第六十五話 貴方と私の住んでる世界

 風邪もすっかり治り、これまでの埋め合わせのようにハヤトくんと連日デートして、元気に迎えた大晦日。今日から二泊三日で東京旅行だ。

 ハヤトくんは本当に年始の挨拶へ行くだけのつもりらしく、観光などの予定は一切組まれていない。どこかへ行きたいと騒ぐヒマちゃんに「どうせ人の群れしか見えないから無駄だぞ」と言ったらしく、説得してよと泣き付くようなメッセが連日のように送られてきた。

 しかし私は私で、お父様に会うというイベントだけで頭がいっぱいだった。ヒマちゃんには本当に申し訳ないけれど、私も観光など楽しめる状態ではなかったのだ。


 福海駅のコンコースで二人と合流して、そのままバス乗り場へ移動する。空港行きの乗車場は普段の何倍も混み合っていて、そこに見慣れた後ろ姿を見つけた。

 最初に声をあげたのは、ヒマちゃんだった。


「タケルぅー!?」

「あ、おはよ。今日も寒いね」


 振り返ったのは、冬コミに行っているはずのメイくんだった。ヒマちゃんは口を開けたまま、完全に固まってしまっている。私もびっくりしてしまって、咄嗟に言葉は出てこなかった。


「すまん、待たせたな」

「そんなに待ってないよ。リコちゃんと同じ電車だったんじゃないかな」


 驚く私たちとは対照的に、ハヤトくんは平然と声をかけた。二人の会話が普段通りすぎて、私の頭の情報処理が全く追いつかない。


「えっ、ふ、冬コミは?」


 それだけ言うのがやっとだった。メイくんが冬コミを欠席だなんて、まさか。受験期真っ只中ですら、会場の設営から撤収まで、みっちりと参加していた人なのに。

 だけどメイくんの返事は、そのまさかだった。


「今年はお休み。せっかくハヤトが誘ってくれたからね、親友の誘いは断れないよ」

「うそぉー?! 飛行機とかホテルとか、予約してたんじゃないの?!」


 私の記憶が確かだったら、夏コミから帰ってすぐに冬コミ用の各種予約を済ませていたはずだった。ただ誘われたからというだけなら、予定通りに参加してから合流しても良かったはずなのに、わざわざ全日程をキャンセルしたのはどうしてなんだろう。


「向こうで落ち合っても良かったんじゃない?」


 ストレートに疑問を投げると、メイくんはちょっとね、と苦笑した。


「三が日に家の用事があって、それを調整したりしてたからさ。予約してた諸々はスガ先輩に譲ったんだけど、行くのが初めてだって言うから、ニッシーにお世話を頼んじゃった」

「ニッシーに?」


 スガ先輩とニッシーという取り合わせが、妙に引っ掛かった。ハヤトくんに手紙を出した二人だ。

 先輩が手紙を出さなければ、ニッシーが暴走することはなかった。

 ニッシーは先輩に、自分のしたことまで罪を被せようとした。

 そんな二人を一緒に行動させて、気まずくなったりしないのだろうか。

 私の考えていることが分かったのか、ニシとスガさんは前と変わらないぞ、とハヤトくんが言った。


「どうせニシよりチガヤが面倒見るだろ、同じ部活だし。スガさんはチガヤに惚れてるからな、おそらくニシから奪い取るくらいの勢いなんじゃないか?」

「えっえっ待って、いきなり情報量が多すぎるんだけど」


 スガ先輩も漫研部員だとは知らなかったし、チガヤちゃんを好きだというのも意外だった。もちろん「リコリス」のファンが「小野道オノミチ理子リコ」に恋をしているわけじゃないのは、十分わかっているのだけれど……話の流れが急すぎて、そろそろ頭がパンクしそうだ。


「ねぇタケルっ、タケルがこっちに来ること、ニッシーも知ってたのっ?!」


 ようやく我に返ったのか、ヒマちゃんがメイくんの腕を何度もグイグイと引っ張っている。そんなヒマちゃんを見て、メイくんとハヤトくんはニヤニヤと笑いながら顔を見合わせた。


「みんな知ってたんだよ、リコちゃん以外はね」

「リコには言っても良かったんだが、一緒にヒマ助を騙すなんてできないだろ?」


 そう言うと、二人は大声で笑い出した。周囲の視線もお構いなしで、この二人にしては珍しいはしゃぎっぷりだ。


「年末年始は実家だって嘘ついたんだってな? 俺が声かけてないと思ったのか、アホだなヒマ助」

「予定が確定したら言おうと思ってたのに、聞いてもないのに嘘つくんだもん。ちょっとイタズラしたくもなるでしょ?」


 大成功だと満足そうに笑いながら、メイくんとハヤトくんがハイタッチをする。二人がこんなイタズラを仕掛けてきたというだけで、何だか私も楽しくて仕方なかった。ヒマちゃんはひどいひどいと何度も繰り返したあとで、やられたぁー、とゲラゲラ笑っていた。


 いくら田舎の福海といえど、飛行機で二時間ほど飛べば、あっけなく東京の空の下だ。人酔いしそうになりながら大混雑の空港を出て、タクシーでイシバシ邸へ向かう。もちろん車も溢れていて、本当に同じ日本なのかと聞きたいぐらいだ。

 タクシーが止まったのは、三十分ほど走ったところにある高級住宅街の一角だった。駐車スペースを兼ねているらしい石畳の奥には、純和風の大きなお屋敷。格子戸の門には「石橋」と浮き彫りで彫られた、立派な木製の表札がかかっている。周囲の住宅も豪華な一戸建てばかりで、美しく整えられた街並みを見て、メイくんが流石だねぇと声をあげた。


「こういうの見ちゃうと、うちが田舎の成金だって身に染みるね」

「親父も似たようなもんだぞ、学閥内のパワーゲームで成り上がった人だしな」

「へぇ、芸術畑にもそういうのあるんだね」

「うちの田舎基準だと福海も都会だけどっ、やっぱトーキョーは違うねぇー!」


 男子二人はなかなか世知辛い話をしているのに、すっかりご機嫌なヒマちゃんは、スマホで街並みの写真を撮りまくっていた。私は緊張でそれどころじゃなく、そのうち口から心臓が出るのではないかという気がしている。

 住む世界が違うって、こういうことを言うのではないのか。お父様やお兄さんと、私はマトモに会話ができるのだろうか……オリエさんは、あんなに親しみやすかったのに。もはや不安しかなかった。


「ヒマ助、そろそろ家に入るぞ」


 ハヤトくんがインターホンを鳴らすと、すぐに中から若い女性が出て来て門扉を開けてくれた。エプロン姿だったので、一瞬だけ家政婦さんかと思ったけれど、すぐにお義姉さんなのだと思い当たった。


「ようこそおいで下さいました。私はハヤトさんの兄の妻で、エミリと申します」


 エミリさんは私たちへ丁寧な挨拶を述べ、しっとりと品良く微笑んだ。

 前にハヤトくんが言ったように、エミリさんは何となくオリエさんに似ていた。どこがどのように似ているのだと、具体的に言えるわけではないけれど……雰囲気というか、佇まいというか、そういうふわっとした何かだ。


「義姉さん、お世話になります」

「あら、他人行儀は無しだと約束したでしょう? お父様に聞かれたら叱られますよ?」

「あぁ……そうでしたね、すみません」


 ハヤトくんは照れ臭そうに、エミリさんへ軽く頭を下げた。


「ただいま、義姉さん」

「はい、おかえりなさい!」


 エミリさんは満足げな笑顔を浮かべると、私たちを邸内へと招き入れた。

 二人のやり取りが面白くなかったらしいヒマちゃんは、エミリさんに気付かれないようこっそりと、ハヤトくんの足を蹴り飛ばした。


 

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