第四十五話 幸せのためにできること

 二人はこちらに背を向けていて、私に気付いている様子はない。さすがに盗み聞きはできないなと思った瞬間、メイくんが「ごめんね」と言った。


「きっと僕は、これからもずっと、リコちゃんのことが好きなんだよ」


 自分の名前を出されてしまい、私はそこから動けなくなってしまった。


「それでも諦めないって言ったら、迷惑?」


 ヒマちゃんが食い下がり、今はその強さが嬉しかった。私のせいで泣くヒマちゃんなんて、見たくない。


「迷惑だなんて思わないよ。諦められない気持ちは、わかるつもりだから」

「そう、だよね……サツキ、辛くなったらいつでも来てね? 私、ずっと待ってるからね」


 ヒマちゃんは、メイくんへ甘えるように身体をすり寄せた。メイくんは参ったなと呟いて、どうやら笑っているようだった。


「僕もリコちゃんに、同じことを言ったんだよ。ずるいなんて思わないからって」

「にひひ、似てるよねー私たちっ」

「そうだね、おかげで強く突き放せないよ。困ったもんだ」


 二人の声は明るくて、とても交際を断っている会話には聞こえない。状況を楽しんでいるようにすら思えた。


「でも、僕に告白した時さ、実はハヤトのことが好きだったんじゃない?」


 メイくんが軽く尋ねて、ヒマちゃんはあっさりと頷いた。


「やっぱり気付いてたんだねー。諦めるって、決めてたけどねっ」


 私は、それを知っていた。初めて会った日、ハヤトくんのアパートで、ヒマちゃんははっきりと言ったんだ。「私はハヤトが好きだったよ」って。「あなたの敵にはならない」って。「二人を応援するって決めたんだよ」って……。

 ヒマちゃんはいったいどんな気持ちで、私と一緒にいたんだろう。


「騙すようなことして、ごめんね? サツキが私を見てくれたら、あの二人がうまくいくかなって思ったんだ」

「ヒマワリちゃんらしいね。ニッシーとカメヤンは報われないけど」

「二人は私よりも可愛い彼女ができたから、おっけーおっけー」

「あー、そういう意味では僕たちの方が報われてないのか」


 メイくんも、ヒマちゃんも、楽しげに話を続けている。なのに二人を見ている私は、気を抜くと膝から崩れてしまいそうだった。

 私のせいで恋を失くした二人が、私を親友と呼び、私の恋を後押ししていた。

 これじゃ私は、サークルの姫だった頃の私と、何ひとつ変わっていないじゃないか。人の好意を当然のように受け止めて、その恩恵を無神経に享受して――自分への失望と罪悪感が、胸の奥底へ溜まっていく。


「でもね、今は本当に、サツキが好きなんだよ。リコを大事に想ってるサツキだから、素敵だなって思うんだよ」

「……そう。ありがと、嬉しいよ」


 急にメイくんが、ヒマちゃんの細い肩を抱いた。それは何だか荒っぽく見えて、メイくんらしくないと思った。


「リコちゃんの代わりでも、平気なの?」

「一緒にいられるなら……それでも、嬉しい」


 その声は、穏やかなままだった。メイくんがこんなことを聞くのも、ヒマちゃんがこんな返事をしてしまうのも……何もかも、私のせいだ。


「本当に、報われないね」


 メイくんの唇が、何かを言いかけたヒマちゃんの唇を強引に塞いだ。二人はそのままベンチに倒れこみ、背もたれに隠れて私の視界から消えてしまう。

 ヒマちゃんが、甘い声でメイくんの名前を呼んだ。

 そんなの違うと、叫びたかった。割って入って泣き喚きたかった。だけど原因を作った私に、親友面してお説教なんて資格があるとも思えなかった。

 気付かれる前に部屋に戻らなければと、和室の方へ振り返ると、すぐ後ろにハヤトくんが立っていた。スマホと財布を握り締めた彼は、今まで見たことがないほどに険しい表情をしている。

 お互いに、何も言えなかった。

 彼は私の手を掴んで歩き出し、女子の荷物を置いている方の和室に入り込んだ。そして扉を閉めるなり、壁へ押し付けるようにして私を抱きすくめた。


「気にするな。忘れろ、俺たちは何も見ていない」

「そんな、だって、私のせいなのに……」

「そうじゃない!」


 ハヤトくんは、強い口調で私の言葉を遮った。決して大きな声量ではないけれど、私の耳にはとても重く響いた。


「リコのせいじゃない。あれはメイとヒマ助が、二人で出した答えなんだ」


 そうなのかもしれない。だけど私のせいで、二人があんな関係になってしまうなんて――そう言ってしまうことも自惚れているようで、ただ、声を殺して泣くことしかできなかった。


「俺たちの幸せを願ってくれたからこそ、あいつらは傷付いてる。仮に俺たちが別れたところで、余計に苦しい思いをさせるだけだ」


 そう言われて、メイくんの言葉を思い出す。私に幸せを教わったと、だから私にも幸せをあげたいのだと、彼は笑ってそう言った。その為に必要なら、ハヤトくんのことも幸せにすると――メイくんは、確かにそう言ってくれたんだ。


「誰かと恋をするというのは、選ばれなかった気持ちを捨てるということだ。どんなに優しい言葉を並べようと、最後は結局、エゴでしかない」


 私を抱き締める腕に、ぎゅっと力が込められた。やり場のない衝動が溢れているようで、受け止めたくて、私も彼の背に腕を回した。


「それでも、俺は、リコが好きだ」


 ハヤトくんは腕を緩め、私の唇にキスをした。

 不安を拭い去るように、お互いの心を確かめるように、私たちは何度も唇を重ねた。


 何事もなかったように迎えた翌日の朝、ヒマちゃんもメイくんも、特に変わった様子はなかった。研修施設を出たあと、朝食のために寄ったファミレスで、二人は仲良くピザをシェアしていた。


「ねぇ、僕さっきから、彼女と二人きりになりたがってるケモノの匂いを感じるんだけど……うん、三匹分くらいかな」

「うわー、ケモノってひどーい! じゃあ、ご飯食べ終わったら解散?」

「そうだね、大学駅前で解散かな。その後はそれぞれで決めればいいね」


 その会話は見事なまでにいつも通りの二人で、私が変な夢でも見たのかと思うくらいだった。ハヤトくんも二人を見ながら微妙に渋い顔をしているので、私の夢や妄想ではないと思う。


「俺はケモノなんでメグちゃんお持ち帰りしますよー」

「人をハンバーガーみたいに言わないでよね!」

「アイリちゃん、映画でも観に行くかー?」

「あ、いいね。観たいのあるんだぁ」


 みんなが口々に、これからの予定を立て始めた。ハヤトくんは私と目が合うと、口角を上げて小さく頷いた。つまり「部屋においで」ということだ。


「あのっ、来年もっ、また一緒に来れたらいいですねっ!」


 満面の笑みを浮かべるユズカちゃんに、私たちはみんな「来年も来ようね」と返した。何となく、この子のお願いを叶えるためなら、みんな無理にでも都合をつけるんじゃないかという気がした。

 来年はチガヤも衣装着なさいよ、とメグミちゃんが念を押した。

 そうして無事に、私たちのハロウィンは、楽しい思い出の一つになった。


 大学駅前で解散して、私がハヤトくんと歩き出そうとした時、メイくんが私に手招きをした。


「ハヤトごめん、リコちゃんを貸してくれる? 話したいことがあるんだ」


 ハヤトくんは一瞬だけ眉間に皺を寄せたけれど、すぐに「了解」と短く言い残し、私を置いてアパートの方へと歩いて行く。その後をヒマちゃんが追いかけて行った。

 私がハイエースの助手席に座ると、メイくんはすぐに車を出した。彼が口を開いたのは、少し走って国道に出てからだった。


「僕、ヒマワリちゃんと、付き合ってみることにしたよ」

「あっ……そうなんだ。おめでとう!」


 返事をしながら、おかしな口調になっていないかが気にかかる。私は何も知らないはずなのだから、もっと驚いた方が良かっただろうか。


「ありがと……祝われると複雑だね、なーんてね。あははっ」


 メイくんは声をあげて笑い、それから軽く息を吐いた。


「僕とヒマワリちゃんって、ちょっと似てるでしょ。諦めが悪いところとかさ。だから似たもの同士、一緒に仲良くやっていこうって……昨日、二人で決めたんだ」


 メイくんの表情は、晴れ晴れとしていた。彼はこんなにも清々しい表情ができるのだと、私はいま、初めて知った。


「まぁ、あそこまで好き好き言われるとさ、さすがの僕も嬉しくなるわけですよ。無邪気な美人が毎日のように抱き付いてくるとか、これなんてエロゲー? みたいな」


 茶化すようにメイくんが言って、私たちの間に流れる空気は、一気にいつもと同じものになった。穏やかで、ほっとする。私の大好きなメイくんだ。


「メイくんでも、そういうこと言うんだね」

「そりゃ僕だって男ですしね、顔好みだなーとかおっぱいでけーとか普通に思いますよ。あ、リコちゃんのおっぱいは、大きさより形で勝負って感じだよね」

「ちょっとー! 今のは完全にセクハラだからね!」


 肩をべちんと叩いてやると、メイくんは声をあげて笑い出した。


「あははは、ごめんごめん。ハヤトに殺されるかな」

「いちいち言わないけどっ」


 信号待ちで車が止まり、メイくんがこちらを向いた。急に真剣になった視線は、私を射抜くようだった。


「ねぇ……僕らは、死ぬまで親友でいようよ。ハヤトの隣で、幸せだって笑ってるとこ、ずっと僕に見せ続けて欲しいな」


 そう言って微笑むメイくんに、私も笑顔で頷いた。今の私にできることは、その願いを受け入れることだけだった。


「幸せに、なるよ! メイくんも、幸せにならなきゃダメだからね?」

「もちろんだよ。だってそうじゃないと、リコちゃん泣いちゃうでしょ?」


 メイくんは嬉しそうに、私の髪をぐちゃぐちゃに掻き乱した。


「ちょっとー!」

「うん、可愛い可愛い」

「ありえないしー!」


 そして信号は青になり、彼の視線は私から外れて、車は私たちの地元に向かって走り出す。

 小さな声で、大好きだったよ、とメイくんが呟いた。

 私は彼の想いに対して、少しでも何かを返せただろうか――運転席の親友は、いつものように笑っていた。

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