第二十八話 もう、噂なんて怖くない
その後、パウザでの食事会は最後まで和やかだった。
駄々を捏ねないお父さんは、久しぶりに見たような気がする。お母さんは「お父さんのアレは甘えてるだけなのよねぇ」と言いながら、今度は家で飲もうと男同士が約束を交わしているところを動画に収めていた。
翌日の学食で事の顛末を話すと、男の子三人が見事に笑い転げた。
「やっぱすげーなアイツ、肝据わり過ぎ」
「もう流石だわー、ハヤト最高かよ」
「リコちゃんのとこは、ご両親も個性派だよね」
メイくんが笑いながらハンバーグを口に運ぶと、それまでニコニコと聞いていたヒマちゃんが急にあっと声をあげた。
「サツキ、今日もハンバーグ定食だ! そんなに好き?」
「んー、単に選ぶのが面倒なだけかな。日替わりは苦手なのが多くて」
「日替わりの野菜炒め、素材の味しかしないって言うもんねー」
そうそう、とメイくんが笑う。そう言えば男の子たちは、いつも同じものばかり食べているイメージがある。メイくんはハンバーグ定食かチキン南蛮定食の二択だし、カメヤンはカツカレーと購買の惣菜パンを三つ。ニッシーはメンチカツ定食ときつねうどんを共に大盛り、それに加えて家から持ってきたお弁当だ。
私は、ここでハヤトくんがどんな食事をしていたのかを知らない。ヒマちゃんのお弁当だった可能性もあるし、みんなと同じように定食を頼んでいたかもしれない。決して少食ではないけれど、ニッシーほど食べるわけでもないハヤトくんは、この場所でどんな風に座っていたんだろうか。
「おい、揃って笑いすぎだろ」
考え込んでいたせいで、ハヤトくんの声が聞こえたような気がする。帰りにアパートへ会いに行こう。復学までの間、昼間は何をして過ごすつもりなのかな。アルバイトでもするのかな。
「悪い悪い、なんつーか光景が目に浮かんじゃったわけよ」
私の方を見ながらニッシーが笑っていて、慌てて振り返ると、そこにはトレイを持ったハヤトくんが立っていた。
「悪い、遅くなった」
「この中で一番の暇人なのにな」
「ハヤト、こっち席取ってるよ」
カメヤンやメイくんも当然のように声をかけ、お礼を言いながらハヤトくんが勧められた席へ座る。気が付けば女の子も含む全員が、ニヤニヤと私の方を見ていた。
「えー、みんな知ってたの!」
思わず大声をあげた私に、隣のテーブルにいたグループの視線が集中する。近い席にいたニッシーが頭を下げたのだけれど、ショートカットの女子学生が席を立った。あからさまに私を睨んでいる。
「私、誰とでもヤッちゃうような子の近くで食べたくなーい。変な病気がうつっちゃう前にテーブル変えようよー」
他のテーブルにも聞こえるような声量でそう言い放った彼女は、食べかけらしいランチボックスに蓋をしてから、大きめのサコッシュを斜め掛けにした。
面と向かってこんな事を言われたのは、大学では初めてだった。
「チガヤちゃん、それはさすがにスルーできないよ?」
ヒマちゃんが咎めるように睨むと、同じテーブルに着いていた子たちは一瞬戸惑ったようにこちらを見て、ヒマちゃんに謝るような素振りをしてから同じように席を立った。どうやら美術科の子たちなのだなと、その時に理解した。
「チガヤ、お前まだそんな話してんのか。根も葉もない噂だ、リコに謝れ」
苛立ちを隠そうともしない声で、ハヤトくんが責める。だけどチガヤさんは、全く動じる様子すらなかった。
「揃いも揃って騙されてんのねぇ、地元のコス界隈じゃ有名だったんだから」
彼女が言う「地元のコス界隈」というのは、地元のイベントに参加するコスプレイヤー同士のコミュニティを指している。福海みたいな田舎では、右から友人を辿っていけば左から自分に辿り着いてしまうくらいに狭い世界だ。だけど私はチガヤさんに見覚えは無かった。
「確かにそんな噂はあったね、だけどそれは事実じゃないよ。そもそも何の根拠があって、サイトウさんはその噂を広めているの?」
メイくんが、チガヤさんを「サイトウさん」と呼んだ。サイトウチガヤ……知らない名前だ。困ったように微笑むメイくんへ向けて、チガヤさんはバカにしたように鼻を鳴らす。
「うっわ出た、私アンタも気持ち悪いんだけど! 噂の相手、本当にアンタだったんじゃないの?」
高三の夏に広まった悪評の中に、私に堕胎をさせたのがメイくんだという噂があった事は確かだ。堕胎どころか妊娠すらも事実無根だったのだけど、信じた人もいたのだろう。彼女のように。
メイくんにまで迷惑をかけていた事実を、改めて突き付けられたようで、私はその光景を直視できなくなった。俯いた私に、チガヤさんが言葉を浴びせてきた。
「泣けばチヤホヤして貰えるもんね、気持ちいいでしょ?」
悔しくて、悲しくて、私は唇を噛みながら拳を握り締めた。もう猫を被る必要もないんだ、一発くらい引っ叩いてしまおうか……そう思った時、ニッシーの声がした。
「あからさまに僻んでんじゃねーよ」
「ニッシーには関係ないでしょ!」
顔をあげると、ニッシーが何事も無かったようにきつねうどんを啜っていた。もちろんチガヤさんは顔を真っ赤にして怒っているのだけれど、ニッシーのお箸は止まらない。そして汁まで完食したところで、改めて「お前、本当にアホだな」とチガヤさんを煽った。
「親友の彼女がコケにされてんのに、いつまでも黙っててやるわけないだろ。もう全部バラすぞ」
「脅しのつもり? 勝手にすればいいじゃない!」
物凄い剣幕のチガヤさんが早足で学食の外へと出て行き、同席していた三人の女の子は口々に「チガヤがごめんね」というような言葉を残してから、急いで後を追って行った。残された私たちに注目が集まる事は特になく、学食内の空気は普段通りだ。
「全部バラすって、ニッシー、それどーゆー事?」
ヒマちゃんの疑問に、ニッシーが呆れたような声を出す。
「俺、チガヤと同じ高校だったんだけどさ。アイツもコスプレしてたんだよ」
ニッシーは自宅通学だから、きっとチガヤさんも福海で活動しているはずだ。心当たりの無い私がメイくんに視線を向けると、メイくんもふるふると左右に首を振った。性格は最悪みたいだけど中性的な美人だし、会った事があれば絶対に覚えていると思うのだけど……全くと言っていいくらいに、記憶にない。
「見覚えないけどな……?」
「ま、そうだろうな。昔のコスプレネームは、えーと……
名前を聞いた途端、カメヤンがごふっと派手な音を立ててむせた。そして私とメイくんは、その名前に心当たりがあった。私たちは直接の知り合いではなかったけれど、共通の知人から「ショウカは仲間内で衣装を揃える時、いつも不人気キャラを押し付けられてるんだよね」という話を聞いた事があった。好きな衣装を着られないなんて楽しくないよねと、他人事ながら悲しい気持ちになった覚えがある。
「……全く、気が付かなかったよ」
メイくんが呟いた。同感だ。私たちが気付かなかった原因は、メイクが上手になったせいもあるのだろうけど、それよりも、何よりも――。
「昔はカメ並みに太かったもんな。だから、あえて言わなかった」
ニッシーはそう言って、真顔でメンチカツを齧った。そうなのだ。私たちが知っている「ショウカさん」は、おそらく今より二十キロは重かっただろう。
「凄いね……頑張ったんだね、かっこいい」
「今なら、胸張って好きなコスプレができるね。見返せるといいね」
メイくんと二人で感動を噛み締めていると、ヒマちゃんが「二人は悪口言われてるんだよっ!」と笑う。だけど私はもう、噂なんて怖くない。みんなが傍にいてくれるから。
「あっ、コスプレと言えば……もうすぐ、ハロウィンだね!」
それまでずっと黙って話を聞いていたアイリちゃんが、にっこりと微笑みながら話題を捻じ込んできた。少し唐突な感じはしたけれど、もう十月だもんねぇ、とメグミちゃんが話を受けた。
「そーだ、シーパラのハロウィンナイト、みんなで行こうよ!」
まるで今思いついたような誘い文句は、ヒマちゃんが言うとあらかじめ決めていた。もちろんニッシーやカメヤンがヒマちゃんの誘いを断るわけがなく、今年は賑やかだね、とメイくんが笑った。
「……まさか、俺たちも衣装を着るのか?」
「うんうん、着ようよ! みんなで一緒に着れば、絶対に楽しいよ!」
ハヤトくんの疑問に笑顔で答えると、彼は一瞬だけ眉間に皺を寄せた後、そうかもな、と言って笑った。
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