第三十三話 完璧な人なんていないよ
初日はみんなアニメを観るだけで終電の時間が来てしまって、次の日からは空き時間の度にニッシーの家へ行って作業をするようになり、お昼ごはんをユズカちゃんと一緒に食べるようになった。
学校に行かなくなってからのユズカちゃんは、いつも一人でニッシーの作ったお弁当を食べていたのだと言い、にぎやかでうれしいです、と明るい笑顔を見せてくれた。
衣装製作は、作業自体は順調だった。仮縫いまでは私とニッシーの二人でやったけれど、ミシンが一台しか使えないので、縫製はミシンの持ち主であるニッシーが担当する事になった。
慣れた手付きでミシンをかけ続けるニッシーと同じ部屋で、私とアイリちゃんは衣装の様々な位置に校章を刺繍し続け、ヒマちゃんは安物のハロウィングッズを年代物に見えるよう加工していた。
ハヤトくんとカメヤンは隣の部屋で、制服のブーツにそっくりなシューズカバーを作ったり、
しかし意外な事に、メグミちゃんは本当に何一つ出来なかった。
試しに刺繍をさせてみたら最初の一針で自分の指を刺したし、ミシンは「ペダルを踏みながら布を送る」という動作が上手くできずに針を折った。ヒマちゃんが「ねえ、キッチン借りて晩ご飯作らない?」と誘ったものの、これまた料理もさっぱり出来る気配がない。冷蔵庫のジュースを取りに来たユズカちゃんが、包丁を握るメグミちゃんを見て「指が落ちちゃう……!」と怯えたような声を出した。
日頃の優秀さとはかけ離れた一面に唖然とするみんなを見て、アイリちゃんが「メグはずっと勉強頑張ってたから……六教科七科目以外は、ちょっとね」と、フォローにならないフォローを入れた。
「ご、ごめん、一人だけ足引っ張って。頑張るから、他に何かないかな……」
おそらく人生初めてであろう失態の連続に、落ち込み続けるメグミちゃん。そこにトドメを刺したのは、よりによってニッシーだった。
「誰だって苦手な事ぐらいあるって。その分俺らが頑張るからさ」
気を遣ったらしいニッシーの言葉に、メグミちゃんが顔を強張らせた。
「……そうだね、邪魔になっちゃうだけだよね」
「えっ、あ、いや、そんな事は――」
「ごめん、大人しくしてるね!」
泣きそうな声をあげて部屋の隅に座り込んだメグミちゃんは、みんなが忙しなく作業する中、私の貸した原作小説を読み耽るだけになってしまった。
メグミちゃんが小説を読み始めて三日目、お昼休みにニッシーの家へ行くと、ユズカちゃんがあからさまに落ち込んでいた。
「担任のせんせーが、放課後うちに来るって……できたらお兄ちゃんも家にいて、だって」
保護者代わりのニッシーにも話があるって事は、真面目な家庭訪問なのだろう。ニッシーが渋い顔をしながら「ごめん、今夜は作業ナシで」と告げた。
残りのメンバーで集まって遊んでも良かったのだけど、いつもバイトで早めに抜けるカメヤンが「じゃあ今日はとっとと帰って、溜まった洗濯でもしようかね」と言ったのを皮切りに、今晩は集まらない方向で話が進んでいった。
人文学部棟へ戻って三人になった途端、メグミちゃんが「寂しいけど、少しホッとしてる……」と泣きそうな顔をした。あれ以来、メグミちゃんがニッシーと言葉を交わしている姿は見ていない。
直後の講義中、三人の真ん中に座っていたアイリちゃんが「今日は二人で話してみるね」と私にメモを回してきた。私も今日はアイリちゃんだけの方が良いと思ったので、一言「りょ」と書き添えてメモを返した。
五限目を終えた後、私は人文学部棟を出たところで二人と別れ、そのままキャンパスを突っ切り裏門を抜けて、ハヤトくんのアパートへと向かった。慣れた階段はもうパンプスで上っても、大音量でガゴンガゴンとは鳴らない。カンカンと控えめな金属音がするだけだ。
部屋にはいつでも自由に入っていいと、私専用の合鍵を貰っていた。扉を開けると、ハヤトくんはすぐ目の前の台所でコーヒーを淹れていた。リコリス柄のマグカップに牛乳が注がれ、コーヒーと混ざり合ってカフェオレの出来上がり。
「姫がそろそろお見えになるだろうと思いまして、砂糖抜きのミルク多めでご用意させて頂きました」
おどけた口調で私好みのカフェオレを差し出すハヤトくん。どことなく得意気な気がして、すごく可愛いひとだと思えた。お礼を言ってマグカップを受け取り、そのままダイニングチェアへ腰掛ける。
正面に座ったハヤトくんが最初に選んだ話題は、やっぱりメグミちゃんの事だった。
「ワクイ、どんな様子だ?」
ハヤトくんは、メグミちゃんをワクイ、アイリちゃんをフジタ、と名字で呼ぶ。私をオノミチと呼んでいたのと同じだ。
「講義はきちんと受けてるけど、やっぱり少し元気がない感じ」
「そうか……早目にどうにかしないとマズいな。ニシも抜け殻みたいになってるって、カメとヒマ助が頭を抱えてるんだ」
ハヤトくんが自分のマグカップを睨んだ。その顔は少し怖いけど、別に怒っているわけではなくて、真剣に考え込んでいる証拠だ。
「ワクイにも何か役割を作ってやらないと、さすがに居心地が悪いだろう。今更メイと一緒に買い出しに行けと言っても、邪険にされたと感じるだろうか」
「そうだね……でも、苦手な事をやらせるわけにもいかないよね」
「あれ以上の怪我はさせられんしな。しかし、ワクイの得意な事って何だろうな……」
私は思わず「お勉強」と言いそうになってしまって、慌てて口をつぐんだ。いくら何でもあんまりだ。学校の勉強が出来たって、あの場では何の役にも立たないのに――だけど私の顔を、ハヤトくんがわざとらしく覗き込んだ。
「今、何か言いかけただろ。何でもいいから言ってみろ、突破口になるかもしれんぞ」
何がキッカケになるかわからんからな、とハヤトくんは続けた。そうだ、もしかするとハヤトくんなら、私が考えもしないような事を思いつくかもしれない。
「えっと、お勉強ならできるよ、って。学科では成績トップクラスだと思う」
「成程な……見た目通りなんだな」
確かにメグミちゃんは、見るからに知的な空気を纏っている。あまりに賢そうなので、告白された直後のニッシーが「俺みたいなデタラメ男が、あんな真面目な子に告られるなんて思わなかった……俺、明日あたり死ぬのかね?」なんて言ったくらいだ。喋れば普通の女の子だと、十分にわかっているはずなのに。
「だったら、その方向で頑張って貰うか。おそらくあの場では、ワクイだけにしかできないはずだしな」
何かを思いついたらしいハヤトくんが、少しだけ意地の悪そうな笑みを浮かべた。
夜八時を回り、いくらなんでも家庭訪問は終わっただろうと踏んだ私たちは、ニッシーの家へと足を運んだ。立派な門を潜り広めの庭を抜け、玄関の呼び鈴を押しても反応はない。扉に手をかけてみると、拍子抜けするくらいにあっさりと開いた。人の気配は一切なく、どう見ても留守としか思えなかった。
「ご飯食べにでも行ってるのかな」
「それだと流石に無用心すぎだろ」
小声で言葉を交わした瞬間、作業に使わせて貰っている部屋の方からガサッと物音がした。部屋の明かりは点いていない。暗闇の仏間から聞こえる異音……ちょっとしたホラーだ。
ハヤトくんは私に向けて、静かにするよう人差し指を立てた。靴を脱ぎじわりと近寄り、そっと引き戸を開けて室内を覗き込む。
真っ暗な部屋の中、そこには人影があった。目を凝らしてみると、その人影はニッシーだった。私たちには背を向けて座っている。
「ユズカ……」
やや猫背で俯き加減のニッシー。その口から、柔らかな声が零れた。膝枕をしているらしく、月明かりにユズカちゃんの白い脚が浮き上がって見えた。
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