第五十六話 誰にもナイショの招待状
ヒマちゃんが「土日で泊まりにおいでよー、二人で朝まで飲み明かそうぜー!」というメッセージを送って来たのは、木曜日の夜だった。メグミちゃんとアイリちゃんを誘わないのだから、何か二人だけで話したいことがあるんだろう。
私もヒマちゃんも、この約束のことを一切誰にも教えないまま、当日を迎えた。
土曜日の昼下がり、待ち合わせなどはせず、直接ヒマちゃんのマンションを訪ねた。
自宅近くのティールームで買ったシフォンケーキを渡すと、ヒマちゃんは「お高いやつきたぁー!」と飛び跳ねて、とっておき出しちゃうね、とカレルチャペックの紅茶缶を戸棚から出してくれた。
「こういうお土産のチョイス、リコは育ちが良いって感じするよねー。あ、うちにミントリーフなんて女子力の高いアイテムはないから!」
ヒマちゃんはダージリンティーと一緒に、シフォンケーキを切り分けてきてくれた。ホイップクリームが添えられている時点で、十分に女子力の高い冷蔵庫だと思う。
「私、添え物とか何にも考えてなかったよー」
「これ? クリーム煮に使うのがあったからねー。女子力というより、主婦力?」
「クリーム煮かぁ、作ったことないなぁ。ヒマちゃんはお料理上手だよね」
「リコだって下手じゃないじゃん? ちょーっと見栄えを気にしなさすぎなだけで、別に生煮えとか黒コゲとかじゃないし!」
綺麗に整頓されたお部屋で、二人だけのお茶会。他愛もない話が心地良い。まだ少し「女の子は苦手だな」と思ってしまうことがある私だけれど、ヒマちゃんといるのは全然苦にならない。
「後で教えてあげるから、ハヤトに作ってあげたらいいよ! 鶏肉よりは鮭が好きかな? 意外と肉より魚派なんだよね。アイツの部屋、常にサバ缶が常備してあるんだよ」
「あ、部屋に泊まった時、サバ缶出て来た」
「あはは、でしょでしょー!」
口の端にクリームを付けたまま、ヒマちゃんがいひっ、と笑った。ケーキを頬張るヒマちゃんは幸せそうで、やっぱり可愛い。
しかし、何か話があるから私を誘ったんだろうに、一向に切り出す気配はない。ニッシーが言うところの「酔わなきゃできねぇ話」なのかもしれないけど……お酒を飲むと、私は寝ちゃうかもしれない。今のうちに思い切って、こちらから水を向けてみることにした。
「ねねね、今日、どうして私だけ誘ってくれたの?」
「んー。他の人いると言い辛いこと、結構あるでしょ? タケルはうるさいしさー。僕はリコちゃんの為を思ってるんだよっ、なんてお節介にも程があるよねぇ」
メイくんを本名で呼んだヒマちゃんは、ほーんと困ったもんだよね、と笑いながら肩をすくめてみせた。
ヒマちゃんは、本当に凄い。もしもこれが逆の立場だったら、私は嫉妬に狂いそうな気がする……少なくとも、こんな風に笑い話で済ませたりは、きっとできない。
「な、なんかごめんね……」
「ごめんって何が? まー、私もタケル抜きでリコと話したいことがあったからね。ちょっとハヤトと話し合ったことがあってさー」
「話し合い……?」
ヒマちゃんがハヤトくんと話し合うって、いったいどんな話だろう。内容を私が尋ねる前に、ヒマちゃんはふふふん、と大きな胸を反らした。
「あのね、年末年始に何も予定がなければ、三人で東京行かなーい?」
「……東京?」
予定らしい予定は、何もない。親は家にいろと強要するタイプじゃないし、そもそも両親とも、元旦以外は仕事に出ている可能性が高い。旅費さえどうにかなるのなら冬コミに行きたかったくらいだし、東京へ行くのは構わないんだけど……その肝心の、旅費がないのだ。
普段からそれなりのブランド服を着ているせいで、羽振りがいいと誤解されがちだけど、月額制のお小遣いなんてあっという間になくなってしまう。服や靴はフリマアプリやアウトレットで安く買っているだけだし、コスメだって安価なものしか使っていない。衣装の制作費は写真集の売り上げが頼みの綱だった。ちなみに漫画やラノベ、ゲーム、DVDなんかのアイテムは、ほとんどが両親の所有物だったりする。
一人っ子だし、県外の大学に通わせたらこんなものじゃないからと、両親は気軽にお金を出してくれる方だと思う。今日のケーキ代だって出してくれた。だからといって、決して小判が出て来る小槌を持っているわけではない。
「楽しそうだけど、お金ないんだー。ごめんね」
「えっと、かかる費用はこっち持ち、というか、イシバシの方で出してくれるんだなっ。飛行機は手配してくれるし、お宿は家に泊めてくれるし、他のお金もハヤトにまとめて渡してくれるって」
イシバシ……ハヤトくんの東京の家が、全て面倒を見てくれるんだ。でも、どうして私の分まで出してくれるんだろう。ヒマちゃんはハヤトくんのイトコだから、まだわからなくもないけれど。
「私たちも、お正月は実家に帰るはずだったんだけど、年明けの成人式でも帰るでしょ?」
「あ、そうだね」
「それでハヤトがお正月はイシバシの方に顔出すって言うから、リコと一緒についていきたいって、頼み込んじゃった!」
ヒマちゃんが得意気に胸を張り、えっへん、とわざとらしく声に出した。
「それ本当に、私も一緒に……いいの?」
「いーのいーの、ハヤトの為に使うお金は惜しまない人たちなんだからぁ。ヒマ助と彼女を連れて行きたいーって言ったら、二つ返事で飛行機を手配してくれたらしいよー」
すごい、もう十二月なのに、年末年始の飛行機を押さえてあるんだ……甘えていいのなら甘えたい、なんならお金は後から返したっていい。普段の私なら断ってただろうけど、今回は行きたいと思う理由があった。単に「東京行きたい」ってことじゃなくて……そりゃ冬コミには行きたかったけど、そういうことでも、なくて。
ハヤトくんのお父様と、お兄さんに、ぜひお会いしたい。
私なんかが顔を見せても良いのならば、一度はご挨拶をしておきたかった。そして迷惑をかけてしまった夏の騒動について、直接お詫びをさせて欲しかったのだ。
「い、行く!」
「よーっし、じゃあ決まりねっ! てっきり断られるかと思ってたよー、あーよかったー!」
ヒマちゃんが嬉しそうに、ばんざーい、と両手を挙げた。こんな風に喜んでもらえるのなら、たまにはこうして甘えておくのも悪くはないな……と思った瞬間、ヒマちゃんが「その代わり、お願いがあるんだけどぉ」とモジモジし始めた。まさかの交換条件だ。
「な、何? くどいけどお金はないよ?」
「わかってるよー! そうじゃなくて……本当はこのこと、タケルに言わなきゃいけないと思うのね。でもさ、言ったら多分、自分も行くって言い出すよね?」
ああ、確かに言い出しそう。資金力にも行動力にも溢れているメイくんは、こういう時は躊躇せずにゴリ押してくる。というか、年末は冬コミで東京にいるはずなのだ……ヒマちゃんは彼女なんだし、それはわかってるだろうけど。
「イシバシの家には連れて行けないじゃん? 私もリコも、ハヤトのオマケなわけだし。でもそこを説明すると、なんか拗ねそうでしょー? だからごめんだけど、みんなには内緒にしといて!」
ヒマちゃんの心配、否定できない。昔のメイくんだったら「そのくらいで拗ねたりしないよ」って言えたけど、最近のメイくんはよくわからない。妬いたり、拗ねたり、意地を張ったり……そういう子供っぽい感情を、隠さなくなった。
しかし、内緒にするのは構わないけど、本当にそれで大丈夫なのだろうか。メイくんは勘がいいから、隠し事に気付いてしまうのでは……そこには不安しかないけど、どのみち選択肢は一つしかない。バレないようにと祈りつつ、わかった、と返すのが精一杯だった。
結局、お茶会の後はお料理教室になってしまった。なにせ「中学生の頃から家族のご飯を作っていた」というヒマちゃん直々に、ハヤトくんの好きな料理を教えてくれるというのだ。断る理由なんてあるわけがない。
調理工程を延々とスマホで撮影し続ける私を見て、ヒマちゃんは「弟子二号!」とケラケラ笑っていた。弟子一号のメグミちゃんも、全く同じ行動を取ったらしい。
「ね、ぜんぜん難しくないでしょ? 慣れるまで、何度も作ってみるといいよ」
「わかりました、ヒマワリ先生!」
「あっ……せ、先生とか言われたら照れちゃうよー!」
先生と呼ばれたのが恥ずかしかったのか、それとも嬉しかったのか、ヒマちゃんが顔を赤くして照れはじめた。
「ねぇ、リコ……私、先生、向いてるかなぁ?」
照れた仕草のまま、ヒマちゃんが私に聞いてくる。そっか、ヒマちゃんにとって「先生」は、ずっと追いかけている夢なんだ。
「すごく向いてると思うよ。ヒマちゃんみたいな先生にいて欲しかったなぁ」
「ええー、さすがに言いすぎじゃない? 嘘でも嬉しいけどねー!」
ヒマちゃんは笑うけど、友達だから言ったわけじゃない。いつも前向きで、優しくて、教え方の上手なヒマちゃんは、きっと良い先生になるだろうと思う。
高校生の頃、もしもこんな先生がいてくれたら……私の最後の一年間は、全然違うものだったのかもしれないな。
その後、晩ご飯として食卓に並んだ教材……もといヒマちゃんの手料理は、どれも家庭的にしみじみとおいしかった。
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