瓶を取り出した。出掛ける前に自室で使って、机の上に置きっ放しにしていたものだ。その香水を、私のバッグに入っていたハンカチへ振りかける。お気に入りの香りが広がって、本当に気持ちが落ち着く気がした。


「お母さんはね、結婚式の日、ヒデさんのお祖母ちゃんに教えてもらったの」

「ひいお祖母ちゃん?」

「そうよ。お母さん緊張で吐きそうだったんだけど、本当によく効いたの。だからリコにもきっと効くわ」

「おかあさん……」


 今日は大人になったことを祝う日なのに、私の唇からは、幼い子供のように甘えた声が出た。お母さんは私の髪を解いて、そっと撫でるように梳いてくれる。


「落ち着いた?」

「うん……ありがと」

「じゃあ着替えちゃおっか! 寒いからリビングがいいわね!」


 お母さんに促されて立ち上がろうとした時、リコ、とお父さんの声がした。リビングの扉から、半分だけ顔を覗かせている。


「……特別な日だからって、あんまり無理はするんじゃないよ。何時だって迎えに行くから、辛くなったら連絡しなさい」


 それだけ言って、お父さんは顔を引っ込めてしまう。まるで全てを見透かすような言葉も、私にとってはよく効くおまじないだった。

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