第四十二話 カウントダウンの始まり

 ハロウィンナイトのステージが始まるのは十七時で、それまでにはまだ時間があるので、みんなの写真を撮ろうということになった。

 中央広場から少しだけ移動して、ミラーハウスの裏手に回ると、建物が洋館風なので雰囲気の良い写真が撮れる。去年メイくんが見つけた穴場だ。


「あーいいなぁ、私も混ざりたかったー!」


 屈託なく笑うチガヤさんが、全員分のスマホやカメラを預かって、上機嫌でシャッターを切り始めた。メグミちゃんが「チガヤはまた来年ね!」と叫んだけれど、来年の今頃は、こうやって遊んでなどいられないかもしれない。

 まだ何者でもない私たちは、たった一年後の自分すら予測できないんだ。


 お互いに写真を撮ったり撮られたりして遊んだ後、そろそろステージへ行こうかとメイくんに促された。関係者用の観覧席があるのだと言って、チガヤさんのことも頼んでみると言いながらスマホを弄っている。今のメイくんなら、何でも捻じ込みそうだ。


「しかし、撮られる側って緊張するね」


 メイくんがスマホをタップしながら呟いた。珍しく照れてしまったのか、少しだけ頬が赤くなっていて、チガヤさんがそれをからかっている。


「慣れよ、慣れ。サツキくんもコスしたらいいじゃないの、衣装着てたって写真は撮れるわよ」

「んー、目立つのは苦手なんだよね」

「少年キャラ似合いそうなのに、勿体無いわね。今日だって一般生徒じゃなくて、主人公のコスプレにすれば……」

「えー、主人公とかホントに無理だからね?」


 メイくんとチガヤさんが普通に言葉を交わしているのを見ながら、ヒマちゃんは腕を組んで頷いている。


「サツキってば優しいよね、気持ち悪いとか言われたのに」


 ヒマちゃんがこっそり小声で耳打ちしてきたので「メイくんだしね」と返すと、口に手を当てて「いひっ」と楽しそうに笑った。ああ、いつものヒマちゃんだ……この笑顔を見ていると、つられて私も楽しくなるんだ。


 私たちはメイくんに連れられて、ステージの真正面にある建物の三階に通された。そこはスタンド席になっていて、ステージや一般客席はもちろん、花火を打ち上げる砂浜も、その向こうに広がる海も、水平線も、空も見える。サツキくんって何者なの、とチガヤさんが目を丸くした。


「この並びの二列目と三列目が僕たちの席だよ、ちょっと挨拶してくるから座ってて。ハヤトとニッシーは邪魔だから三列目ね」


 私たちを中央付近の席へ案内したメイくんは、背の高い二人をからかってから、端の方にいたオジサンの集団へと走って行った。偉い人感が溢れるオジサンたちを相手に談笑しているメイくんを見て、カメヤンがやっぱアイツすげーなー、と間の抜けたような声を出した。


「いつものメイくんって、私たちに合わせてくれてるのかな?」

「んー、サツキはいつだってサツキじゃない?」


 アイリちゃんの言葉を否定したヒマちゃんは、満面の笑みでメイくんを眺めている。こういう時のヒマちゃんは、凶悪なほどに可愛い……本当に大好きなんだなぁと、私まで頬が緩んでしまう。

 結局は男の子たちが三列目に座ることになって、私は二列目の真ん中に座った。ヒマちゃんが「リコの隣はもらったぁ!」と宣言しながら隣の席に座って、そのまま私にべったりとくっついてくる。ヒマちゃんの可愛さは、いったいどこまで行くんだろう。


「おや、貴方は先程の……ええと、オノミチさん、でしたね」


 声をかけられ通路を見ると、そこには撮影機材らしきものを抱えたザイツさんがいた。


「ザイツさん! さ、先程はどうも!」


 私は慌てて立ち上がろうとしたけど、ヒマちゃんが私にくっついたままだ。立てない。その様子を見たザイツさんが、ふふっと笑いを漏らした。


「僕は記録用の撮影をしに来たんですが、あなたとはご縁があるようですね。ご連絡お待ちしていますよ」


 ザイツさんは笑いながら最前列へ向かい、ケースからビデオカメラを取り出すと、柵越しにステージが映るよう手際よく設置している。


「あの人と、何かあったの?」


 事情を知らないチガヤさんが不思議そうに私を見ていて、ユズカちゃんが何か耳打ちをしている。説明してくれているのだろうけど、何となく大げさに言われているような気がする。


「リコさんは、好きなキャラの衣装じゃなくてもいいタイプ……じゃない、わよね。それでもやっぱり迷うのね、意外だわ」


 チガヤさんの指摘は、私の胸に刺さった。コスプレを「衣装を使ったファンアート」であるべきだと考えている人は少なくなくて、たとえばコスプレ写真集に私服姿の写真を載せたとしたら、間違いなくお叱りの言葉を頂くことになる。そして、私自身もその考え方を支持している。

 それでも自分で衣装を選べない「モデル」というものへの誘いに興味が湧いたのは、サークルを通してメイくんたちの被写体であり続けたことと、ハヤトくんの絵のモデルになったことが大きかった。

 自分の身体そのものが作品だと自覚したし、評価されれば素直に嬉しかった。一緒に作品を作りあげていくことへの高揚感もあった。信頼できる相手と、お互いの誇りをかけて、作品を作り上げていく――そんな喜びが、モデルという世界にもあるような気がしてる。


「リコは、自分自身が一つの作品だからな」


 真後ろから、ハヤトくんの声がした。彼は私の肩へ手を置くと、会話へ割り込むように身を乗り出してきた。


「コスプレイヤーだからって、コスプレしかしないわけじゃないだろ。お前が絵を描くのと同じだぞ」

「まぁ……そう、ね。でも厄介な絡み方をする人は、多いと思うわよ」


 チガヤさんは渋い顔をして、お節介だけどね、と言って視線を逸らした。きっと今、思い描いているのはミキちゃんだ。


「リコの気持ちが何よりも大事だと、俺は思うがな」


 そう言ったハヤトくんの声は、とても優しかった。だけど私は肝心の、自分の気持ちがわからなかった。

 思えば私はいつだって、誰かが望む自分になろうとしていただけだった。

 両親が望む通りの進路を選び、ミキちゃんの望む通りにコスプレイヤーになって、メイくんが望む通りにサークルを作り、サークルのみんなが望む通りのお姫様を演じ続けた。いつだって誰かが道を示してくれて、それを受け入れて褒められることで、私はずっと満たされていたんだ。

 今回だって、そうなのかもしれない。だけどこうしてチガヤさんに心配されても、やめておこうと思えない――ハヤトくんにヌードモデルを頼まれた時と、同じような期待感。

 きっと私は、ザイツさんの誘いに強く惹かれている。だけどそれは、周囲の誰にも望まれてはいない。何よりも、私の本質を理解しているはずのメイくんが、はっきりと反対を口にした。「小野道オノミチ理子リコ」はコスプレ衣装を着ないと何もできない地味な女で、向いていないと言われれば返す言葉もない。

 誰の後押しもない決断をすることが、怖いんだ。


「みんな、どういう道に進むか決めてるんだよね。すごいね、私、簡単には決めきれないや」

「ええええ」

「うっそ」


 ニッシーとカメヤンが、同時に声をあげた。


「ハヤトに付いて行くのかと思ってたけど、残るつもりなら迷うよな」

「卒業したら遠距離かー、二人なら大丈夫だろうけどさ」


 それが何の話なのか、全く見えなかった。振り返った私の表情を見て察したのか、二人は気まずそうに顔を見合わせた。


「あの話は、断ったんだ。俺は福海に残る」


 ハヤトくんのその言葉は、私に黙って大事な何かを決めたということだった。私を想ってのことなのだろうけど、私たちは既に一度、それで大きくすれ違ったのに。


「リコ、気にしなくていい。約束しただろ、俺はどこにも行かない」

「ハヤトくん」


 私が口を開いた瞬間、大音量で地元出身のアーティストの曲が流れ出して、会場中にシグマさんの大きな声が響いた。


『みなさんこんばんはー、コマーシャルでおなじみの宮路シグマでーす! 今年もこの日がやってきましたねっ、毎年恒例ハロウィンナイト! 開始のカウントダウンコール、みんなで一緒にお願いしまーす!』


 私の声は、沸き起こる歓声にかき消された。シグマさんのステージを楽しみにしていたアイリちゃんたちに水を差すのも申し訳なくて、それ以上の会話を続けることはできなかった。

 どこに行くつもりだったの、何をしようとしていたの、言ってくれなきゃわからないよ――彼の決断を喜んでいいのかもわからないまま、私はただぼんやりと、会場中に響くカウントダウンコールを聞いていた。

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