第四十三話 想い人には誠実な誓いを

 ステージのプログラムが一通り終わる頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。この後は砂浜で花火があがるのだけれど、道路が混み始める前に駐車場を出ようというメイくんの提案で、私たちは一足早くスタンド席を後にした。

 席を立つ時、機材を片付けていたザイツさんが「お待ちしてますね」と私に念を押し、端の方にいたオジサマたちも、メイくんに向かって「お父さんによろしくね」と言いながら手を振っていて、メイくんはひたすら丁寧に頭を下げていた。


「えっ、お父さんって……あっ!」


 チガヤさんはようやくメイくんの素性に気が付いたらしく、驚きの声をあげたあとは完全に硬直してしまった。


「サツキ地所の次男でーす。御曹司キャラじゃなくてごめんね?」


 メイくんが、チガヤさんの背中をポンポンと叩く。それを見ていたヒマちゃんは、即座にメイくんの隣へ駆け寄って行き、抱き付くように腕を絡めた。


「サツキはサツキだもんねっ!」


 明るく笑ったヒマちゃんが、黒いマントをなびかせながら、勢いよくメイくんを引きずって行く。その強引さにメグミちゃんが声を上げて笑い、つられたユズカちゃんまでがケラケラと笑い出した。


「ねぇ、ハヤト……あれ、怒ったわけじゃないのよね?」

「気にするな、ヒマ助は何も考えてないだけだ」


 苦笑するハヤトくんが、私の隣を歩き始める。目を合わせないまま、私たちは手を繋いだ。その指先はかさついていたけれど、いつも通りに温かかった。


 関係者専用口から出て、駐車場までの道をみんなで歩く。先頭にいるメイくんは、まだヒマちゃんに引っぱられたままだ。


「ねぇチガちゃん、このあとも一緒に遊ぼうよぉ、みんなでお泊りするんだよっ」


 興奮冷めやらぬといった感じのユズカちゃんが、チガヤさんを誘い始めた。チガヤさんは何だか躊躇しているようで、曖昧な返事を繰り返している。いつもなら間に入るだろうニッシーは、メグミちゃんと話すのに夢中だった。


「ユズカちゃん、ほんとパワフルだなー」


 カメヤンの声に振り返ると、彼はアイリちゃんと並んで歩いていた。二人とも楽しそうに笑っている。今日という日は、この二人のためにあったのかもしれない。

 私もそうやって、笑顔で今日を終えたかった。だけど私はハヤトくんに、さっきの話の仔細を聞かないといけなかった。鬱陶しいと思うだろうか、しつこい女と思うだろうか――そんなはずはないと、私は、信じる。


「ねぇ……さっきの話の、ことだけど」


 私が切り出すと、ハヤトくんは困ったように私を見た。


「気にするなと言ったろ」

「逆の立場だったら、気にしないの?」


 もしも「気にならない」と返されたら、後に続く言葉は浮かばなかった。幸いなことにハヤトくんは「気になる」と答えて、私の手を握り直した。


「すまん。自分の将来の事だから、自分で考えて決めたかったんだ」

「でも、ニッシーとカメヤンには話したんだよね?」

「あいつらは……客観視したうえで、助言をくれるからな」


 足を止めずに歩きながら、小声で会話を続ける私たち。花火を見ずに帰る人で賑わう歩道、その中で繰り広げられている小さな攻防戦は、周囲の誰にも気付かれてはいない。


「私は頼りにならないってことなのかな」

「違う。ただ、リコは当事者だし、客観視はできないだろ」


 そう言ったハヤトくんは、足を止めた。しまった、という顔をしていた。


「私も当事者だと思うなら、ちゃんと話して欲しかったな。手紙の時だって、何の相談もせずに突っ走っても、いいことなんかなかったじゃない?」


 夏に届いた手紙のことを、あえて蒸し返した。あの時、ハヤトくんが私にきちんと話してくれていれば、悲しい言い争いをすることはなかった。彼の気遣いが裏目に出て、二人揃って苦しい思いをしたことを、少しでいいから思い出して欲しかった。


「そうだな、悪かった……後で、きちんと話すよ」


 大勢の人が行き交う道の端、熱気と喧騒の片隅で、ハヤトくんが私を抱きしめた。


「許してくれるか?」


 その声が不安げに聞こえて、向き合うことを恐れていたのはお互い様なのだと思うと、この強がる人が可愛く見えた。


「二度と隠し事はしないって、約束してくれたら、許してあげる」

「ああ……誓うよ」


 耳元で、甘く擦れた声で囁かれた。こういう時にそういうの、ちょっとずるい……思わず頬が熱くなった私を見ていたのか、後ろからカメヤンの声が飛んできた。


「ハヤト、イチャつくのは帰ってからな!」

「うるせーぞっ」


 ハヤトくんは笑いながら、再び私の手を取って歩き出す。メイくんたちはずいぶん前の方にいて、会話は完全に四人のものになった。


「こっちは大事な話をしてたんだぞ、邪魔するなって」

「いーや、完全にエロい顔してたわ。ユズカちゃんには見せられない顔っすわ」

「適当なことばっかり言ってんじゃねーよ。で、お前はどうなんだよ?」


 反撃を食らったカメヤンは、特に照れたり困ったりする様子もなく、アイリちゃんの方を見てニコニコと笑っている。


「どうもこうも、こんな可愛い子とお手手繋いでシーパラとか最高すぎっしょ。もう俺は今日を記念日にして一生祝っちゃる」

「カメヤン、ずっとこんなことばかり言うの……私、可愛くなんかないのに」

「いやいや、アイリちゃんすげー可愛いからね。彼氏いないとか信じらんないわ、マジで人文学部ジンブンの男どもはどこ見てんだろうな」

「待って、本当に待って、恥ずかしいから……どうして平気でそういうこと言えるの?」


 どう見てもカメヤンがアイリちゃんを口説いているようにしか見えないのに、そしてアイリちゃんはカメヤンが好きなのに、まったく進展していない……二人きりの間、ずっとこの調子だったのだろう。アイリちゃんがおとなしすぎるのか、それともカメヤンが鈍すぎるのか。


「カメ、そういうお前はどこを見てるんだ?」


 私と同じことを思ったのか、ハヤトくんがカメヤンの足を、軽く蹴った。


「へ、俺?」


 カメヤンは、視線をハヤトくん、私、アイリちゃんの順に向けてから、いつものように愛嬌溢れる笑顔を浮かべた。


「俺は誰を見たって、こっちを見てもらえるわけじゃないからなぁ」


 セリフの意味がわからず、私とアイリちゃんは顔を見合わせ、ハヤトくんだけが渋い表情で溜息を吐いた。


「笑顔で寝ぼけたこと言ってんなよ」

「だって俺、罰ゲームで告られちゃうよーなブサメンだぜ?」

「何だそりゃ」

「高校時代のメモリーっすわ」


 カメヤンは普段通りの笑顔で、何でもない事のように話し続けている。その心境が想像すらできず、相槌すらも見つからなかった。


「でも今日は、アイリちゃんのおかげですげー楽しかったわー。デートごっこに付き合ってくれて、俺、めっちゃ嬉しかった!」

「わ……私も、嬉しかったの!」


 カメヤンに向かって、アイリちゃんが叫ぶように言った。彼女が公衆の面前で大声を出すなんて、ものすごく珍しいことだ。少し離れたところから、他のみんなも驚いたようにこちらを見ていた。


「デートだって言ってくれて、手を繋いでくれて、本当に嬉しかった……」


 アイリちゃんは俯いて、衣装の袖口を握り締めた。


「カメヤン、好きなの」

「は、はぁ?!」


 うっかり叫んでしまったらしいカメヤンは、落ち着かなさそうに周囲を見回して、それから「そっかぁ」と何度も繰り返した。 


「えっと、嬉しいんだけどさ、てっきり俺、アイリちゃんはニッシーを……いや、それはもう、意味がない話やね……」


 その途切れた言葉に、カメヤンはちゃんと見てたんだなぁと思う。確かにアイリちゃんは、よく食べるニッシーを気に入っていた。だけど親しくなるにつれ、自然とカメヤンに惹かれていったんだ……アイリちゃんの想いは、ちゃんと、恋だ。


「うん……ニッシー、ちょっといいなって思ってた。だけどメグは関係ないよ、カメヤンがね、幸せそうにご飯を食べるから……」

「え、メシ基準なの?」


 予想外の返答に、カメヤンはアイリちゃんをしげしげと眺めている。


「おかしいかな……私、カメヤンを見てるだけで、幸せな気持ちになるの」


 少しの間があって、カメヤンは一度だけ、少し大きめの咳払いをした。


「おかしくない。それならずっと、俺を、一番近くで見てればいいよ」


 普段のカメヤンがわざと使っている、少しキツめのなまりがすっかり消えている。彼はアイリちゃんの手を取って「付き合おう」と言った。


「私で、いいの?」

「ダメな理由なんて何もない。仲良くしような、俺たちきっとうまくいくって!」


 いつものように笑ったカメヤンは、アイリちゃんの手を握ったまま、みんなの方へと歩き出した。


「メグミちゃーん、アイリちゃんを俺にくれぇー!」


 カメヤンが繋いだ手を見せびらかすと、ニッシーが「うっわ出たよエロガメ!」と言い放ち、メグミちゃんにお尻を叩かれていた。


「泣かせたら殺すからね、大事にしてやってよ!」

「メグ、ケンカ腰はダメっ」

「うおー、メグミちゃんマジ怖ぇ! 肝に命じまっす!」


 メグミちゃんの物騒な祝福を聞いて、カメヤンは大げさに肩をすくめてみせた。


「アイリ嬉しそう、こっちまで嬉しくなるね」

「そうだね、幸せのおすそ分けを貰った気分」


 ヒマちゃんとメイくんは、いつもと同じように喋っている。きっと、何事もなかったんだろうな……ヒマちゃんの気持ちを知っているメイくんは、今の関係をどう思っているんだろう。

 簡単には胸の内を晒してくれないメイくんの、心の在り処。私にはもう、それを尋ねることなどできなかった。

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