第四十七話 誰かの希望になるお仕事

 五限の授業がなかった私は、四限が終わるとすぐに正門横のカフェに入った。カウンターでホットココアを注文して、受け取るとすぐに窓際の席へ陣取る。猫舌なので少し冷めないと口をつけることができず、手持ち無沙汰をごまかすようにスマホでSNSを開いた。

 今日のタイムラインは、毎年恒例「冬コミ合わせ」の話題で盛り上がっていた。「同じ題材で衣装を揃えて集合写真を撮りましょう」という企画。私にも主催さんから「まほペン」合わせのお誘いが届いていた。ハロウィンの投稿を見てくれたんだろう。

 楽しそうだけど、私が冬コミの会場に行くなんて無理だ。東京は遠い、そして旅費は高い。断りの返信を送ってからタイムラインを遡り、みんなの投稿にイイネを押していく。

 そんな中、ユズカちゃんが「今日のお昼も兄様弁当♡」と画像付きで投稿しているのを見つけた。ハロウィンの後、時々学校へ行くようになったというユズカちゃんは、今日も朝から登校していたらしい。

 ユズカちゃんは、自分を変えようとしている。すごいなぁ、と素直に思う。

 もしも私が、仲間外れにされたのが、中学生の頃だったら……メイくんもいない、ひとりぼっちで誰も頼れない学校なんて、きっと辛くて通えなかった。

 投稿にイイネが一つ押されているのを見て、その人のホーム画面を開いてみる。ユズカちゃんのアカウントはフォロワーしか投稿を見られないので、何か気付いたら教えてほしいとニッシーに頼まれていた。

 どうやら学校の同級生らしいイイネの主は、最近のユズカちゃんの投稿にはマメに反応を返し、時には好意的なコメントを残している。ログを遡ってみれば、私と一緒に撮ったハロウィンの写真に「この人、ユズのお姉ちゃん?」と質問するコメントがついていたのが最初だった。

 ユズカちゃんの「憧れのお姉様!」という返事が、少しだけくすぐったかった。彼女の憧れを壊さないよう、私も頑張らなくちゃいけないな。

 お互い頑張ろうね、と心の中で呟きながら、ユズカちゃんの投稿にイイネを押した。


 スマホから目を離して、少し温くなったココアに口をつけた。窓の外へ視線を向けると、チェスターコートを着たザイツさんがお店の前を歩いている。

 何故だと思う間もなく、彼と目が合った。

 ザイツさんもすぐに私だとわかったようで、こちらに向かって会釈をしてから店内に入り、注文カウンターには寄らずに私の席へと一直線にやって来た。


「こんにちは、オノミチさん。お友達はまだみたいですね」

「こんにちは……どうして、ここが?」


 不思議だった。迎えに来てもらうことにはなっていたけど、大学駅前で合流だったはずだ。友達を一人連れて行くと連絡した時も、ここで待ち合わせをしていることまでは言わなかったのに。


「福海大、僕の母校でもあるんですよ。懐かしくて立ち寄ろうと思ったら、窓越しにオノミチさんが見えたので。ご一緒しても宜しいですか?」

「あっ、どうぞ!」


 なるほど、別にこのカフェを目指して来たわけじゃないのか。納得。

 コートを脱いだザイツさんは、今日はお休みだからなのか、スーツではなくグレーのニットを着ていた。よく見たらメガネも銀縁じゃなくてセルフレームだ、コーデが今日はオフタイムだと主張している。わざわざ休日を割いてくれるこの人は、そんなに私を見込んでくれているのだろうか――さすがにその発想は、自惚れがすぎるかもしれない。

 カウンターでコーヒーを買ってきたザイツさんは、私の正面に座った。


「あの、学部はどちらだったんですか?」

商学部ショーガクですよ」


 コーヒーの湯気で曇ったメガネを外しながら、ザイツさんが微笑んだ。シグマさんに負けないくらい美形だー、と心の中で拍手してしまう。ああ、コスプレさせたい。似合うキャラが脳内にわちゃわちゃ沸いてくる……本人には、絶対に言えないけれど。

 そんな私の妄想をよそに、ザイツさんは窓の外を眺めている。


「在学中から今の事務所でアルバイトをしてましたので、駅前と校舎周辺しか馴染みがないんですけどね。商学部ショーガク棟、今も人文学部ジンブン棟の隣ですか?」

「あ、はい。校舎は数年前に改築したそうですが」

「早いなぁ。僕が通ってた頃は新築だったのに」

「えー、そんなに前のことなんですか?」

「二十年くらい前の話ですよ」


 他愛ない雑談を交わしつつも、私はザイツさんの過去に興味津々だった。

 学生時代のバイト先が芸能事務所って、なんだかすごい。どんな仕事をしていたんだろう……そのまま社員になったくらいだし、最初からそういう道に進みたかったのかな。大学生のザイツさんは、既に夢を追いかけていたのだろうか。


「芸能関係のお仕事が、夢だったんですか」

「うーん……そうだと言えばそうですが、違うと言えば違います」


 曖昧な答えを口にしてから、ザイツさんはコーヒーに口をつけた。何かを迷っているように見えた彼は、まあいいか、と小さく呟いた。


「もうすっかり昔話なんですが、僕はもともと芸人の卵だったんですよ。幼馴染とトリオを組んでいて、中学の頃からママゴトみたいな活動をしていました。それで三人揃って事務所へ誘って貰ったんです。僕は大学に進学したけど、あとの二人は事務所直営の養成所に入りました」

「えええ、そんなことってあるんですか」

「ないと思うでしょう? あったんですよ」


 驚く私に、ザイツさんがおどけて笑う。芸人さんのインディーズ活動……そんなの、初めて聞いた。歌手だったら路上やお店で歌ったりするんだろうと想像できるけど、お笑いの世界だと、一体どんなことをするんだろう。


「中学からって、すごいですね。どんなことをしてたんですか?」

「最初は文化祭から始まって、老人ホームの慰問とか、町内のお祭りのステージだとか。素人の子供がすることですし、部活動みたいなものでした。偶然見ていた社長が面白がっただけなんですよ」


 なるほど、そういうこともあるんだ。私が声をかけられるくらいだし、実は意外とよくあることなのかもしれない。


「だけど結局、怖気付いた僕は裏方に転向したんです。大学一年生の、夏のことです……僕と違って、シグマは当時からずば抜けてましたけどね」


 ザイツさんはコーヒーを口にしながら、目を細めて窓の外に視線を送った。怯んでしまう気持ち、少しわかる気がする……きっと十九歳のザイツさんも、いっぱい悩んだんだろうな。人生がかかってるんだもの。


「せめて二人を一番近くで見ていたいと、事務所で雑用のバイトを始めた僕に、社長はマネージャー業務を叩き込んできました。卒業と同時に就職して、そのまま僕はシグマの専属です」


 ザイツさんは周囲を一度見回して、少しだけ私の方に顔を寄せた。


「僕はシグマなら、全国でも通用すると思ってるんですよ。アイツと僕は幼馴染ですが、僕にとっての宮路シグマは憧れの存在でもあって、そして人生の希望なんです」


 声量を落としつつも、その言葉には熱がこもる。いつしかシグマさんだけの話になり、もう一人の幼馴染には一言も触れなくなった。きっと辞めちゃったんだろうな。


「あの……ザイツさんは、自分の選んだ道を、後悔しませんでしたか」


 華やかな世界で戦う人を支えるお仕事も、素晴らしいものだとは思う。だけどザイツさんの場合は、最初からそこを目指していたわけじゃない。今の私と同じように迷って、そして、憧れの舞台を諦めて――後悔、しなかったのだろうか。


「そうですね。後悔はありませんが、もっと無茶をしてからでも良かったかな、と思うことはあります。若いうちしか出来ない冒険は、経験しておいて損はないと思いますよ」


 改めてメガネをかけたザイツさんが、私に向かって立派な営業スマイルを披露した。つまり「モデルやっときましょう」ということかな……隙あらばゴリ押し。さすが。


「きっとオノミチさんも、この町に暮らす誰かの憧れになれると、僕は思います。だから声をかけました。僕はスカウトマンではないので、普段は声をかけたりしません。きっとあなたは、誰かの希望になれます」


 私の頭の中には、真っ先にユズカちゃんが浮かんだ。その時、背後から「当然よ」と声がした。


「なれるじゃなくて、もうなってるのよ」


 視線を向けると、チガヤちゃんがいた。彼女はダッフルコートを脱いで両腕で抱えると、私の隣の席に腰掛けた。


「リコは、私たちの憧れなんだから」


 ザイツさんは「なるほどね」と頷いてから、何かを言おうとした。挨拶でもしようとしたのかもしれない。

 チガヤちゃんはそれを遮るように「でも」と言葉を続けた。


「シグマさんにとって希望だったジルさんは、まだ戻らないのよね。家の事情なんてとっくに落ち着いたのに、本当に困った人よね」


 まるで知り合いの愚痴でもこぼすような軽さで、チガヤちゃんが笑う。ジルさんって誰のことだろう、シグマさんの相方さんかな……実はチガヤちゃんって、シグマさんのディープなファンだったりするのだろうか。意外性しかないけど。


「あなた……どうして、そんな話をご存知なんですか」


 ザイツさんの表情に、緊張の色が見えた。そっか、普通のファンは知らないことなんだ。

 じゃあどうしてチガヤちゃんは、そんなことを知っているんだろう……?

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