第六十話 解けかけた絆、結び直して

 マンションの七階にある部室は、同じフロアには法人の事務所しか入っておらず、滅多に他の入居者と顔を合わせることはない。みんなが自由に出入りできるよう、部室の鍵は暗証番号式のものに交換してある。テンキーを押して玄関を開けると、みんなの笑い声が聞こえてきた。

 久しぶりの部室は、玄関の土間まできちんと掃除がされていた。誰だろう。サークルが活動していた頃は、私が空き時間に来て掃除をしていたのだけれど。


「もっと埃っぽいかと思ってた」

「クキタが掃除してるんじゃないかな。カンジやテルは学校遠いし、ミヤさんやトッキーはやりそうにないし」


 メイくんじゃないんだ……と言いかけて、やめておいた。タダで使わせてくれている家主に掃除しろというのは、さすがにあんまりな話だ。

 スリッパの音をさせながら、暗いままの廊下を歩く。突き当たりの扉から漏れる明かりに、心の奥までじんわりと温かくなった。


「遅れてすみません!」


 扉を開けて、メイくんが声をかけると、ソファーに座っていたみんなが一斉にこちらを向き、私を見て歓声をあげた。


「本当に来てくれたんですね!」

「おお! この日を待っていたぞ!」

「よぉ、会いたかったぜ!」

「久しぶり、ちょっと痩せたかな?」

「ますます可愛いっす!」


 相変わらずのみんなに、笑顔で手を振った。今更このキャラで振る舞うなんて……などという葛藤は、もはや存在する隙もない。


「リコも会いたかったよぉ! 寂しい思いさせちゃって、ごめんねっ!」

「っぶ、あはは、流石だねっ」


 笑顔で小首を傾げた私を見て、メイくんが大声で笑い出す。呆気にとられるみんなを尻目に、彼はお腹を抱えてうずくまってしまった。


「も、もういいんだってソレ、っふふ、ホント流石って言うか何て言うか流石だよね、あははは」

「ちょっとー! しょーがないじゃないのー!」


 私たちを見ていたみんなも、声をあげて笑い出した。こうなると、いくら私でも恥ずかしい……さんざん笑ったミヤさんが、どんなリコちゃんも可愛いぞ、とメイくんのお尻を叩きながら言った。


 リビング風に設えた部屋の一角に、琉球畳を敷き詰めた和風のスペースがある。私たちは全員で話す時、いつもそこで輪になって座っていた。私がメイくんの隣に座ると、反対隣にミヤさんが座った。

 一見チャラそうだけど中身は真面目な、桜川学園大のカンジくん。口は悪いけどすごく優しい、福海経済大のテルくん。うちの大学の一年生で、ラグビーでもしてそうな体格のトッキーと、対照的に小柄で細身のクキちゃん……いつものみんなが、そこにいた。


「本題に入る前に、俺たちは、言わねばならんことがある!」


 全員が座るのを待ってから、ミヤさんがこちらへ向き直り、頭を下げた――というよりも、ほぼ土下座だった。


「メイ、疑ってすまなかった!」


 その言葉を皮切りに、みんながバラバラと頭を下げて、思い思いに謝罪の言葉を口にした。メイくんを見ると、目を見開いて固まっていた。


「ええと、それは、手紙の話ですか?」

「そうだ! 俺たちは揃いも揃って、お前を犯人扱いしてしまった!」

「別に気にしてませんよ。そう思われるような存在だった僕が、ただ不甲斐なかっただけです」


 そんなことか、と言わんばかりのメイくんを見て、全員が複雑そうに顔を歪めている。クキちゃんに至っては、経緯が経緯だけに、今にも泣き出してしまいそうだった。話を蒸し返さないように、写真を流出させたことは誰にも言わないようにと、スガ先輩から伝えてもらったはずなのだけど……どのみちこれでは、自白するのも時間の問題のような気がする。クキちゃんは、平気で嘘をつき続けられる子じゃないんだ。


「まぁ……それでだ、これ以上の混乱を防ぐ為にも、写真が持ち出された経緯は共有されるべきだろう。俺たちにも、真相を話して貰えないか!」


 ミヤさんが困ったことを言い出して、クキちゃんが怯えた表情になる。バレちゃうから普通にしててと祈ったけれど、クキちゃんには無理なのも、わかっていた。


「私ね、全部、無かったことにしたいの。その話はもうやめて、みんなで仲良くしよ?」


 クキちゃんが責められるような展開には、絶対にしたくなかった。私が話を終わらせようとすると、ミヤさんはふるふると頭を振り、すまない、と辛そうに言った。


「リコちゃん、君の気持ちはよくわかるぞ。だけど俺たちにも、カメラ小僧カメコとして、通しておかなきゃいけない筋があるんだ……この話を片付けてからでないと、俺たちは本題に入れない!」


 カメコとしての筋、とは。わかるような、わからないような。考え込んだ私に、サークルとしての筋とも言えるな、とカンジくんが言った。


「誰が写真を外に出したかわからないけど、これからも仲良くしましょうねって、みんな難しいんじゃないかと思うよ。やった本人も気まずいままだろうしさ、まずは全てを明らかにして、謝るべきことは謝る。それがミヤさんの言う、通すべき筋ってことじゃないのかな」

「つまりミヤさんは、サークルを復活させたいんですか?」

「その通りだ!」


 メイくんの問いに、ミヤさんは親指を立てながら、白い歯を見せて笑った。ヒーローと名の付くものが大好きなミヤさんは、いつもこうだ。


「何でこんな時まで熱血系だよ、アホだろオッサン。リコちゃんがもういいって言ってんだから、掘りくり返さない方がいいんじゃねーか?」


 テルくんはミヤさんの決めポーズをバッサリと切り捨ててから、笑顔で私にひらひらと手を振った。


「俺は犯人を糾弾したいわけじゃない! だが俺たちにも、カメラを扱うものとしての矜持きょうじがあるだろう!」

「落ち着けって。リコちゃんとメイは全部わかってんだしさ、後は二人を信じて任せときゃいいじゃねーか、一度はそれで話がまとまっただろ?」

「活動を再開するのなら、話は別だろう! 今回のような事態が繰り返されて、傷付くのは誰だ? 信頼を築けないような相手と、己の命を共有できるか? 俺たちは被写体の名誉を預かってるんだぞ!」

「その被写体が、もう掘り返すなつってんだよ!」


 テルくんとミヤさんが互いの主張をぶつけ合っていると、メイくんの隣に座っていたクキちゃんが、わああああ、と大声をあげた。


「あああああ! ごめんなさいっ、僕ですっ! 僕が持ち出したんですっ!」


 クキちゃんは顔を真っ赤にしていて、眼鏡の奥の目からは涙がボロボロと零れていて、一目でわかるくらいに全身が強張っていて……放っておけば、そのまま倒れてしまいそうだった。

 ミヤさんの喉が、空気の塊を飲み込んだような音を出した。


「ごめんなさい! すごく綺麗に撮れたから、どうしても、見せたい人がいたんです……それで、まさか、あんなことになるなんて……!」


 それだけ言って、後はすすり泣くだけになったクキちゃんを、みんな黙って見守っていた。


「クキタ、そんなに泣かなくていいよ。リコちゃんが許してるんだから、もう誰に責められるいわれもないんだ。もしも誰かがクキタを責めたら、僕は絶対にそいつを許さないからね」


 メイくんに慰めの言葉をかけられたクキちゃんは、ごめんなさいを繰り返しながら、何度も何度も頷いていた。


「僕は……まだ、ここにいても、いいんですか……?」


 泣きながら呟くクキちゃんに、もちろんだ、と最初に返したのは、ミヤさんだった。その答えに異を唱えるメンバーは、誰一人としていなかった。


 本題だ、とミヤさんが切り出した「サークル活動を再開したい」という申し出は、私とメイくん以外のメンバー全員の総意だった。


「前みたいにキャラを作らなくてもいいし、撮影会の頻度が減ってもいいしさ」

「またここでこうやって、気軽にみんなで集まりたいよな」

「リコちゃんが撮って欲しい時には、俺らに声掛けて欲しいだけっす」


 その申し出は嬉しかったし、二つ返事でいいよと言ってしまいたかった。だけど私はまだ、ザイツさんの件が何一つ片付いていない。周りの意見に流されて、自分の気持ちすらわからずに、ずっとフラフラしているだけだ。きちんと心を決めてから、みんなの想いに答えたかった。


「そう言ってくれて、凄く嬉しい……本当だよ。だけど、返事は少し待って欲しいの」


 私は、今の自分が置かれている状況を説明した。モデルに勧誘されていること、受けてみたい気持ちが消えないこと、もし受けたらどんな制限が付くのか――何もかも隠さず、全てを打ち明けた。

 ミヤさんはあっさりと、簡単なことじゃないか、と言った。


「リコちゃんが撮って欲しい時、俺たちが撮る。ただそれだけのことだろう?」

「俺たちは集まってれば楽しいし、カメラとコスプレの話ができればいいし」

「他のレイヤーさんで練習してたっていいですしね!」

「それもアリかもしれないっすね、視野が広がるかもっす」


 笑顔のミヤさんに、みんなが口々に賛同する。私の写真、どこにも出せなくなっちゃうかもしれないのに……誰も、私に何かを強要するようなことは言わなかった。


「俺たちはいつだって、腕を磨いて待っている! リコちゃんはただ、己のやりたいようにやるといい!」

「うっわー暑苦しい……でもまぁ、俺らはどんなリコちゃんも好きだぜ? オッサンは春になったら卒業だけどなーサヨナラー」

「ははは案ずるな、俺は五年生確定だぞ! 来年もお前たちと一緒だ☆」

「それ留年じゃねーか! 威張ってんじゃねーよ!」

「はい、そこ落ち着いてねー」


 テルくんとミヤさんが再び向かい合ったところで、メイくんが間に割って入った。


「じゃあ活動再開ということでいいかな、リコちゃん?」

「……うん!」


 嬉しかった。ただただ嬉しかった。私の返事を確認すると、メイくんは一つ大きな咳払いをした。


「これからも、最高の一枚を撮るために、一緒に頑張っていきましょう!」


 高らかに宣言したメイくんに、誰からともなく拍手が起こった。

 サークル「リコリス」は、これからも私を撮り続けてくれる――それは私にとって、何にも代え難い幸福だった。

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