第三十二話 「理子」と「リコリス」

 引き剥がされてもなお、ハイテンションで騒ぐユズカちゃん。ハヤトくんとカメヤンは前にもユズカちゃんと会った事があるのか、小声で「相変わらずだな」と言い合っている。


「ほらユズカ、謝んなさい。ここにいるのはリコリスじゃなくて、俺の友達の小野道オノミチ理子リコちゃんなの」

「だってえぇ」

「だってじゃねーの、本当のファンなら弁えなさい」

「だってお兄ちゃんっ、本物のリコリスちゃんが目の前にいるんだよっ!」


 強引に頭を下げさせられたユズカちゃんが、甘えたように拗ねる。


「ユズカがあんまりワガママ言うなら、もう二度と家には連れて来ないぞ?」


 そう言うと、ユズカちゃんが神妙な顔で黙り込んだ。ニッシーすごい、さすがお兄ちゃんだなぁ……感心していると、ユズカちゃんが私の方に向き直って、丁寧に頭を下げた。


「……ごめんなさい、リコちゃん。私のこと、嫌いになっちゃいましたか?」


 ユズカちゃんの、私に対する呼び方が変わった。あんなに大暴れだったけど、ニッシーの話はきちんと通じてる。よかった、ちゃんと話せば分かる子だった。


「そんな事ないよ。私たちと、仲良くしてくれる?」

「はいっ!」


 とても元気の良いお返事に、桜型の「たいへんよくできました」と書かれたハンコを押してあげたくなる。代わりによしよしと頭を撫でると、今度は奇声を発する事はなく、ただ気持ち良さそうに目を細めた。衣装を着てない私でも喜んでくれる事に、何だか少しだけ照れてしまう。


「ユズカちゃん、リコリスを応援してくれてありがとう。ねえ、どこでリコリスを知ったの?」


 メイくんが、ユズカちゃん相手にリサーチを始めた。写真集を買ってくれた人には時々こういうアンケートを取ったりするのだけれど、女子中学生のファンは私が知る限り初めてで、正直ちょっと驚いている。

 ユズカちゃんは、モジモジしながら「写真集」と言った。


「お兄ちゃんの部屋にあった写真集がね、すっごく綺麗だったから……」

「うげ、勝手に俺の部屋を漁るなっつってんだろが!」


 ニッシーの動きが一気にぎこちなくなって、ハヤトくんが小声で「聞き捨てならんな」と言った。声が低くて怖い。


「ええー、ニッシーもリコのファンだったの?」

「へー、お買い上げありがとーゴザイマース」


 ヒマちゃんとメイくんがほぼ同時に声を上げ、ニッシーが慌てて「うわあ、違う違う!」と叫ぶ。


「あれは、ハヤトの彼女がどんな子なのか気になって、人に借りたんだよ」

「それ……誰に借りたの?」


 問いかけるメグミちゃん。嫌な予感がする、と顔に書かれているみたいだ。


「おいニシ、リコの写真集を持ってるようなヤツが、お前の知り合いにいるのか?」


 問い詰めるハヤトくん。完全に警戒心が丸出しで、ある種の殺気すら感じる。二人からにじり寄られて、ニッシーがじわじわと後ずさった。


「い、言い辛いな……これ、どうしても言わなきゃダメ?」

「言った方がいいんじゃないかなぁ。メグもイシバシくんも、目が据わってるし」


 苦笑いのアイリちゃん。それを見たニッシーは、言い逃れる事を諦めたようだった。


「……チガヤから借りた。高校時代のチガヤは、リコリスのファンだったんだよ」


 まさかの発言が飛び出して、私とメイくんは、思わず顔を見合わせる事になった。


 話が落ち着いてから作業を開始したものの、最初に私とニッシーで全員分の型紙をおこす事になり、他のみんなはアニメ版「まほペン」の上映会をする事になった。ユズカちゃんの案内でみんなリビングに連れられていき、私はニッシーと二人きりになった。

 二人だけで話すのは初めてで、少し緊張する。その緊張が伝わったのか、ニッシーが私を見て笑った。


「リコちゃんって、いつも自信なさげだよなぁ。コスプレ写真だとめちゃくちゃ格好良いのにさ」

「んー、コスプレ中はいつもの自分じゃないから」


 それは、普段から思っている事だった。大好きなキャラクターに力を貰っているような心強さと、出来る限りの努力はしたのだという自負、それとメイくんたちの励ましで、コスプレイヤー「リコリス」は出来ている。

 ニッシーはなるほどねぇと笑って、中指でメガネの位置を直した。


「型紙おこす前に材料買って来るとか、なかなかのツワモノだなぁ。俺にゃ真似できねーわ」

「同じような形の衣装を作った事があって、スマホに型紙のデータが入ってたの。柄合わせが必要な素材じゃないし……多めに買ってはいるけどね」

「あ、多めに買ってんだ。そりゃそうだよな」


 それだけ言って、ニッシーは何かを考え込んだ。

 私は印刷しておいた型紙を床に広げ、それと不織布を重ねて、デザインや体型の補正を加えつつボールペンで書き写していく。


「……なぁ、一着余分に作れたりする?」

「カメヤンサイズだと無理かも」

「ぶは、そりゃ無理だわ」


 私の回答に吹き出して笑ったニッシーは、落ち着きたかったのか、何度かぐるりと首を回した。


「あのさ……ユズカの分、作れないかな。この状況で当日にアイツだけ留守番させるのもな、ってさ」


 そう言われれば、確かにそうかも。今だってみんなと一緒に「まほペン」を見ているのに、一人だけお留守番を言い渡してしまうと、仲間外れみたいになってしまいそうだ。


「そのくらいなら足りると思うし、買い足したっていいと思うよ。そうすると女子用が五着になるね、寸法を測らせて貰わないと……」


 頭の中で色々と段取りを考えつつ、線を引き終えた不織布をニッシーへと渡す。その不織布を縫い代線に沿ってカットし始めたニッシーが、あのですね、と改まったような声を出した。


「……アイツさ、中学でいじめられてて、友達もいなくて。もう半年近く、学校に行ってないんだよね」

「あっ……」


 薄々は予想していたけれど、はっきり言葉にされると、胸の奥が苦しくなってしまう。ミキちゃんをはじめとする、高校時代の友達「だった」人のことを、どうしても思い出してしまう。


「リコちゃんが仲良くしてくれたらさ、アイツすげー喜ぶと思うんだ。俺が言うのは虫の良い話だと思うけど……できたら、ユズカに構ってやってくれないかな」


 それはつまり、私が個人的に、ニッシーの妹と親しくするという事になる。メグミちゃんがどう思うだろうか、とは思ったのだけれど……この頼みを、私は断れない。まるで昔の私みたいなユズカちゃんを、拒絶なんて、したくない。


「いいよ、私なんかでよければ。私だけじゃなくて、メグミちゃんとか、みんなで仲良く出来たらいいかなって」

「マジで、そうしてくれたらめっちゃ嬉しい。ありがと、助かる」


 ニッシーが、真っ直ぐに私を見て、嬉しそうに笑った。


「アイツ本気でアホの子だけどさ、時々仲間に入れてやって」

「アホの子だなんて事ないよ。お兄ちゃんの言う事を素直に聞く、いい子じゃない」

「いやあ、リコちゃんの前だから猫被ってんだよ。いつもはクソ生意気でさぁ」

「でもニッシーの事、大好きなんだと思うよ」

「んー、そりゃどうだろ」


 裁ちばさみを走らせていたニッシーは、照れたように縁側の方へと視線を向けた。雪見障子は開いていて、よく手入れされたお庭が見える。


「……うちは両親が忙しくて、俺がアイツの面倒見てきたからさ。洋裁覚えたのも、アイツが高い服を欲しがるからなんだけど。まだ背ぇ伸びてるガキンチョのくせに、そんな何枚もミホマツダとか買えねぇっつーの」

「ユズカちゃんの為に、お裁縫始めたの?」

「そらそうよ、俺だけなら別にユニクロでいいし。自分用で練習して、上手くできたらユズカ用を作ってる感じだなー」


 それが、ニッシーが個性的なデザインの服ばかり作っている理由なんだ。凄い。


「ニッシー、いいお兄ちゃんだね」

「そんな良いモノじゃないですね……あのワガママ妹、拗ねるとめちゃくちゃうるせえの。だってだって、だってえぇ、ユズカあのワンピ欲しいんだもおぉん」


 口真似をしながらユズカちゃんの話をするニッシーは、彼女をとても大切に思っているように見えた。

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