第五十七話 恋する女子は本音を語る

 食事を終えた後、誘われた時の「飲み明かす」という宣言通り、ヒマちゃんはお酒を用意してくれていた。もう朝風呂でいいよねぇと言いながら、平皿に柿の種をぶちまけている。


「私、飲むと寝ちゃうかもしれないよ?」

「うん、ハヤトから聞いてる。なのでコチラを用意してみました!」


 ヒマちゃんが、得意気に酒瓶を見せてくる。地元の酒造が製造している芋焼酎「福海の荒波」だ。


「リコはビールの時は平気だったから、ジュースみたいなお酒だと、つい飲みすぎちゃうのかなーと思って!」


 焼酎を飲んだことのない私が、いきなり芋焼酎……正直言って、不安しかない。お構いなしのヒマちゃんは、私の隣に座り込み、そのまま水割りを作り始めた。


「私、焼酎飲んだことないんだけど……他の選択肢、ないの?」

「ないよ! うちの田舎じゃ子供でも飲んでるし、だいじょーぶだって!」

「絶対それ嘘でしょ!?」


 私のツッコミは完全に無視されて、出来立ての水割りが目の前に置かれた。ヒマちゃん用のグラスはストレートだ。強い。


「えーい、もうどうにでもなれー!」

「そうそう、ググッといこー! かんぱーい☆」

「かんぱーい!」


 やけっぱちで乾杯をして、タンブラーグラスに口をつける。独特の香りに「うわあ無理っぽい」と怯んだのだけど、楽しげなヒマちゃんの笑顔に押し切られ、結局そのままチビチビと飲み続けた。


 私がようやく焼酎の香りに慣れてきた頃、ハイペースで飲んでいたヒマちゃんが「語るぜー、本音丸出しで語っちゃうぜー」と私の方へ向き直った。完全に酔ってる。


「前から一度、聞いてみたいと思ってたんだけどさ」

「なに?」

「どうやったら、リコみたいな、魔性の女になれるの?」

「は?!」


 全く意味のわからない質問に、私は口にしていた水割りを吹き出してしまった。慌ててティッシュへ手を伸ばす私を見ても、ヒマちゃんはこちらを見つめたままだ。


「な、なな、何で私? 魔性って何!?」

「だって、あのハヤトが一目惚れしちゃったんだもん。女の子が苦手で、高校は男子校を選んだくらいなのに」

「そ、そうなの?」


 初耳だった。ハヤトくんが女性を遠ざけてたのは、なんとなくわかる……多分、恋をした先にあるものが怖かったんだ。今更ながら、彼が乗り越えてくれたものの大きさを思う。


「本当に、驚いたんだよ……私、ずっとハヤトだけを見てたから」


 ヒマちゃんが、再び焼酎を呷る。その表情からは、すっかり笑顔が消えてしまっていた。


「初めて会った時に言ったことは、嘘じゃないよ。だからタケルをいいなって思えた時、ちょっとだけ、楽になれたの」


 上手い返しも見つからないままの私に、ヒマちゃんは飛び込むように抱き付いてきて、そのまま私の胸に顔を埋めた。


「でも私、今でもリコが羨ましい。なれるものなら、リコになりたい……!」


 その声が、次第に涙声へと変わっていく。背中をそっと擦ると、嗚咽が漏れた。

 苦しかった。こんなことを聞かなきゃいけないことも、言わせてしまうことも。だけどこれは、ヒマちゃんが言うと決めた本音だ。私はどんなに耳が痛くても、最後まで聞かなければいけない。


「全部……思ってること、聞かせて」


 ヒマちゃんは返事の代わりに、私の背中へ回した手に力を込めた。


「私なら、いつでもハヤトの隣にいてあげられるんだよ。でも隣にいるのはリコじゃないと、ハヤトにとっては意味がないの。タケルだって、リコはもうハヤトのものなのに、頭の中はリコのことばっかりで……二人とも、どうしてリコじゃないとダメなの? どうすれば、リコみたいに愛して貰えるの?」


 答えなんか出せず、相槌すらも打てない私は、ただヒマちゃんの背中を擦り続けた。


「ねぇ、どうすれば、リコとハヤトみたいに仲良くなれるの? タケルは私じゃダメみたい、一度も私を抱いてくれない」

「え、でも」


 うっかり「してたよね」と言いかけて、慌てて飲み込んだ。あの日、ハヤトくんと一緒に見ていたなんて、ヒマちゃんには絶対に言えない。

 私の言いかけたことをどう捉えたのか、ヒマちゃんは「まだなの」と言った。


「途中まではしてくれるけど、最後まではしてない……」


 私の腕の中で、嗚咽をこらえるように身体を震わせて、ヒマちゃんが顔をあげた。強引に笑おうとしているのか、にひひ、とわざとらしく声を出した。


「やっぱり、私もリコみたいにしなきゃ、ダメなのかな? 可愛い服を着て、髪も爪も綺麗にして、メイクも上手に――」

「違うよ、ヒマちゃん……多分、そういうことじゃないと思うよ」


 それを私が言っていいのか、わからないけど……ヒマちゃんらしさを殺すことが、正解だとは思えなかった。

 いつもシンプルでナチュラルな服を着て、お化粧も気が向いたら口紅を引くだけ、髪は伸びたからアップにしました、という適当さ。それでも人形のように綺麗で、飾らない笑顔が可愛くて、いつも明るく優しいヒマちゃん……それがこの子の魅力だと、メイくんだってわかってるはずだ。


「じゃあ、どうしたらいいの……」

「わからないけど、メイくんが好きになってくれた私は、そんな私じゃなかったから……あの頃の私は、ヒマちゃんに似てたと思う」


 メイくんと初めて会った頃の私は、人を疑うことを知らなかった。無理に表情を作らなくても、いつも自然に笑えていた。私はヒマちゃんを見ていると、時々あの頃を思い出すんだ。


「だったらどうして、タケルは私で萎えちゃうの? 私はオノミチリコじゃないから、タケルには愛して貰えないの?!」


 とうとうヒマちゃんは大きな声をあげ、わあわあと泣き喚いた。


 泣き疲れたのか酔いが回ったのか、私にしがみついたまま眠ってしまったヒマちゃんを、ベッドの上まで運ぶ力はなかった。更に言うなら、来客用のお布団がどこにしまわれているのかも知らない。

 何度か起こそうとはしてみたけれど、ヒマちゃんが起きる気配はなかった。仕方がないからベッドの上の掛け布団だけを引きずり下ろし、二人で一緒に包まって眠ることにした。エアコンは入れたままだけど、フローリングはどうしたって冷える。


「風邪ひいちゃうから、一緒に寝ようね。ちょっとは温かいよ」


 声をかけると、ボンヤリと意識があるのか、ヒマちゃんはいよいよ私にくっついてきた。長い睫毛、厚めの唇。私から見れば、とても羨ましい顔立ちなんだけど……好きな人が振り向いてくれないのなら、容姿に意味などないのかもしれない。


「リコ、ごめんね……あんなこと言っちゃったから、もう、私とは仲良くできないよね……」


 意識がはっきりしたらしいヒマちゃんが、私の顔をじっと見つめている。お酒が入っていたとはいえ、記憶はしっかり残っているようだった。


「大丈夫だよ。私たち、親友だもん……そう思ってるの、私だけじゃないよね?」

「……うん」

「それなら、もう気にしないで。私も、ごめんねは一度だけにするから……ごめんね、ヒマちゃん」


 私がそう言うと、ヒマちゃんは不思議そうな顔をした。


「リコのごめんねは、何のごめんね?」


 そう聞かれると、何て言えばいいんだろう。ハヤトくんと付き合っちゃってごめんね、って言うの? それとも、メイくんが私を好きでごめんね……? いや、それはどちらもあんまりすぎるのでは……?

 あれこれ考えて、ようやく頭に浮かんだのは、自惚れも甚だしいセリフだった。


「……魔性で、ごめんね?」

「ちょっ、リコからそんなセリフ出ちゃうんだ!?」


 私の意を決したジョークがよっぽど意外だったのか、ヒマちゃんは時間帯も考えず、大声でゲラゲラと笑い出した。


「あははは、自分で認めちゃったぁ!」

「他に言い様がなかったんだもん……」

「にひひっ、みんなに聞かせたかったなー!」

「みんなの前でこんなの、絶対言わないんだからね!?」

「わかってるって! あー、笑いすぎてお腹痛いよー!」


 ひとしきり騒ぎまくったヒマちゃんは、涙目でお腹を押さえつつも、ようやく普段通りの笑顔を見せてくれた。


 翌日は二人で一緒に街へ出て、ヒマちゃんの服や靴を見て回ることにした。

 ヒマちゃんらしいスタイルで、今よりもっと可愛くなって、クリスマスこそメイくんの食指を動かしてやろうじゃないか――それが、一晩かかって二人で出した結論だった。

 ワンダフルバーガーの朝メニューを食べながら、作戦会議。ハッシュポテトを頬張りながら、ヒマちゃんが「わからせてやるぜぇ!」と気合を入れた。


「いろいろ試着する前に、下着もサイズを正確にしておきたいよね。ねぇ、専門店でフィッティングしてもらおう?」

「えー、ちょっと恥ずかしいなぁ!」

「恥ずかしがってる場合じゃないでしょ、目的が目的なんだから。勝負下着、買っちゃえ!」

「勝負!?」


 体型を崩さないよう、きちんとサイズを合わせて欲しいだけなんだけど、あながち的外れでもないと思う。ヒマちゃんは眉間に皺を寄せ、野菜ジュースを一口飲んでから唸り声を上げた。


「うぅー、勝負下着って、布面積が少ないやつぅ?」

「ボディラインを綺麗に見せるやつがいいんじゃ……あ、でも、衣装を着るわけじゃないんだもんね」


 私だって、好きな人に見せるための下着を買ったことなんてない。ましてやメイくん向けの下着なんか聞かれても困る……誰に相談したって、たぶん正解は出てこない。


「せっかくだし、黒とか赤のレースで、アダルトヒマちゃんみたいな」

「リコみたいな度胸ないからぁ!」

「いや、私もそんなの持ってないけど……あ、縞パンは正義だってサークルの子が言ってたような気がする?」

「それじゃいつもと変わんないよー! もういい、直接聞くぅ!」

「待って待って、計画台無しだから! わからせてやるんでしょー!」


 ヒマちゃんは私が止めるのも聞かずにスマホを弄り出し、メイくんに「私がどんな下着だったら嬉しい!?」というメッセージを送りつけた。

 すぐに電話してきたメイくんは、私たちの作戦をさんざん笑った後で「大事なのは、中身がヒマワリちゃんだってことだよ」と言ったのだった。

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