第三十八話 もしも興味がお有りなら

 十月最後の週末、ハロウィンナイト当日。私たちは朝から大学最寄の駅で待ち合わせて、メイくんが借りてきたハイエースに乗り込んだ。メイくんはサークルで遠出をする時にも、今日のように車を借りてきてくれていた。計画性があって物怖じしないメイくんは、いつだって頼りになる。

 今日はイベント終了の二十三時まで遊び倒す予定だけれど、周辺の宿泊施設はどこも満室だった。朝まで時間をどう潰すのかは、まだ決めていない。


「みんなで旅行に行くみたーい!」


 最後列に陣取ったユズカちゃんがご機嫌で、ニッシーも嬉しそうに目を細めている。


「ユズカ、最初っから張り切るとバテるぞ」

「いいの! 最初からクライマックスぅ!」

「あはは、今日は楽しもうねっ」


 はしゃぐ私たちを乗せて、車は福海ふくみシーパラダイスへと走り出した。

 ハロウィンナイトは十七時から始まるけれど、この日はシーパラ全体がハロウィン仕様に飾り付けられていて、子供じゃなくてもウキウキしてしまう。どうせなら一日かけて、いつもと違うハロウィン仕様のシーパラを遊び倒したい――しかし、考えている事はみな同じらしい。まだ午前中だというのに、シーパラが近付くにつれて渋滞が酷くなっていった。

 混み合う駐車場を見た助手席のカメヤンが「こりゃダルいなぁ」と呟いて、入場口へと続く歩道の仮装行列を見たヒマちゃんも「人多すぎだよー!」と悲鳴をあげた。


「大丈夫、僕いいもの持ってるよ。兄さんに頼んで貰ってきたんだ、大株主特権」


 そう言ってメイくんが取り出したのは、人数分の関係者用ワンデイパスだった。指定日は出入りが自由で、アトラクションも乗り放題になるチケット。


「関係者専用口での出入りになるから、あの入場列には並ばなくていいよ」


 こんな便宜を図って貰ったのは、私も初めてだった。サークルでどこかへ行く時だって、メイくんがこういったものを貰ってきた事は一度もなかった。おそらくは、自分の素性を知られる可能性を考えていたんだろう。


「ホテルはさすがに空きがなくってさ。この先にうちの研修施設があるから、先にそっちへ寄って着替えちゃおうよ」


 サツキ地所の御令息が、御曹司パワーを遺憾なく発揮している。私たちを信頼しているからこその振る舞いだと思えば、それはただただ嬉しいばかりだった。


 関係者専用口でワンデイパスを見せた私たちに、係員さんはラッピングされたお菓子と、小さなマスコットをプレゼントしてくれた。マスコットの種類は色々あったけど、私はジャックランタンだった。

 中に入ると、そこはステージ裏のあまり人気が無い通路だった。案内板の矢印を頼りに、広場の方へと歩いて行く。


「ねえねえ、あの真っ赤な髪って、宮路ミヤジシグマじゃない?」


 ヒマちゃんが指差した方を見ると、赤い髪の毛のお洒落な男性が、眼鏡をかけたスーツ姿の男性と話し込んでいるのが見えた。どちらも美形で、ユズカちゃんがふおおおお、と興奮した声を出した。

 そこにいたのは本当に、真っ赤なウルフカットがトレードマークのタレント、宮路シグマだった。全国的にはまるっきり無名だけど、ローカル番組のレギュラーを複数持っていて、福海地方では超が付くほどの有名人だ。


「うおー、生シグマじゃん。ハロウィンナイトの取材ですかね」

「夕方の情報番組で中継でもするのかねぇ」


 ニッシーとカメヤンが暢気に感想を述べたところで、ヒマちゃんが「今日のステージ出るんだって」と言った。


「本業は芸人なのよ。イケメンだけじゃないから、お笑いが好きならお勧め」

「単独のトークライブは、最近チケット取り辛いけど……ステージ、見たいね」


 メグミちゃんとアイリちゃんが、小声で熱く語っている。そんなに好きだなんて、全然知らなかった。


「まぁ、さすが芸能人という感じか。綺麗な人だな」


 普段全くテレビを見ないハヤトくんは、外見への感想だけを述べた。確かにこうやって見ると、テレビで見るよりも綺麗だと思う。つい見とれながら歩いていたら、私の手からジャックランタンが滑り落ちていった。


「あっ、ま、待って」


 無生物が待てと言われて待つわけもなく、ゴム製のジャックランタンは意外と跳ねて、よりによってシグマさんの方へ転がった。慌てて駆け寄った私を見て、シグマさんがニコニコと笑っている……恥ずかしくて、焦ってしまう。


「す、すみませんっ」

「大丈夫大丈夫、コイツとどーでもいい話をしてただけだから!」


 目の前で笑うシグマさんは、どう見ても二十代にしか見えなかった。私が子供の頃には既に芸能活動をしていたから、そんなわけはないのだけれど。


「どうぞお気になさらず」


 そう言ってマスコットを拾ってくれたスーツさんが、急にじっと私を見つめてきた。手を差し出した私に、ジャックランタンを返す気配も無い。何か、と声をかけると、ようやく慌てて手渡してくれた。


「あの、あなた」


 急いでみんなの所へ戻ろうとする私を、スーツさんが呼び止めた。振り返ると、やっぱりシグマさんがニコニコと笑っている。そしてスーツさんは真顔だ。


「僕は、宮路シグマの所属事務所の者で、財津ザイツと申しますが」


 なるほど、所属事務所の人だったのか。「そうでしたか」と頭を下げた私に、一枚の紙片が差し出された。


「モデルに興味、ありませんか。福海ローカルの事務所ですが、もし少しでも興味がお有りなら、是非こちらにご連絡下さい」


 ザイツさんが真顔で差し出していたのは、彼の連絡先が書かれた名刺だった。


 園内の中央広場に着いてもまだ、みんなはザイツさんの事で盛り上がっていた。


「スカウトされるなんて、リコすごい!」

「リコちゃんは可愛いだけじゃないもんね。ザイツさん、慧眼けいがんだね」

「ザイツさんって確か、昔からシグマさんのマネージャーしてる人だよ」

「宮路シグマの折り紙付きなら、詐欺もありえないだろうしなぁ」


 私は正直まだ実感が無くて、思考そのものがぼんやりしている感じだ。


「興味はあるのか?」


 ハヤトくんに聞かれて「無くはないけど」と返事をした。そう、無くはないんだ。最高の一瞬を撮って貰える事が、とても素敵な事だって、私は知ってる。それがプロのカメラマンの手で、だなんて――私にとっては、とても魅力的な話だ。


「ねぇリコちゃん、僕は反対だよ。リコちゃんにはもう、心無い言葉に傷付いたりして欲しくないんだ」


 メイくんが反対するのも、わかる。私がもしも人前に出る仕事をすれば、ネットに撒かれた悪評が再燃する可能性は高いと思う。軽い気持ちで足を踏み入れてしまえば、あの時よりも、もっと傷付く事になるかもしれない。


「でも、リコちゃんならきっと、すっごく人気が出ると思いますっ!」


 ユズカちゃんが私の腕に抱き付いて、だってリコちゃんだもおん、と言いながらぴょんぴょんと跳ねた。ユズカちゃんがそう言ってくれる事は、本当に嬉しい。

 突然の事だったし、色々と感情が混ざり合っていて、すぐに答えは出せそうもない。


「んー、もう今日は、難しいことはなーんにも考えなーい!」


 私は努めて明るく、そう宣言した。せっかくヒマちゃんたちが頑張って計画を練ってきたのに、私の話ばかりしていたって仕方ない。


「それより、九人であちこち回ると大変だから、何組かに分かれない?」


 本当はヒマちゃんが言うはずだったセリフを私が言うと、ヒマちゃんがあっ、と小さく声をあげた。しまった、と言いかけたのに違いない。アイリちゃんが広場の時計を見て、今ちょうどお昼だね、と言った。


「イベントが始まったら合流するの難しそうだし、十六時ごろに集まればいいよね?」 

「じゃあ、十六時にこの広場集合で。パスは失くさないでね」


 メイくんはそう言って自然にヒマちゃんの手を取り、驚いたヒマちゃんが珍しく「きゃっ」と可愛い声をあげた。ついにヒマワリに惚れたか、とカメヤンが笑う。


「さあ、どうでしょう。まぁこういう時は、男女ペアがお約束でしょ?」

「まぁなぁ、じゃあ俺は……」


 カメヤンは全員を見回した後、右手をそっと、ユズカちゃんに差し出した。


「アイリちゃんと一緒に、子守りでもしよっかね。ユズカちゃん、迷子にならないよーに」

「えっ」


 ユズカちゃんは困惑した表情で、アイリちゃんの方をチラリと見てから、差し出されたカメヤンの手をペチンと叩いた。


「子守りだなんて、カメちゃんひどーいっ! ユズカはリコちゃんとハヤトさんと、三人で一緒に遊ぶんですぅー!」

「ははは、そっかそっか、三人でデートするって言ってたもんなぁ」


 カメヤンは豪快に笑うと、叩かれて一度引っ込めた右手を、改めてアイリちゃんへと差し出した。


「俺らもデートする?」


 アイリちゃんは頬を真っ赤に染めていたけれど、カメヤンは気付いていないのか、余り者同士で仲良くしような、と笑っている。


「……私で、いいの?」

「アイリちゃんでダメな理由なんか、あるわけないっしょ」


 カメヤンに手を握られたアイリちゃんは、まるで腰が砕けたように、ヘナヘナとその場へ座り込んだ。

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