第五十三話 アルバムの中に眠る勲章
結局、お母さんに押し切られる形で、ハヤトくんは泊まっていくことになった。
彼をリビングへ通すと、お母さんは一緒に飲む気満々で支度を始めた。キッチンで何かを調理しながら歌っている母サトミ、既に酔ってるのかと聞きたくなるくらいに浮かれている。
「リコ、先に風呂入ってきた方がいいぞ」
「え、でも……お母さんと二人で、平気?」
「どうせいつかは通る道だろ。リコは酒が入ると寝るから、化粧は絶対に落としとけ」
ハヤトくんの指摘は、反論の余地すらなかった。まだ数えるほどしかお酒を飲んだことがないのに、既に前科二犯だし……だからと言って、あのお母さんと二人きりにするのは不安しかない。大事故が起こりそうな予感。
迷った末、私の口からは「無視しといていいよ」という非情なセリフが出た。
「さすがに無視はできないな。親父さんよりはどうにかなるだろ」
「それ、比較対象がおかしくない?」
「気にするな、いいから入れ」
駄目押しされて仕方なく、着替えを取りに自室へ向かう。二階にある私の部屋は微妙に散らかっていて、慌てて軽く片付けた。
私の部屋に、ハヤトくんが来る。たったそれだけのことなのに、胸の奥がソワソワしてしまう。嬉しいけど恥ずかしくて、見て欲しいけど見られたくなくて……ハヤトくんも、初めて私をアパートへ誘った時、こんな気持ちになったのだろうか。
お風呂に入っている間は、ずっと落ち着かなかった。どうやっても落ち着くわけがない。いつも一時間半はかける入浴タイムを、三十分足らずで切り上げた。
髪も乾かさないまま、化粧水だけを適当に顔へ叩き込んで戻ったリビングでは、お母さんがハヤトくんの隣に座ってお酌をしていた。テーブルの上にはお酒やおつまみだけでなく、家族のアルバムが散乱している……いや、家族アルバムだけじゃない。小中高の卒業アルバムまで引っ張り出されている。
「ちょっと! それ私の部屋から勝手に持ってきたでしょ!?」
「大丈夫、本棚しか触ってないから!」
「そういう問題じゃないのー!」
勝手に部屋へ入らないでと、何度言ったらわかるんだろう。私はお母さんを正面の席へ追い払い、テーブルの上の缶チューハイを適当に掴んで、ハヤトくんの隣に座った。
マイペースなお母さんが、高校の卒業アルバムを捲り始めて、懐かしいわねぇと楽しげに呟いた。
私の母校は両親の母校でもあり、県下トップレベルの進学校だ。この辺りでは珍しい黒のセーラー服へ憧れて、全教科満点を要求されるレベルの入試を乗り切った。コスプレイヤーになる前から「衣装」に執着していた自分、ちょっと笑っちゃう。
私がいた三年四組で、お母さんの手が止まる。二人ともいい顔してるな、とハヤトくんが目を細めた。
集合写真のど真ん中で、私とメイくんが肩を寄せ合い、楽しくてしょうがないと言わんばかりの顔でピースしている。私たちがクラスの中心みたいな写真だけれど、現実はまるっきり逆だった。
この集合写真を撮影したのは、ミキちゃんがネットの悪評をクラス中に広めた後のことだ。私は既に孤立していて、男女別行動の時は常に一人だった。
撮影で中庭に集められた時も、男子が左半分で女子が右半分、というざっくりとした指示が出た。前列には大人しい子たちが固まっていて、後列ではミキちゃんたちが大騒ぎをしていた。身長順なら悩まないのにと思いつつ、私は中列の隙間に入り込んだ。
カメラマン待ちでみんなが騒いでいる間、一人でぼんやり立っていると、後ろにいた女子の方から「リコは喜ぶんじゃないの?」という声が聞こえてきた。
いったい何の話だろうかと思った瞬間、私の背中に強い衝撃が走った。バランスを崩した私は、数人の女子にぶつかった後、前列の中央で屈んでいたメイくんを押し倒すように倒れ込んだ。
メイくんめがけて突き飛ばされたのだとわかって、慌てて振り返ると、ミキちゃんが「やりすぎじゃない?」と言いながら笑っていた。少し前まで私の親友を名乗っていた彼女は、既に私を嘲笑する側だった。
ぶつかった女の子たちに、そしてメイくんに、ごめんねと言って頭を下げた。私が悪いわけじゃないという気持ちと、巻き込んだことを申し訳ないと思う気持ちが入り混じって、どこかへ逃げ出してしまいたかった。
メイくんは特に動じることもなく、周囲の視線を全て無視していた。
私を助け起こしながら「バカな子がバカなりに気を利かせてくれたね」などと言ってのけ、自分の隣へ私を誘った。砂埃にまみれた詰襟を気にも留めずに、私のセーラー服の汚れだけを丁寧に払い、泣きそうな私に「いい顔してね」と言ったのだ。
いい顔してね――それはメイくんが、いつも撮影前にかけてくれる言葉だった。これも撮影なんだぞと、活を入れられた気がした。
私は一呼吸置いてから「メイくんもね」と返事をした。気合を入れて笑顔を作り、彼の詰襟の汚れを払った。
卒業式の後に行ったカラオケで、この写真を見ながらハイタッチをした。リコちゃん最高、とメイくんが笑っていたけど、メイくんだって最高だった。
この写真は、私とメイくんが一緒に戦った証だ。あんなに憧れた制服よりも誇らしい、私たちの高校生活を飾る勲章だ。
あの頃の私たちは、確かに親友だったのだ。
メイは本当に変わってないな、とハヤトくんが笑いながら言った。
思わず笑ってしまうくらい、メイくんの見た目は本当に変わらない。私と違って髪色も髪型もそのままだし、メイクするわけでもないし、私服の好みだって当時のままだ。
だけど、メイくんは確実に変わった。高校では「オノミチにしか興味がない男」として有名だったメイくんに、本音で付き合える友達ができたのだから。
「そういえば、ミキちゃんは最近どうしてるの?」
お母さんの視線は、写真の中のミキちゃんへ向いていた。
ミキちゃんに縁を切られたことを、私はずっと隠し続けている。
一人で嘘をつけない私は、メイくんにシナリオを描いてもらった。いつもうちで一緒に衣装を作っていたミキちゃんは、受験でコスプレをやめたんだよ。お互い別の子と遊ぶようになって、今はあんまり遊ばないんだ――。
メイくんが助けてくれない、私の嘘。簡単にバレてしまいそうで、すごく怖い。
「卒業してからは連絡取ってないから、わかんない」
「あら、成人式で会ったりはしないの?」
「成人式は……えっと」
実は、成人式には行くつもりがなかった。振袖は着るし、美容室の予約もしてあるけれど、それは両親へ見せる為にするだけのことだ。
大学の友達は、みんな式典の日はバラバラだ。ハヤトくんとヒマちゃんは隣県の実家に帰ってしまうし、メグミちゃんとアイリちゃんは市外に住んでいるから別の会場。メイくんは「挨拶回りがあるから式には出られないんだよね」と御曹司っぽいことを言い、振袖姿の私を撮りたかったのだと、それはそれは悔しそうに呻いていた。ニッシーとチガヤちゃんは高校の同級生と行動するみたいだったし……カメヤンに至っては、もはや新成人ですらない。朝から晩までバイトだと言っていた。
会いたい人もいないし、ひとりぼっちを満喫しに行くのもハードルが高い。うっかりミキちゃんたちに会おうものなら、人生最悪の思い出になってしまいそうだ。
「確か、地元の友達と会うって言ってなかったか?」
ハヤトくんが、急に思いもよらないことを言った。そんな話はしたことがないけど、そういうことにすれば、この話は流せそうだ。彼の言葉に甘えて、そうなのと強引に笑顔を作った。
「中学の同窓会、顔出そうかなって思ってるから、誘うなら地元の子かな?」
つい口にしたのは、案内は届いていたけれど、行く気がなかった同窓会。
私はまた、笑顔で嘘をついている。今度はハヤトくんまで巻き込んでしまった。本当のことを言えばいいのかもしれないけど、言えば悲しい顔をするだろうから……そんな顔、させたくないんだ。
「まだ約束してないの? 誰か誘うんだったら、さっさと連絡しときなさいね」
「はぁい」
ごまかせたらしいことに安堵しつつ、手にしていたみかんチューハイに口をつける。ジュース並みに甘いはずなのに、何だか苦いような気がした。
はしゃぎすぎて酔い潰れたお母さんを、二人がかりでリビング横の寝室に放り込んでから、ハヤトくんを私の部屋へと案内する。
緊張するような、恥ずかしいような、それでいて嬉しいような。おまけにさっきの罪悪感も引き摺っていて、自分の気持ちが落ち着かない。
「本当に、私の部屋で良かった?」
客間もあるよ、といちおう勧めるつもりだった。朝まで一緒にいたくても、私の実家で同じベッドは、さすがに気を遣っちゃうかもしれない。私の衣装が大量に吊るしてあるけど、クロゼットに放り込んでしまえば平気だろう。
だけど私が客間を勧める前に、彼はあっさりと頷いた。
「朝までずっと、一緒にいたい。ダメか?」
「ダメじゃないよ、私も一緒がいい」
「そうか……それなら、良かった」
二階の廊下で、私たちはそっと手を繋ぐ。
「夜が明けるまで、俺がリコを独り占めだな」
彼の手は普段よりも熱くて、今はその熱が愛おしかった。
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