第三十七話 叶わぬ想いの、その先の
夕方、みんなが集まっている頃合を見計らって、私たちもニッシーの家へ行った。
すっかり作業部屋になってしまった仏間では、カメヤンが着ている衣装の肩に、ニッシーがコウモリのマスコットを仮止めしようとしているところだった。玄関には靴があったのに、他の人の姿は見当たらない。
「一日くらい二人でのんびりしてりゃいいのに、お前らも苦労性だなぁ」
ニッシーが手を止めて座り込んだので、そのまま四人で輪になって座る。他のみんなはどうしたのかと聞くと、カメヤンが台所の方を指差した。
「ヒマワリとアイリちゃんはクッキー焼いてる。メイは味見役だとか言って、ヒマワリが強引に連れてった」
その状況は簡単に想像できた。きっと今頃、台所はヒマちゃんの独壇場だ。
「メグちゃんはユズカの部屋。二つ返事で引き受けてくれたよ、俺はすっかり嫌われてるけどね」
ニッシーが苦笑する。とんだ誤解だ、メグミちゃんはニッシーを嫌いになったわけじゃない。そう言おうとしたけれど、カメヤンの方が先に口を開いた。
「ニッシー、まだまだ俺の仲間だな!」
「仲間になった覚えはねーな! つーか、カメは痩せれば絶対モテるだろ!」
別に無理して痩せなくても、今のカメヤンを好きな子がいるんだけどな……とは、さすがに言えなかった。そんな事は思いもしていないだろうカメヤンは「俺はもう女子よりメシなの」と笑っている。
「俺と一緒に独り身を貫こうぜ!」
「お断りだ! 俺は可愛い彼女が欲しい!」
「じゃあ何でメグミちゃんに、あんな態度を取ったんだ?」
カメヤンの言葉に返事が出来なかったニッシーが、助けを求めるようにハヤトくんを見る。だけどハヤトくんは「全くだ」と追い討ちをかけるように笑った。
「すぐに退いちまうのが、ニシの良くないところだな。何に操立てしてるんだよ」
「それは……」
ニッシーは手元のコウモリへと視線を落とし、そして小さく溜息を吐いた。
「あの時、ヒマワリの事が気になったんだよ。こんなの見てどう思うんだろう、って……だから、ダメでしょ。そんなんで付き合ったりしたらさ」
ニッシーは俯いたまま、手の中にあるコウモリをひたすら弄んでいる。ハヤトくんとカメヤンは顔を見合わせて、ほぼ同時に苦笑いを浮かべた。
「あれはワクイの告白の仕方に問題があったと思うぞ。スイッチの入った女子は恐ろしいな」
「そりゃ俺だって気になるわ、あんなぶっ飛んだ告白されたらなぁ」
煽っているのかフォローなのか、口々に好き勝手な意見を述べる男子二人に、ニッシーの頬がぴくりと動いた。
「……あのさ、俺、あの子の勇気は凄いと思うし、すげー嬉しかったんだよ。それを恐ろしいとかぶっ飛んだとか、踏みにじるような事を気安く言うなよ。いくらお前らでも、許せない事はあるんだからな」
唇を尖らせたニッシーの背を、カメヤンがぽんぽんと軽く叩いた。
「ごめんごめん、今のは俺らが悪かったわ。でも実は俺、てっきりニッシーは、メグミちゃんの扱いに困ってるのかと思ってたんだけど?」
「んなことねーよ。話せない状態が続いてるのが、キツいだけ。俺はもっと仲良くしたいよ」
大きな溜息を吐いたニッシーに、ハヤトくんが真面目な顔で「話したいのか」と問いかけた。
「ニシは、ワクイと、もっと話がしたいんだな?」
「……ああ。もっとあの子を知りたいし、俺を知って欲しいと思ってるよ」
その後は多分嫌われるだろうけどさ、と続けたニッシーを見たハヤトくんが、急に立ち上がってニッシーの服の襟を掴んだ。
「だったらお前、俺たち相手に愚痴ってる場合じゃないだろ。腹括って行って来い、ちゃんと二人で話をして来い!」
強引に立たされたニッシーが、驚いた顔でハヤトくんを見つめている。あ、ええ、でも、とゴニョゴニョ言っているニッシーのお尻を、今度はカメヤンがべチンと思いっきり叩いた。
「さっさと行けって、このヘタレメガネ!」
「ガタガタぬかすのはその後だろうが!」
ニッシーは二人の顔を交互に見た後、軽く目を閉じた。そして低い声で「おうよ」と一言だけ返すと、メガネの位置を直してから部屋を出て行った。背筋の伸びたニッシーの後ろ姿は、普段よりも更に大きく見えた。
本当に世話が焼けるなぁと、ハヤトくんが天井を仰ぎながら笑った。
三人で衣装のアレンジを考えていると、ユズカちゃんが廊下からこちらを覗いているのに気が付いた。
「あれ、ユズカちゃん。いつからそこにいたんだ? こっちに来ないか?」
ハヤトくんが声をかけると小さく頷いて、ととと、と駆け寄ってきた。白い襟が付いた濃紺のワンピースを着ているユズカちゃんは、お嬢様みたいだった。
「ここ……座っても、いいですか?」
ユズカちゃんが私とハヤトくんの間を指差して、ハヤトくんが笑顔で「いいよ」と即答する。胸の奥がチクリとしたけれど、それはすぐに消えていった。ユズカちゃんは満面の笑みでお礼を言うと、ハヤトくんではなく私にくっついて座った。
「ケイちゃ……お兄ちゃん、メグちゃん先生を自分の部屋に連れてっちゃったんですよー。せっかく頑張ってたのにー」
頬を膨らませたユズカちゃんの頭を撫でてあげると、えへへ、とユズカちゃんが蕩けそうな笑顔を浮かべた。
「部屋に連れ込んだとか、あいつエロいな」
「アホか、妹の前でそういうのは言うな」
軽口を叩いたカメヤンに、ハヤトくんがデコピンをした。ユズカちゃんは気にする風でもなく、むしろ面白がるかのように笑い転げた。
「隠キャでクソダサオタクのお兄ちゃんに、そんな度胸ないですってぇ、あはは」
本人がいないからなのか、意外と酷い扱き下ろしっぷりだ。ハヤトくんは慣れているのか、笑いながら「今日も辛辣だなぁ」と言った。
「ユズカちゃん、ニシはメグミと仲直りしたいだけだよ」
「わかってまーす、大丈夫ですっ! それよりもっ」
ユズカちゃんが、私の腕にぎゅっと抱き付いた。今の今まで笑っていた彼女の表情が、一気に真剣なものになった。
「リコちゃん、ハヤトさんと付き合ってるの?」
その声には、淀みがなかった。きっと今、ユズカちゃんは、自分の中にある勇気の全てを振り絞っているに違いない。この子はただ真っ直ぐに、本当の事を知ろうとしている。
「……うん、付き合ってるよ」
嘘を吐くなんて選択肢は、私にはなかった。ハヤトくんが驚いたような顔でこちらを見たけれど、構ってなんていられなかった。
「やっぱりそっかぁ……昨日と同じ服を着てるから、あの後お泊りしたのかなって!」
涙を溜めて、それでも泣かないように頑張っているユズカちゃんを見ていると、私の胸も苦しくなってしまう。
私だって、意地悪とか牽制とか、そういうつもりで言ったわけじゃない。ここで嘘を吐いてごまかしたとしても、いつかは真実を知らせなければいけない。裏切った後で真実を告げれば、この子は余計に傷付くかもしれない……そんな嘘は、優しさとは違う。それはただ、自分が嫌われるのを恐れているだけだ。
「私、ハヤトくんの事が大好きなんだ。ユズカちゃんと私、同じだね」
私がそう言って笑うと、ユズカちゃんは私の腕から離れ、今度は胸に飛び込んできた。初めて会った時みたいに、私は一気に畳の上へ押し倒された。
「同じ……ですね! えへへ、リコちゃんと
目も鼻も真っ赤にしたユズカちゃんが、笑っている。
好きなキャラクターや芸能人が被る「同担」は、この状況ではあまり言わないような気もしたけれど……それはユズカちゃんなりに、現状を飲み込もうとしているように見えた。
「うん、同担だね。嬉しいな、気が合うって事だもんね」
「ですよね、うれしー! あのあの、デートは諦めますからっ」
「ううん、良かったら行っておいでよ。いっぱい奢らせるといいよ」
「あっあっ、じゃあリコちゃんも一緒に! 三人でデートしましょう!」
涙を零すユズカちゃんは、それでも懸命に笑顔を浮かべていて、私は「こんなに良い子がどうしてイジメなんかにあうんだろう」なんて事をぼんやりと考えていた。
困り顔の男の子二人に見守られながら、私はユズカちゃんの頭を撫で続けた。
ニッシーがメグミちゃんと手を繋いで戻ってきたのは、泣き止んだユズカちゃんが焼きたてのクッキーをあらかた平らげてしまった後の事だった。
「俺たち、付き合うことになったから」
そう言ったニッシーの陰に隠れるように立ったメグミちゃんは、小さな声で「そういう事です……」と呟いて、恥ずかしいのか更に隠れてしまった。
「やったー! メグミおめでとー!」
「ケイちゃんでかしたー!」
誰より先に大喜びで手を叩いたヒマちゃんに、その隣に座っていたユズカちゃんが、何やら「ぎゃわー」とか奇声をあげながら抱きついた。他のみんなは苦笑いを浮かべつつ、ニッシーそっちのけで大騒ぎを始めたユズカちゃんを眺めている。
「こんなクソダサ童貞に美人嫁キター!」
「女の子がそんなこと言っちゃダメぇ!」
「やっぱりお義姉さんって呼ぶべきですかね!」
「ちょーっと気が早いんじゃないかなー!」
ユズカちゃんが相手だと、ヒマちゃんもたしなめる側に回ってしまうのが可笑しかった。
そんなヒマちゃんを見つめていたニッシーの唇が、ありがとな、と動いたように見えた。
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