第四十八話 だって、友達なんだもの

 訝しげな視線を送るザイツさんに向かって、チガヤちゃんは得意気に胸を張った。


「やだ、知ってるに決まってるじゃないの。私チガヤよ、斉藤サイトウチガヤ。アリフミさんたら、本当に気付いてなかったのね」

「あっ……チガヤちゃんか!」


 落ち着いた大人というイメージのザイツさんが、椅子から転げ落ちそうなくらいに驚いている。二人は知り合いだったんだ……しかも、名前で呼び合うような。


「何年ぶりかな、全然わからなかったよ。綺麗になったね」

「痩せたねって言ってもいいんですよ?」

「それだけじゃないよ、参ったな」


 チガヤちゃんはザイツさんと親しげに言葉を交わした後、私に向かって両手を合わせた。


「先に言わなくてごめんね、アリフミさんを驚かせたかったの。シグマさんの相方は斉藤ジルっていう人で、実は私の叔父さんなのよ。父の弟ね」


 叔父さん、という単語が頭の中を空滑りしていった。つまりチガヤちゃんは、その「ジルさん」という人の姪……?


「すごい、芸能人が親戚!」

「元が付くわよ、しかもローカル。内緒にしてね、ニッシーにも言ってないんだから」


 ミーハー丸出しで驚く私の唇に、人差し指をそっと当てたチガヤちゃんが、小声で「内緒よ」と繰り返した。チガヤちゃんは中性的だから、こういうの、ちょっとドキドキする。


「広まると面倒なのよ、シグマさんのサインを貰ってきてーとか。言い出しそうな人、すぐそばにいるでしょ?」


 すぐそばに……いる、確かにいる。メグミちゃんとアイリちゃん、二人の狂乱が目に浮かぶようだ……私は頷くことしかできなかった。


「だから、二人だけの秘密ね」


 チガヤちゃんは悪戯っぽく笑うと、勝手にザイツさんのタンブラーへ手を伸ばしてコーヒーを飲んだ。


「どうして私には、教えてくれるの?」


 長い付き合いのニッシーにも言っていないような秘密を、こんなにあっさりと教えてくれる意味。きちんと確認しておきたくて、尋ねてみる。

 こんなことを聞くのは、鬱陶しいのかもしれない。チガヤちゃんにとってはただの気まぐれかもしれないし、後で面倒事になるのを避けただけなのかもしれない。

 だけど、私が他の誰にも言わないって信じてくれた――私の自惚れじゃないよねって、どうしても、確かめたい。


「そんなの、決まってるじゃない」


 チガヤちゃんは、呆れたように唇を尖らせた。


「この状況で、黙ってるわけにはいかないじゃないの……私たち、友達なんだもの。言わなくてもわかってよ、恥ずかしいじゃないの」


 ちょっと拗ねた口調のチガヤちゃんを見て、ザイツさんは笑いながら、テーブルの上のコーヒーを奪い返した。


 ザイツさんの運転するクラウンで、市街地を走ること二十分。繁華街のメインストリートから少し離れた雑居ビルの地下駐車場で車は止まった。

 一旦ビルの外へ出て、ザイツさんに外から施設の説明をしてもらうことになった。五階建ての少し古いビルは、一階がカフェになっている。


「一階のカフェにはステージがあって、ときどき養成所のイベントをやります。二階と三階が養成所の施設で、四階と五階がオフィスです」


 案内をするザイツさんに連れられて、カフェ横の扉からロビーに入りエレベーターに乗ると、チガヤちゃんが「煙草の臭いはしなくなったのね」と言いながら空間の匂いを嗅いだ。


「最近は若い子が嫌がるからって、社長が屋内禁煙にしたんだ」

「きっと昔の若い子だって嫌がってたわよ、諦めてただけでしょ?」

「チガヤちゃん、僕だって昔は若かったんだよ……」


 二人の掛け合いを笑いながら聞いている間に、エレベーターは四階で止まった。降りるとすぐにガラス扉があって、白い文字で大きく「オフィス・グローイング」と書かれている。


「キョウコさん、お疲れ様です」


 扉を開けたザイツさんが大きめの声を出すと、すぐ正面の席で事務仕事をしているバリキャリ風の女性が「ザイっちゃんお疲れー!」と声を出した。私とチガヤちゃんには気付いていないようで、手元の書類から目を離さないままだ。


「オノミチさん、こちらにどうぞ」


 ザイツさんに促されて、緊張しながら室内に足を踏み入れると、思っていたより地味なオフィスだった。壁際のキャビネットはどれもザ・事務所と言わんばかりの灰色。フロアには事務机を五個ずつ固めた島が三つあって、どの机もかなり雑然としている。

 芸能事務所って、もうちょっとこう……内装に高級感があったり、来客用に立派な輸入家具が置いてあったりするような、華々しいイメージだったんだけどな。

 事務所にいた数名の社員さんに会釈しながら、様々な雑誌やフライヤーが山と詰まれた事務机の横を通過して、パーティションで仕切られたミーティングスペースに通された。四人用の席を見て、頭の中で「下座って手前だよね」とか、なかなかに今更な確認をしながら椅子を引くと、チガヤちゃんから壁側の席へと押し込まれた。すっかり挙動不審な私の正面にはザイツさんが座り、適当でいいですよ、と言って笑った。


「散らかっていて、すみませんね。普段の来客は社長室のある五階へ通しているので、ここは本当に裏方のお城なんですよ」


 苦笑するザイツさんに、チガヤちゃんがじっとりとした視線を向けた。


「私はわかるけど、リコもこっちの事務所でいいの?」

「うん、正直な部分を見せておこうかと思ってね。都会の大きな事務所と違って、うちは地方都市の片隅にある、地元企業が主要顧客の小さな事務所だってこと」


 あっさりと肯定されて面白くないらしいチガヤちゃんが、つまんなーい、と何度も呟く。


「私も五階は入ったことないのよね、こっちは何度も来たけど」

「上は子供が出入りするような場所じゃないからね。リースの家具に傷入れられたら社長が泣くよ……事務所のキャビネットに、油性ペンで社長の似顔絵を描いたことがあったでしょ」


 ザイツさんが入口の方を指差すと、チガヤちゃんの顔が真っ赤になった。


「そんな昔の話、わざわざ掘り起こさないでよ。子供の頃の話じゃないの」

「今でも子供みたいなものでしょう。オノミチさんみたいに落ち着きなさいね」


 チガヤちゃんよりも私の方が落ち着いてるだなんて、大学の友達はまず言わないだろうな……。落ち着いてなんかないです、と言おうとした時、通路の方からひょっこりと赤い髪が見えた。


「お、来てる来てる!」


 そこに現れたのは、いつもはテレビの中にいるイケメン、宮路シグマだった。今日ここにアイリちゃんたちを連れて来ていたら、きっと今頃は大騒ぎだったに違いない。


「アリフミがえらく張り切ってたからさー、様子見に来ちゃった!」


 笑顔こそメディア越しに見る「宮路シグマ」と同じだけれど、やっぱりちょっと雰囲気が違う。それはおそらく服装が一番大きな理由で、まるでヴィジュアルバンドの人みたいな服を着ている。テレビで見るこの人はもっとラフな格好だ。衣装は、人の空気を変える。


「あの、いつも中継やってる時間ですよね?」


 時計を確認してから、尋ねてみた。シグマさんはいつも夕方の情報番組に出ていて、県内のどこかのお店から中継を繋いでいるはずなんだ。コーナーがない日もあるんだろうか。


「今日は特番が入ってて、ゴゴゴジワイドはお休みでっす! コイツが休みってことは、俺もオフってことなの」


 そう言ってザイツさんを親指で指したシグマさんは、チガヤちゃんに視線を向けた途端、大口を開けておわぁ、と声を出した。


「チガヤちゃん! なんで!?」

「あら、シグマさんはわかってくれたのね。彼女とは大学の友達なの」


 チガヤちゃんが嬉しそうに、ひらひらと手を振った。すごい、本当に親しいんだなぁ……叔父さんの幼馴染、かぁ。私の感覚だと完全に他人だ。きっとジルさんという人が、チガヤちゃんを可愛がってるんだろうな。


「そりゃーわかるに決まってんじゃん? まさかアリフミわかんなかったの?」

「そうなの、全然気付いてくれなかったのよ」

「うははは、そりゃないわー!」


 シグマさんは笑いながらザイツさんの隣に座ると、グレゴリーのデイパックを椅子の背に掛けた。


「まさかチガヤちゃんの友達だったとはねー、俺たち縁があるんだなっ」


 シグマさんが、私へ同意を求めてきた。気を遣ってくれているんだろうけど、返事に困る……もちろん悪い気はしないのだけど、素直に「そうですね」とも言い辛い。曖昧に笑っていると、ザイツさんまでが「ご縁だね」と言い出した。


「驚いたけど、安心したよ。チガヤちゃんの友達なら、人柄もお墨付きだと思っていいかな?」

「人の良さは保証するわよ。でも私、手放しでリコを後押ししてるわけでもないのよね……反対できる立場じゃ、ないんだけど」


 チガヤちゃんが表情を硬くして、私の方へ視線を向けた。

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