第六十三話 ふたりのためのキャロル

 十二月二十四日、クリスマスイブ。

 今日は久しぶりに大切な人と会う、特別な日。

 それなのに、朝から私は最低な気分だった。


 昨日は丸一日かけて、気合を入れて準備をした。

 朝一番で美容室に行ってから、その足で繁華街へ出た。バーゲンを覗いてニットワンピースとショートブーツを買った後、下着売り場で延々悩みまくった。

 帰宅後は浴室に三時間ほど篭ってボディケア、無駄に洗眼までやった。爪は長いと料理の邪魔になるので、短めに整えてフレンチネイル。

 夜はお母さんと一緒に、ジンジャーマンクッキーを焼いた。ヒマちゃん直伝レシピのおさらいもした。

 準備は万全。あとはメイクを失敗しなければ、ハヤトくんのためのリコリスが出来上がり。気付いてくれるかな、喜んでくれるかな……彼の反応を想像するだけで、つい頬が緩む。

 そんな期待も意気込みも、起きた瞬間あえなく吹き飛んでしまった。


 トントン、とノックの音がする。自室で布団に包まったままの私に、お母さんが声をかけてきた。


「そろそろ出るけど、大丈夫なの?」


 お母さんは今日から三日間、出張中のお父さんのところへ行くことになっている。

 私が「クリスマスはハヤトくんの家へ泊まりたい」と言ったら、お母さんは叱るどころか上機嫌で「じゃあお母さんもデートして来るわね!」なんて言い出して、本当に飛行機を手配してしまった。仕事は年末年始のフル出勤と引き換えに、三連休をもぎ取ったらしい。

 それなのに、行くの止めようかしら、とお母さんは言った。


「大丈夫だから行ってきて! 熱ないから、っくしゅん!」


 原因は私だ。今朝から鼻水とクシャミが止まらない。一昨日のヒマちゃんと同じ症状、完全に風邪を移されていた。

 私はデートを諦めて、ハヤトくんにメッセージを送ったところだった。ハヤトくんに移したくないのは当然として、混み合っている電車へ乗ることもためらわれた。


「酷くなりそうだったら、寺沢医院に行くから。保険証はテレビボードの引き出しだよね、っくしゅん!」

「それならいいけど……酷くなったら、電話で往診を頼みなさいよ?」


 近所の診療所の名を出すと、ようやくお母さんは納得したようだった。それでもまだ言い足りないのか、あと何かあるかしら、なんてブツブツ言ってる。


「食事作るの面倒だったら、出前でも取りなさいね」

「平気だから! 移っちゃう前に空港行って!」

「お金足りない時は、電話台の引き出しに入ってるから」

「知ってるから! 飛行機に乗り遅れるよっ、くしゅん!」


 半ば言い聞かせるようにして、お母さんを部屋から追い出した。まだまだ私は、お子様扱いなんだろうなぁ。


 軽い朝食をとって市販薬を飲んだ後、二階の自室まで戻るのが面倒で、リビングのソファーでブランケットを被ってゴロゴロしていた。

 薬のおかげか、クシャミと鼻水はずいぶんと落ち着いている。今からでも会いに行けるんじゃないか、とも思ったのだけど、感染源にはなりたくなかった。

 退屈すぎてSNSを覗いてみると、みんな完全にクリスマスモードだった。

 ヒマちゃんは全快したらしく、メイくんと近場のスパリゾートへ遊びに行っていた。アイリちゃんとカメヤンは、クリスマス仕様のシーパラを満喫中。メグミちゃんとニッシーは、何故かチガヤちゃんまで誘って、ユズカちゃんのために「おうちのクリスマス」を用意しているみたいだった。

 いつも「イイネ」を飛ばし合っているコスプレイヤーさんの写真も、これでもかという勢いでバンバン上がってくる。クリスマスにちなんだ衣装の写真を上げる人もいれば、パーティーの準備をしている人も、コスプレダンパに参加するのだと盛り上がってる人もいる。

 みんな楽しげで、キラキラしていて、一人ぼっちで寝込んでるのなんて私だけだ。つまんない。私だってお店の予約こそしてないけれど、いろいろ計画を立てていたのに、何もかもぜーんぶ台無しだ。

 クリスマスに染まった華やかな街を、ハヤトくんと一緒に歩きたかった。プレゼントを一緒に選びたかった。せっかく覚えた料理を作ってあげたかったし、綺麗に磨いた私を見て欲しかった。

 それよりも、何よりも、きちんと約束を守りたかった。


「会いたいな」


 呟いただけで、涙が出た。ずっと会えなくて、声も聞けなくて、メッセを送ることすら我慢して来た。やっと、やっと会えると思ったのに。ヒマちゃんを責めるつもりはないけれど、どうしてよりによって今日なの、とは思ってしまう。

 ブランケットを頭から被ったところで、スマホが音を立てた。ハヤトくんの返信だ。一気に涙が引っ込んで、申し訳なさと嬉しさが入り混じったままで画面を見ると、そこにはたった一言「寝てろ」と書かれていた。彼らしいのか何なのか、毒を吐かれるよりはマシなのか。彼らしいと言えば、らしいんだけど。


「寝ますよーだっ」


 画面に向かって拗ねてみたけど、返事があるわけもない。寂しい気持ちを抱えたまま、私は再びブランケットを被り直した。

 視覚情報を遮断して、だからといって眠るわけでもなく、テレビの音声だけを聞きながらボーっとしていた。ローカル番組だったらしく、シグマさんが「福海のみなさーん! メリークリスマース!」とテンション高く叫んでいた。ごめんシグマさん、今は鬱陶しい。泣きそうな気分でテレビを消した。


 しばらくすると、玄関の呼び鈴が鳴った。

 少し眠っていたみたいで、時計を見るとお昼前だった。起き上がる時は少しふらついたけど、それでも早足で玄関に向かった。

 もしかしたらと、期待していた。そんなわけがないと打ち消しながら、それでも鼓動は高鳴っていた。ドアスコープを覗いた後、深呼吸をしてから扉を開けた。

 そこには、世界で一番会いたい人が、たくさんの荷物を抱えて立っていた。


「リコ、大丈夫か?」


 ハヤトくんが、私を心配してくれている。その表情が、声が、愛おしかった。だけど私は、彼の胸を両手でぐっと押した。かなり力を込めたのに、彼は構えていたのか微動だにしない。


「風邪移っちゃうから、帰ってっ!」

「そう言うだろうと思った。いいから家に入れてくれ」

「ダメー! 絶対移るからぁ!」

「ここでゴチャゴチャしてる方が風邪ひく、とにかく入れろ」


 しばらく問答を繰り返したけど、お向かいの家のおばさんが庭先でクスクス笑っているのに気付いてしまい、これ以上ここで騒ぎ続けるわけにはいかなかった。

 大きなバッグや紙袋、コンビニの袋などを抱えたハヤトくんは、扉が閉まると同時にそれらを床へ置き、そのまま私にキスをしてきた。唇が軽く触れるだけのキスだけど、私は一気に壁際まで後ずさった。


「移るからダメっ!」


 ハヤトくんは荷物を抱えなおすと、大丈夫だ、と言いながらリビングへ向かう。


「その風邪、ヒマ助から貰ったんだろ。だったら多分、移らない」

「えっ、どういうこと?」


 後ろをついて歩く私を振り返ることなく、出所は俺だ、と彼は言った。


「俺がバイト先で移されて、ヒマ助が世話焼いてくれてたんだよ」


 そんなの、ヒマちゃんは何も言わなかった。ハヤトくんだって、私にはメッセージ一つくれなかった。いくら会わないと約束してたからって、私が彼女なんだから、そんな時くらいは頼ってくれてもいいじゃないか。


「ヒマちゃんの方が、頼りになるよね」

「アホか、約束を守りたかっただけだ」


 リビングに入ると、コートを脱いだハヤトくんが、もう一度キスをしてきた。私が拗ねたからでしょ、ちゅーなんかでごまかされたりしないぞ……とは思うものの、つい嬉しくなってしまう。


「次は、頼りにしてもいいのか?」


 ハヤトくんが、私を見つめた。その眼差しは真剣だった。

 彼に頼られるということは、アパートに出入りするということだ。看病に来ることができるのか、交際を隠す必要はないのか――ザイツさんの誘いに対する、私の結論を問われていた。

 答えは既に決めていた。ザイツさんの誘いは、受けない。

 ハヤトくんと会わない間、自分の本音がどこにあるのかを考えていた。

 初めて興味を持った職業とはいえ、商業モデルそのものが、私の夢になったわけではない。失うものがないのなら、挑戦するのも悪くはなかった。だけど大切な人を困らせてまで、執着するのはどうしてだろう――延々と、自分自身に問い続けた。

 心の奥にあるものを紐解き続けて、ようやく見えたものは、私の「打算」だった。

 ザイツさんの言葉は、私に自信をくれたと同時に、自惚れ屋の私も引き出していた。

 教室の隅で俯いていた私でも、ユズカちゃんの希望になれる「かもしれない」。

 リコリスのファンでいてくれた人たちに、前から応援してたんだ、なんて勲章をあげられる「かもしれない」。

 私やサークルのメンバーへ向けられてきた悪意に、一矢を報いられる「かもしれない」。

 沢山の「かもしれない」を、ずっと私は手放せずにいた。得られるかもしれない羨望や賞賛を、私は手放したくなかったのだ。

 そんな私を責めもせず、ハヤトくんは手を伸ばし続けてくれた。自分の中の壁を乗り越えてまで、本気で私を求めてくれた。その深い想いに、全てをかけて応えたかった。


「いつだって、頼ってほしいな」


 返事を聞いたハヤトくんは、私を強く抱き締めた。痛いくらいに力の込められた腕が、彼の想いを伝えてくれる気がした。


「いいんだな? 本当に、それで後悔しないんだな?」


 確かめるように繰り返し、頷く私に頬擦りをする。ようやく腕を解いた時、彼はまるで少年のように、屈託なく笑っていた。


「俺……絶対に、リコを幸せにするから!」


 その弾む声は、喜びがそのまま溢れ出ているようだった。無邪気に喜ぶ彼の姿が、私の気持ちを更に固めてくれた。この先にどんな未来が待っていようと、私は決して後悔などしない。


「私も、ハヤトくんを幸せにするよ!」


 約束だよと、互いの小指を絡ませた。笑いながら、ゆーびきーりげーんまん、と童歌わらべうたを一緒に歌う。

 幸せな未来を誓う歌。それはまるで、ふたりのための祝歌キャロルみたいだった。

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