戸惑う冬、未来への誓い

第四十六話 グローイング・アップ!

 大学の学園祭も終わり、師走も近い。今日の夜から放射冷却で冷え込みますと、テレビのお天気キャスターが告げていた。

 お弁当を作りながら何気なく見ていたテレビは、ローカル枠の情報番組。笑顔で手書きのフリップを出す素人っぽい女の子は、芸能事務所「オフィス・グローイング」の所属タレントだ。モデルの誘いを受けると決めてから、事務所の名前が目に留まるようになってしまって、テレビに出ている所属タレントは大体覚えてしまった。

 スカウトされてから一ヶ月が経つのに、私はまだ両親へ相談できずにいた。ハロウィンナイトの翌日、メイくんに送って貰って家に帰ると、お父さんは突然の長期出張へ出てしまった後だったのだ。きちんと顔を合わせて話したかったので、声をかけてくれたザイツさんに事情を説明して、返事は年明けまで待ってもらっている。


「行ってきます」


 玄関で声をかけると、部屋着のままのお母さんが見送りに出て来た。仕事のある日は私より早く家を出ることも多いけれど、どうやら今日はお休みらしい。


「今日、夕ご飯はいらないのね?」

「うん、食べてくるよー」


 今日は講義が終わった後、「オフィス・グローイング」の事務所を訪ねることになっていた。私に話を受ける気があると知ったザイツさんは、一度遊びにいらっしゃいと、自分の休みを削って事務所へ招待してくれたのだ。


「ハヤトくんのところには、泊まってこないの?」


 まるで外泊を勧めるかのような発言に気を取られた私は、半開きだった玄関の扉にうっかり足を挟んだ。けっこう痛い。


「あああああ、ブーツに変な傷付いちゃった!」

「何やってるの、ふざけてるとケガするわよ」

「お母さんが変なこと言い出すからでしょっ!」

「いいじゃないの別に、もう大人なんだから」


 お父さんが過保護気味だからなのか、お母さんは時々こちらがビックリするようなことを口走る。いつも「信じてるからよ」と笑うけど、それを素直に喜んでいいものか、なんだか時々わからなくなる。


「普通の親は、男の子と外泊なんてとんでもないって、怒るものなんじゃないの?」

「そうねぇ。でも嘘の居場所を言われる方が、何かあった時に困るでしょ?」

「……そ、そっかぁ。ごめーん、時間だから行くねっ」


 心当たりがあった私は、逃げるようにして家を出た。結局、お母さんには何もかもお見通しなのかもしれない。うちに連れて来たっていいのよー、というお母さんの声が背後から聞こえた。


 お昼休み、学食のいつもの席には、芸術学部ゲーガクの四人が先に座っていた。


「待たせちゃってごめんね!」


 アイリちゃんが小走りに駆け寄って行って、トートバックから二つのランチボックスを取り出すと、その一つをカメヤンへと差し出した。カメヤンは急いで口の中にあったカレーを飲み込むと、両手でうやうやしくそれを受け取った。


「いつもありがとなぁ! おかげで昼メシすっげぇ楽しみ、毎日が希望に満ち溢れてる感じだわー」

「ホントだよね。僕、料理は全然できないから尊敬しちゃうよ」


 カメヤンの言葉に同意したメイくんは、ご飯にフクロウが描かれたお弁当を食べている。キャラ弁が得意なヒマちゃんの力作。

 最近、アイリちゃんとヒマちゃんには「彼氏にお弁当を作るブーム」が到来している。それにニッシーが便乗して、メグミちゃんのお弁当を作り始めた。最初メグミちゃんは嫌がったのだけど、ニッシーに「ユズカの家庭教師カテキョのお礼」という名目を付けられて、ようやく素直に受け取るようになった。

 みんな羨ましいくらいに楽しそうなのだけど、私はそのブームには乗らない……いや、乗れない。肝心の食べる人が来ないからだ。

 ハヤトくんはランチ会に来なくなった。彼は大学近くの画材屋でバイトを始め、おまけに自動車教習所へも通い出し、最近は私より忙しいかもしれない。


「リコちゃんのお弁当、相変わらずストイックすぎじゃない? 病院食みたい」


 正面に座った私のランチボックスを覗き込んだメイくんが、タコさんウインナーを齧りながら言った。栄養効率だけで選んだ献立に、華やかさのための食材はないのだ。


「お茶会や飲み会では制限しない分、普段はきちんと管理しておきたいのっ」

「もー、普段だっておいしいもの食べないと、元気出ないでしょー!」


 唇を尖らせたヒマちゃんが、私のお弁当にウインナーを一つ放り込む。前にもこんなことがあったなと思いながら、赤いタコさんをぱくりと食べた。


「そーいや、今日はザイツさんのとこに行くんだっけ?」


 ニッシーに聞かれて、そうだよと頷く。メイくんは相変わらず反対しているので、口こそ出さないものの渋い顔だ。カメヤンがすげえよなぁと笑ったところで、私の隣の空席に、誰かが座る気配がした。


「リコ、決めたの?」


 視線を向けると、笑顔のチガヤちゃんが座っていた。

 ハロウィンナイトで一緒に遊んでから、私たちは普通に友達付き合いをしている。チガヤちゃんは漫研のお友達と一緒に行動しているので、私たちのランチ会には来ない。おそらく今は偶然通りかかって、ニッシーの声が聞こえたんだろう。


「一応……でも、親にはまだ話してないから、今日は誘われて遊びに行くだけ。もしかしたら反対されちゃうかもだし……」

「そこは食い下がりなさいよ。リコはもう少し、自分の意思を押し通していかなきゃダメよ。ね?」


 まるで子供を相手にするようなチガヤちゃんの口調に、メイくん以外のみんなが笑った。確かにそうなのかもしれない。いや、自分でもわかってはいる。私は今でもまだ、つい相手が望む自分になろうとしてしまう。

 大切な人に嫌われることを、私はずっと恐れているんだ。


「一人で行くの? あの人だったら、お友達もご一緒にどうぞーとか言ったんじゃない?」

「さすがチガヤ、よく見てるのねぇ」


 チガヤちゃんの鋭い読みに、メグミちゃんが感嘆の声をあげた。そうなんだ、ザイツさんは「一人では心細いでしょうから、よろしければお友達もご一緒にどうぞ」というメッセージをくれたんだ。だけど、行くのは私一人。


「言われたんだけどね、急だったからみんな都合悪くて。一人で行ってくるよー」


 正直に答えると、チガヤちゃんは「あらら」と笑いながら首を傾げて見せた。私は困った顔をしていたのかもしれない。

 今日のハヤトくんは、バイトの後に教習所。メイくんは「僕が行ったら話自体をぶち壊すよ」と不機嫌を隠さなかったし、その様子を見たヒマちゃんは気まずそうに謝ってきた。メグミちゃんとアイリちゃんは高校の同級生と先約があると言い、カメヤンはいつも通り夜はバイトだ。ニッシーは「俺と二人じゃ余計に緊張しちゃうだろ、遠慮しとくわ」と笑っていたけど、ご両親の代わりに妹の保護者役を請け負っている彼は、夜遅くまで出かけるのはどのみち無理だろう。


「私、一緒に行ってもいいかしら? 学園祭も終わったし、暇なのよ」


 チガヤちゃんが微笑んだ。本音を言えば一人は不安だったから、一緒に来てくれるとすごく助かる。


「少し不安だったし、嬉しい! じゃあ五限のあと正門前ね!」

「実習だから遅くなるかも。正門横のカフェにしよ」

「不安なら、行かなきゃいいのに」


 ボソッと毒を吐いたメイくんを、ヒマちゃんが小声でたしなめている。だけどメイくんは気持ちが治まらないのか、私の方へと身を乗り出した。


「ねぇリコちゃん、どうしても行くの?」

「うん、行く」


 私はきっぱりと返事をした。メイくんに反対されるのは、正直に言えば何より辛い。ずっと誰よりも近くにいて、リコリスを応援し続けてくれた人だ。だけど今の私はもう、メイくんに好かれたいがために、心を曲げてしまいたくはない。


「他の誰でもないこの僕が、こんなに反対してるんだけど?」

「うわぁ、出た出た出たっ」

「ファンクラブ会長殿~!」


 我慢できなかったらしいニッシーとカメヤンが、ここぞとばかりにメイくんをからかい始めた。この「僕は誰よりもリコちゃんを理解しているんだ」と言わんばかりの態度は相変わらずで、みんな完全にギャグ扱いだ。

 メイくんはバツが悪そうに、だけど視線を逸らす事なく、じっと私を見つめている。


「……どうしても?」

「うん。後悔したくないの、ごめんね」


 私が謝ると、メイくんは椅子に深く座りなおし、眉間に皺を寄せたまま目を閉じた。


「何かあったら、相談してよ。リコちゃんの泣き顔なんて、僕は二度と見たくないんだからね!」


 拗ねるようにそっぽを向いたメイくんを見て、ヒマちゃんが呆れたように笑った。

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