第四十四話 それも一つの選択だから

 シーパラ周辺のお店は軒並み大混雑で、どこにも予約を入れていない大人数の私たちは、サツキ地所の研修施設で飲むことになった。

 バスで帰ろうとしたチガヤさんは、ヒマちゃんとユズカちゃんの二人に無理矢理ハイエースの車内へと押し込まれてしまい、観念したのか「まるで誘拐じゃないの!」と大声で笑って、手招きするメグミちゃんの隣に座った。

 途中のコンビニに寄って各自で色々と買い込み、既に管理人さんも帰った施設に着いた頃、ちょうど花火の上がる音が響いてきた。周囲の建物が邪魔で花火は見えず、空が明るくなるのがわかるだけだ。ユズカちゃんが残念そうに、ぴょんぴょんと飛び跳ねながら空を見上げている。


「ごめんね、花火まで見てから来ればよかったね。上層階なら見えるけど、今日は一階しか使えないんだ」

「あっ、だいじょぶですっ!」


 メイくんに謝られたユズカちゃんは、逆にペコリと頭を下げた。


「私、花火大会に行ったことがなくて、だからちょっと気になっただけなんですっ」


 そう言いつつも、景気の良い音と共に明るくなる空を気にしている。本当は見たいのがありありとわかってしまい、メイくんがしばらく何かを考え込んだ。


「よし、僕は可愛いお姫様の為に、悪い男になっちゃおっと」


 玄関で靴を脱いでいると、メイくんが笑いながら管理人室へと入り込み、どこかの鍵を持ち出してきた。


「屋上庭園。少し冷えるかもしれないけど、行く?」

「やったぁー! 行きます! マントがあるからだいじょぶですっ!」


 厚地のマントはそれなりに使えそうだったので、ユズカちゃんの宣言通り、衣装のままで花火を見ることに決まった。


 八階建ての施設の屋上にある庭園は、花火がとてもよく見えた。シーパラ側の端には海が見えるように作られた休憩スペースがあって、そこには四人用のガーデンテーブルセットがいくつか置かれていた。煙草を吸いたいというハヤトくんの希望で風下のテーブルを選ぶと、他のみんなを後ろから眺める感じになった。


「いやーもう、ホントお疲れさーん!」


 飲む前からご機嫌のカメヤンが叫んで、なんとなくそれが乾杯の代わりになった。私たちも缶ビールを開けて、おつかれさま、と言葉を交わす。

 ハロウィンナイトの計画を立ててからの一ヶ月、色々なことがあったけど、とても楽しい毎日だった。このメンバーでコスプレなんて、半年前の私に言っても信じないだろうな……こんなにも短い間に、私は一生分の変化を遂げている気がする。


「長い夢、見てるみたい……私に彼氏がいて、女の子の友達がいて、一緒にコスプレして遊んでる」


 ハヤトくんは目を細めて私を見ると、くくく、と愉快そうに笑った。


「俺だって、まさか結婚を考えるようになるとは……ああ、いや、リコが可愛いのが悪い。いや悪くないが」


 こちらが聞いてないことまで言い出して、完全に耳まで赤くしたハヤトくんが、照れ隠しのようにビールを口にした。


 夜空に花火が打ちあがるたびに、ユズカちゃんのはしゃいだ声が響く。ニッシーに甘える彼女の姿を眺めながら、メグミちゃんとチガヤさんが一緒に笑っている。アイリちゃんとカメヤンの二人を質問攻めにしているヒマちゃんには、時折メイくんが便乗していた。


「リコ、ちょっと話をしようか。ニシたちが言ってた話」


 盛り上がるみんなを微笑ましげに眺めていたハヤトくんが、煙草に火を点けた。他のみんなは花火に気を取られていて、誰もこちらを気にしてはいない。確かに今なら誰にも聞かれず、二人だけで話ができるだろう。

 私が頷くと、ハヤトくんの表情が少し硬くなる。言い辛いのか、少し沈黙があった。


「もしかして、お弟子さんになる話?」


 この問いは、聞き辛いものだった。「リコを置いて海外になど行けない」と言って、結局は取りやめてしまったはずの話。私のために閉ざした道を、こうして蒸し返すのは気が引けた。

 ハヤトくんはふっと笑って、そうじゃないんだと頭を振った。


「前にも言った通り、俺はリコを置いて飛び回る生活なんてできない。保留ということになってはいるが、卒業しても行かないと、俺の中では決めている」


 彼は吸いかけの煙草を灰皿に置き、今度は缶ビールを一口飲む。何だか動作の一つ一つに落ち着きがなくて、いつものハヤトくんらしくない。


「断ったのは、兄さんの誘いだ。卒業後は経営してる画廊を手伝え、という話だった」


 ハヤトくんはボサボサの髪を更に掻き乱し、ひっきりなしに煙草を吸い、溜息のように煙を吐いた。何かに苛立っているのかもしれないけど、声は普段通りに柔らかかった。


「俺は、油絵とは自分なりに向き合ってきたつもりだ。それを認められたと思ったからこそ、親父の提案を受け入れた。しかし兄さんの提案は、俺自身が何の苦労もしないまま用意された道だ。そんな話は、受けるべきではない」


 煙草を灰皿で揉み消したハヤトくんは、夜空の花火に視線を向けて、ガキ臭いよな、と自嘲するように言った。


「馬鹿げた考えかもしれない。俺の考えが間違いなのかと、ニシたちに相談もした。勿体無いと言われたし、それが普通なのもわかる。それでも俺は、自分の未来を自分で描きたかった」


 その考え方は、すごくハヤトくんらしいと思う。そうだねと私が同意すると、彼は安心したように笑顔を浮かべた。


「俺は、この街で仕事をしながら絵を描くよ」


 テーブルの上に置いていた私の手に、ハヤトくんの大きな手が重ねられた。


「それで、いいの?」

「ダメか?」


 ハヤトくんが不安げな顔で、私を見た。

 意図的に避けていたわけではないけれど、卒業後の進路について、具体的に話し合ったことはなかった。まだ「今」を過ごすだけで精一杯で、未来はぼんやりとしていて……それでもきっと私たちは、既に人生の分岐点にいる。

 手遅れになる前に、言わなくちゃ――本当に、それでいいの?


「先生のお話、一度は受け入れてたよね。良いお話だったんでしょう?」

「そうだな……先生は、俺の憧れだからな。だけど俺はもう、リコを置いてはいけない」


 真っ直ぐに見つめられ、重ねられた手は痛いくらいに握り締められた。「離さない」と言われているようで、今はそれが悲しかった。

 私を好きになったせいで、ハヤトくんは、自分の可能性を潰してしまう。みんなが羨むような選択肢を与えられても、惜しげも無く捨ててしまう。


「一緒に東京へ行くことも、できるよ? 私も就活、頑張るから。えり好みしなければ、多分なんとかなると思うし」


 そんな未来だって、選べるはずだった。勢いだけで言ってるわけじゃない。どんな未来を目指せば二人で幸せになれるのか、私だってずっと考えてきたんだ。

 そんな私の提案は、考える間もなく却下された。


「今日、確信したんだ。リコはこの街に残るべきだ。大切なものが見つかりそうなんだろ、簡単に手放すべきじゃない」


 確かに私は、ザイツさんの誘いに惹かれていた。それはこの街にいないと選べない道だ。だけどその為に、ハヤトくんの夢は遠ざかっていく。

 自分が足枷になってしまうことは、何よりも苦しいことだった。


「ハヤトくんだって、手放しちゃダメだよ……もう一度、二人で一緒に考えようよ」


 泣きたくなんかないのに、勝手に涙が零れてしまう。冷静に話がしたいのに、泣いてはいけないと思うほど、ますます涙は溢れてきた。


「俺は離れたくないし、リコの邪魔もしたくない。それだけなんだ」

「私だってそうだよ、同じだよ……夢を、掴めるかもしれないんだよ?」

「それはリコだって同じことだろ」


 今の私たちはお互いに、自分が引けば幸せになれると思っている。揃って同じことを考えているから、何を言っても跳ね返ってきてしまう。


「すまん、リコ。俺のワガママを聞いてくれ、頼む」


 彼は握っていた手を離して立ち上がり、私の隣へ席を移した。肩を抱き寄せられ、耳朶に彼の吐息がかかる。


「残ることを、許して欲しい……ごめんな、勝手ばかりで」


 耳元で、そっと囁かれた。こんなのずるいと思うのに、謝罪を繰り返されてしまい、それ以上の抵抗などできなかった。


「わかった……でも、それでも諦めないで。絵を捨てないって、約束して……」


 そんなことを誓わせたって、何かが変わるわけじゃないけど、どうしても言わずにはいられなかった。何もかも夢ならいいのに……目が覚めたら、絵のことだけで頭がいっぱいの、出会った頃のハヤトくんがいればいいのに。


「約束する。俺はずっと描き続けるから……泣かなくて、いいんだ」


 涙の筋を辿るように、ハヤトくんの指先が、私の頬に触れた。

 シーパラから響いてくるアナウンス、みんなの楽しげな声、夜空を彩る花火――全てが遠くにあるような錯覚の中、彼の温もりだけは、確かだった。


 花火大会が終わると、改めて部屋で飲みなおすことになった。更衣室も兼ねて男女別に使えるよう、朝から和室を二部屋借りていて、着替えた後は男の子の部屋に全員が集まった。

 他愛もない話で延々と盛り上がり、お酒を一滴も飲んでいないはずのユズカちゃんが真っ先に眠り込んだまでは覚えているけど、そこで私の記憶は途切れてしまった。

 気付けば部屋は真っ暗で、私はハヤトくんに腕枕をされていた。どうも私は早々に寝落ちてしまっていたらしい。そういえば、女子会の時も私が一番に脱落していた。お酒よりコーヒーを飲むべきなのかもしれない。

 そっと身体を起こすと、みんな絵に描いたような雑魚寝っぷりだった。何だか人数が足りないけれど、誰がいないのかまでは暗くてわからなかった。

 すごく喉が渇いていた。しかしテーブルの上にはすっかり温くなった缶チューハイと、ユズカちゃん用のジュースしかなかった。エレベーターの横に自販機があったのを思い出し、私は寝てる人を起こさないように、自販機へと向かった。

 非常灯の明かりを頼りに暗い廊下を歩き、自販機の前で何を買うか迷っていると、すぐそばの談話コーナーに人の気配があった。明かりは点いていない。

 通路からそっと覗いてみると、ロビーベンチにメイくんとヒマちゃんが並んで座っていた。

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